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下町クリエイティブ

山手クリエイティブと下町クリエイティブ

長年大手企業のグループ会社に勤めていると、ヒエラルキーを感じざるを得ない日々を過ごしていた。「何の意見も言わずただ言われた事だけをやっていれば良い」そんな空気感の中でやっていると奴隷体質になる。それに慣れると自立心の様なものが失われる事に気づかない人が多い様な気もする。
イチ制作会社が直クライアントとやっていると、「面白くない顔をする」そいう人たちを沢山見てきたし、私も嫌な思いをしてきた。仕事の大小にせよ、やっていることは同じなのだ。今だに大手企業の社員さんの顔色も気にするし、名刺も場合によっては渡さないなんて事もある。そんなモヤモヤをそろそろ払拭したい。そう思い、どうやったら山手クリエイティブと差別化して、一線を画すポジションをどう表現すれば良いかずっと考えてきた。川下から川上へ逆流を遡り山手クリエイティブと同じ土俵に立てて無いかもしれない、けど立たせて頂いたと思っている。ここは正直感謝している。川下にいながら、山手クリエイティブの思考プロセス、スキルの多くを学ばして頂いたからだ。だから、そろそろ自分も「クリエイティブディレクター」と名乗っても良い時期だと・・・それでもスッキリしない。

名も知れない小さな制作会社で職人体質の先輩方に企画、制作、演出と物作りの厳しさ楽しさの指南を受けながら下町クリエイティブの魂を叩き込まれた。あらゆるステークホルダーの中心にいて様々なオーダーにも応えようとする姿勢を紳士的に繰り返すことで現場のマネージメント力も自然と身に付いた。今となっては、上流工程でのタスクも泥臭い現場対応も一気通貫して出来る能力が確立出来た事は大きな収穫である。ただ、一方で損な見方もされるという事だ。「何でも出来る人」というレッテルを貼られる可能性も多い。ここは上手く調整しながら仕事をして行く必要がある。
世の中のヒエラルキーをくぐり抜けながら、
こっそりと「クリエイティブディレクター」として覚悟を決める時期に「なった。」と思っている。ここからが本当の勝負かもしれない。

下町クリエイティブ

荒れた草むらを更地にして整備した土地に種をまき、水を与え、暖かい太陽の光を照らし自らの手で育て行く。
時には雨や風でそのキレイな土地が荒らせれることもある。
我々のクリエイティブという仕事は、畑の肥やし作業だと言われた事がある。その畑(共感性の無い企画)に水と光を与え食物(成果物)を育てる。
自らカラダを動かし汗を掻き泥だらけの手で企画成果物を生み出し続ける。
周囲に認められるのはそれなりの時間が掛かる。
デスクとPCに向かい知的生産性を上げ最良の企画コンテンツを生み出す。
これが下町クリエイティブ・・・雑草魂



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