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油断と隙から見えてきた新しいこと 今をサーフィンする禅コーチング

これまでの人生では、「種を蒔いて水をやる。芽が出るまでじっと待つ」ことを大事にして生きてきました。

石の上にも3年。3年で芽が出なければ5年。5年でダメなら、もう1年。
日々出来る努力を続けること。

コーチとして独立したときも、「とにかく10年やり続けることができればプロになれる」という先輩の言葉を胸に、コツコツと日々頑張ってきました。そして、気がつけば15年が経ちました。

このnoteの記事もなんとか続けられています。



周りから「粘り強いですね」と言われることもあります。やりたいことをコツコツと続けることは苦になりません。自分のペースで進めることができるからです。

ところが、食堂の運営は、綱渡りの日々です。何が起こるのか分からないので、いつも不安で仕方がありません。大体、予想したこととは別のことが起こるので、常に自分のペースが崩されます。周りから次々と試練がやってくるように感じます。

たとえば、予想していた以上にお客さんが来られると、嬉しいというよりも、現場が上手く回るか不安になります。

また、スタッフから突然何かを言われると、混乱します。たとえ、それがいいアイディアだとしても、いきなり変えるということに抵抗を感じるのです。

どうも私は、瞬間的に生きるのが苦手なようです。これまでは、じっくりのペースにこだわっていたことに気づかされました。



じっくりという長いスパンの「とき」は、心が落ち着きます。その一方で、瞬間的な「とき」は、サーフィンのようなもの。来る波は予想できません。じっくり構えていては、すぐに波から落ちてしまいます。

今は、いかに波に乗れるかを日々ドキドキしながら体験しています。

逆にサーフィンが得意で、じっくり取り組むのは苦手という方もいらしゃると思います。



私は、じっくりの今を、「大地の今」と呼んでいます。しっかりと大地とつながっているかどうかがポイントです。

瞬間的な今を、「サーフィンの今」と呼んでいます。状況は刻一刻と変わります。周りの瞬間的な変化に合わせられるかが問われます。

どちらが正しい、間違っているということではなく、どちらも必要なのだと思います。

大地は、土台と言えます。土台がなく、「今」だけを感じていると、周りに持っていかれて翻弄されます。

「サーフィンの今」にあるのは、周りとの関係性であり、柔軟性と言えます。柔らかさがないと、自分のやり方やペースにこだわり、頑固になっていきます。



柔らかさと土台については、頭で考えようとすると、難しくなります。だから、坐禅が必要なのだと思います。坐禅のありかたは、この両者を同時に体現している姿です。

坐禅では、土台が大事です。しっかりと大地とつながっているかどうかを重視します。

しっかりとした土台があると、呼吸するときに息の出入りがスムーズになります。息が入って出ていくという流れに身を任せていくと、次第に呼吸が整っていくのです。

大地とつながっていないと、息がスムーズに入っていきません。無理に入れようとすると、上半身に余計な力が入ってしまいます。

大事なのは、自分でいい呼吸にしようとしないこと。これは、いい呼吸にこだわっている坐禅です。大体そういうときは、大地から切れています。

毎回、息の出入りは変わります。浅くなったり、深くなったり。早くなったり、遅くなったり。ただその変化を感じ、邪魔しない。これが今に合わせて、波に乗っていくということです。

今この瞬間には、「考える」という層と、「身体で感じる」という層があります。

坐禅は、「考える」今ではなく、「身体にチューニング」した今といえます。



ちなみに、最近は、考えていることが明らかに減りました。身を粉にして働いています。何かをしているときも、考えているのではなく、周りを全身で感じています。

周りの色が見えているか。
周りの音が聞こえているか。
大地が感じられているか。

仕事中もこうした坐禅のあり方でいることで、周りと自分の関係性が変わってきたように思います。

逆に考えるのが下手になってきたかもしれません。

食堂を始める前の5年間は、じっくりと日々を過ごしてきました。落ち着いて、しっかり自分の内面を見つめ、生きる意味を問うことができました。ただ、今から思うと、孤独な時間でした。

考えている時間は、言葉の時間。考えている時間が長いほど、言葉が多いということです。食堂を始めてから、言葉がかなり減っています。

考えていることを言葉にするのが楽しかったので、少し残念な気もします。しかし、一方で新しい気もします。



言葉が減って、最近増えてきたものがあります。

いわゆる失敗です。

食堂に行くのに、金庫を忘れたり。
大事な書類を失くしてしまったり。



以前の私でしたら、考えられないことです。
油断と隙が出てきたのです。
これは、私にとって、とても新しいことです。

自分で言うのもどうかとは思うのですが、どうも、私は人から見ると、完璧に見えるみたいです。きちんとした人。失敗しない人。何でも出来る人。いつも冷静な人。「やり手の営業マンのような笑顔だ」と言われたこともありました。

自分では、そのような感覚はまったくありませんが、そういうエネルギーを発しているようです。これまでは、考えている言葉がいっぱいで、油断が入る隙間がなかったのでしょう。

それが、油断と隙が入ってきたおかげで、面白い今になってきました。



食堂のテーブルごとにアンケートを置いているのですが、「男性のスタッフの対応が悪かった」と書かれました。男性は私しかいなかったときのことです。

しかも2件立て続けです。読んだときは、結構ショックでした。挨拶も人一倍大きな声でしているし、接客も丁寧なはず。「なんで自分なの???」以前の自分でしたら、許せなかったかもしれません。

そのアンケートをみんなで見てもらいました。正直、バカにされるのではないかと、少し心配でした。

結果は、みんなで大笑い。それからスタッフとの距離が縮まったように思います。突っ込まれるのは嫌いではないのです。



考えすぎると、言葉が鎧になることがあります。鎧は隙をなくします。言葉が自分本来のエネルギーを覆い隠すのです。

これは安全ですが、面白くない今なのだと気づかされました。

今という波は、考えていては逃してしまいます。

油断が出てきて、ますます人生が面白くなってきました。



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