格差と平等ともがき

 僕はネットでいろんな人と話すのだけれど、金持ちの家に生まれて勝ちが決まっている人とか、虐待とか性暴力にあって入退院を繰り返している人とか、ドラッグで捕まる人とか、モラハラを受けながら看護師をしている人とか、千差万別だ。自分が関わる範囲外のSNSを見ても、いろんな人がいるなあと思う。クリエイター、弱者男性、アイドル、ナンパ師など…。

 嫉妬とか劣等感って苦しい。前に「人は聞き方が9割」という本に「人は全員幸せを求めていると知るのは大事」だと書いてあった。タイトルと全然関係ないけど、本当にそうだよなあと思った。

 人との差異を見るのではなく、共通点を見る。とはいってもやっぱり差の方が気になるから、何回も共通点を熟考するという訓練が必要だとは思う。
 眼がある。鼻がある。耳がある。心がある。欲がある。家族がある。生きている。
 やっぱ、僕は一番の共通点っていうのは「死」だと思う。死はマジで平等だ。神より死神のほうが平等らしい。

 「人は幸せを求めている」という表現より、僕は「もがいている」という表現の方がしっくりくる。今日はチベット仏教の本を読んでいたんだけど、こういう言葉があるらしい。

誰もが、幸せを得たいと思いながらも不幸である。
それは、幸せを得る方法を知らないためである。

シャーンティデーヴァ

 みんなもがいているように見える。もちろん僕も幸せになろうと必死に勉強や修行をしてもがいているんだけれど、それぞれにもがいている。noteを見れば分かる。無職の人も、不倫をしている人も、ナショナリストも、みんなもがいている。

 金持ちも貧乏人も不細工も美人も知者も愚者も男も女も「死」に向かってもがく、運命共同体なんじゃないか。そう思うと、人に優しくなれる気がする

勉強したいのでお願いします