苦しみと希望

禅を仕事に取り入れる 苦しみとどう向き合うか 人は傷つくから優しくなれる

人生における大きな2つのテーマ。


「幸せ」と「苦しみ」


幸せになりたいという願い。

若い頃は、幸せになりたいと思って生きていました。

どうすれば幸せになれるのか?

様々な本を読みましたし、幸せになるためにいろいろチャレンジしてみました。しかし、どうも私には不自然な感じがするのです。

そして、仏教に出会い、「苦しみ」とどう向き合うかという生き方があることを知りました。

仏教には「一切皆苦」という言葉があります。

シンプルにいえば「すべてが苦しみである」という意味ですが、
不思議とこの言葉を聞いたとき救われた思いがしました。


苦しくていいのだと。


いかに苦しみを受け入れ、この命を生ききっていくか。
いかに苦しみから自由になっていくか。

当時の私にとっては、幸せを探すよりも、
苦しみを減らすことの方に心惹かれたのです。

人生においてどうしても避けられないさまざまな苦しみを、
仏教では「四苦八苦」に分類しています。

四苦とは「生老病死」
そして、以下の4つの苦しみを加えて八苦です。

愛別離苦(あいべつりく)・・・どんなに愛する人とも別れる時がくること
怨憎会苦(おんぞうえく)・・・どんなに嫌な人でも顔をあわせなければならないこと
求不得苦(ぐふとくく)・・・求めることが思い通りにならないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・・肉体・精神があるために生まれる苦しみのこと

なかなか上手いこと言い当ててくれていると思いませんか。
この苦しみは、なぜ苦しむのかという理由はありません。

苦しむから人なのです。

人生を苦しみからスタートすることで、私はむしろ希望が湧いてきました。

「苦しみに1つ1つ気づいていく」という生き方。

正解・不正解ではない、気づくというありかた。

少し抽象的になってきましたね。
最近私に起こった「気づき」の例をお伝えします。
あくまで個人的体験ですので、適当にお読みくださいね。


私は傷つきやすいです。
なんでこんなに傷つくのだろうとずっと疑問に思ってきました。

人のちょっとした言葉で傷つく。
大勢の中にいると、ひとりぼっちだと感じて傷つく。
予想外の発言で傷つく。
認められていないと感じると傷つく。
人より劣っていると感じると傷つく。
大事にされていないと感じると傷つく。

傷つくのは嫌なので、傷つかないようにします。

傷つきそうな場所には極力行かない。
傷つきそうな人とは極力会わない。
傷つきそうな会話は極力避ける。

傷つく、傷つきたくない。

「傷つく」「傷つきたくない」ことにこだわるというのは、
そこにとどまることではないかと気づきました。
ただ、隠れていたいという自分もいます。
よどんだ水が心地よいときもあります。

傷つくことが嫌なのではなく、
先に進むことを恐れている自分もいたのです。
そこにある何かを大事にしたいのかもしれません。
捨てる事への罪悪感というか、子供の頃からの癖かもしれません。

傷つくことに囚われないということは、先に進むことを許せるかどうか。

傷つきながらもそれを受け入れ、
傷ついた気持を持ちながらも、
今この瞬間が進んでいくことをよしとするか。

実は、傷つくことに恐れているときには、
止まるのか、それとも進むのか、
選択があることに気づきました。

傷つくというのは、同時に相手を傷つけることでもあります。
人は傷つけられただけ、相手を傷つけます。

私自身、相手を傷つけることを言っているときは、
自分が傷ついたことを言われたときです。

傷つく、傷つけることを避けるために、そこに留まっていると
思っていましたが、むしろ逆かもしれません。

過去の傷にこだわりたいために、留まっていたのかも知れません。

過去の傷を癒やしたい。

これは、無意識の一つの意志かもしれません。

傷つく、傷つけることを受け入れ、先に進んでいくのも一つの選択。

進むというよりも、流されていくといった方が正解かもしれません。
流されるというのは、どうなるか分からないという怖さがあります。

川に流されていると、岩にぶちあたり、傷だらけになります。
流されると傷だらけになるのは仕方ないのです。

でも、人は本来、何かに流されています。

分かってはいても、流されて溺れるのではないか。
コントロールできない状況に身を置くことがもっとも怖い。
でも、やってみたい。

こだわるということは立ち止まりたい、傷を癒やしたいという意志。
それを大事にするのもいい。


先日、すごく言葉が軽い人に出会いました。

「ありがとう」「すみません」

表面的には、丁寧な言葉が並びます。
しかし、すごく軽く扱われた感じがしました。

これまでやってきたことを侮辱され、踏みにじられた気がしました。

私の表面がとてもざわつくのを感じました。
切なすぎて、涙が出そうになりました。
そして、相手に対して、間違いを正したいという気持ちが湧いてきました。

そういうのは得意な自分がいるのです。
心の表面では、戦う準備が整っています。

人は傷つくと、その分、相手が傷つける言葉を返す。
まさにその瞬間でした。

相手を一番傷つける言葉を発してしまうとき、
それは自分の心がもっとも傷ついているときです。

一方で、そんなことに傷ついている弱い自分が嫌になります。
なぜ、サラリとかわせないのか。
気にするほどのことでもないのに、なぜこだわってしまうのか。

それは新たな傷なのか?
それとも過去の傷に触られた痛みなのか?

恐らく、後者なのでしょう。

過去の傷の痛みが蘇ってしまうと、時が止まったようになります。

こう書きながら、少しずつ落ち着いてくる自分がいます。

時間が経つにつれ、表面のざわめきから、
少しずつ深い部分に降りていく自分を感じます。

ただ、会いたくないのだなと。

自分が求めていたことに出会えて、素直なお断りの言葉が浮かんできました。

そして、再び「とき」が流れはじめました。

心には小さな傷が残っています。

不思議ですね。
時が再び流れはじめると、その痛みは懐かしさに変わります。

自分が痛いから、人の痛みが分かる。
痛みは自分への戒めになります。
忘れてはダメな痛みもあるのですね。

一方で、傷は優しさを与えてもくれます。

相手の心の傷を見つけたとき、優しくなれます。
相手も同じ痛みを抱えているのだと共感できます。

傷は誰かとつながる暗号なのかもしれない。

傷を抱えながら、生きていく。
傷を大事にしながら、痛みを大事にしながら。

まだまだ傷と上手くは付き合えません。
こうやって何度も何度も言葉にしながら、
だんだん傷と繋がっていくのかもしれません。

傷は苦しみ。でも、傷があるから幸せを感じられる。

苦しみから見える幸せ。
これが私の幸せです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

ただ1つ申し上げておきたいのは、
これは禅を学ぶ中で起こったあくまで個人的な体験と気づきです。
正解でも不正解でもありません。

でも、お伝えしたくなりました。

何か心に響けば幸いです。

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国際禅メンタルトレーニング協会代表  プロゴルファー、経営者等とのコーチングは10,000時間超。禅と欧米の最新メンタルトレーニング理論を融合した「禅×コーチングメソッド」を開発。米国にも「和の心」を伝えるべく挑戦中。「週刊ゴルフダイジェスト」に「禅の境地へ 滴り積もりて」連載中

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