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【ビジネスに禅を活かす】 禅は儲からない道

今から7年前のことです。禅の師匠である藤田一照老師に初めてお会いしたとき、「コーチをしています」と自己紹介しました。

そのとき、一照さんが「禅を使ってしっかりお金を稼いでくださいね」と笑顔でおっしゃいました。

その言葉は衝撃的でした。そんなにお金に執着があるように見えたのだろうか。今も問いとして残っています。

おかげさまで、コーチとしては、食べていけるようになりました。そういう意味では、禅を使って、お金を稼がせていただいています。

noteの記事でも今年食堂をオープンしたことを何度かお伝えしています。
過去の食堂の記事はこちら
https://note.com/zen_akano/n/n600a25aface0


ただ食堂は、コーチ業とは違うのではないかと思っています。

食堂を経営する中で、自分がどうあるかが常に試されます。

今回、食堂をするにあたって、大きく儲けようとは思っていません。修行として、禅を実践する機会として捉えています。しかし、やり始めてみると、すごく売り上げと利益が気になるのです。

また、世間の評判をとても気にしている自分に気づかされました。いい食堂と言われたい。また利用したいと思ってほしい。ネガティブな評価はされたくない。成功していると思われたい。

評判を気にするから、いい食堂にしようと努力します。しかし、私の場合は、人にどう思われるかを気にしすぎてしまうのです。

食堂をやりながら、金銭的にも世間の評価でも、どこかで損はしたくないと思っていたのです。

お金をGETしようとは思っていませんが、どこかで食堂に挑んだ対価が欲しいという気持ちは残っていたのです。


禅は、儲からない道だということを忘れていました。


それは、金銭的な報酬や評価だけではなく、努力の対価があるかどうかも含まれます。

これを妻に伝えたところ、「えっ?まさか儲けようとしていたの!!」と驚かれました。妻は、禅のことはまったく知りませんが、私のブレブレな心は見抜かれていたのでしょう。ズバリと言い当てられました。


食堂は儲からない道を行く。自分の中で腑に落ちましたし、スッと心が楽になりました。


そうすると、スタッフの皆さんといっしょに作業している瞬間が、かけがえのない時間に感じます。そして、いろいろな発想が湧き出してきました。

「損するビジネスって、どうなのだろう?」一般的には、お金を稼げないビジネスを「失敗」と呼びます。しかし、それは、世の中の価値観でのジャッジです。

コーチという仕事と、食堂で与えられたご縁は、違うのではないか。

コーチという仕事はありがたいことに、お金や評価という対価をいただいています。しかし、食堂でいただくのは、目に見える対価ではない「ご縁」かもしれません。

お金が逆さまにひっくり返ったとき、何かが生まれそうな予感がしています。

お恥ずかしい話ですが、食堂をやっていると、残念な自分に気づかされます。でも、綺麗事ではなく、こうしたエゴに出会うことがとても大事な修行なのでしょう。

「儲けてはダメだ」と申し上げたいのではありません。ビジネスにおいて、しっかりと対価をいただくことは大事です。でないと、経営が成り立っていきません。従業員の生活を守らなくてはいけませんし、本当にやりたいこともできません。私もコーチとしてお金をいただき、生活が出来ているから、食堂を開業できたのです。

ただ、人のエゴは膨らんでいきます。必要以上に儲けようとしてしまうのです。安心感を得るために、お金に頼ろうとします。ちなみに儲けだけを見ているのは、偏った心でとっている、小さなバランスです。すぐに転んでしまいます。

ある著名な経営者に話をお伺いしたとき、「経営者は、自分の得を考えてはいけない。得か損かで考えている間は、本当の経営はできない」とおっしゃっていました。儲けるか儲けないかという二極を離れたところに、究極の経営の境地があるのかもしれません。

儲けるだけでは、人は偏っていくのです。儲けないだけでも、偏っていきます。「儲ける」と「儲けない」という両方があって、あなたの心はフラットになっていきます。さらに大きなバランスが生まれるのです。大きなバランスとは、ドッシリとした安定感のある心です。


仏教において、菩薩は、自分が仏になることはせず、他の人が修行に励み、涅槃にわたるのをサポートする役目です。ただ、その何も対価を求めないあり方そのものが、すでに悟りの姿だとされています。

あなたの周りにも、菩薩のような人がいるのではないでしょうか、「他者を幸せにすることで、結果的に自分の幸せにつながっていく」という行動されている人は皆さん「“ボサツ”の人」です。

ちなみに数年前、「私は経営者のために何かお役に立てているのだろうか?」と、コーチの存在価値が分からなくなった時期もありました。

「ただ、話を聴くだけでは申し訳ない。せめてお役にたつヒントをお伝えしたい」と思ったこともありました。

ただ、今回の食堂をやってみて、あらためて「経営」には向いていないことに気づかされました。経営者に経営のことをアドバイスするのは、私の役目ではないと。

でも、だからコーチなのだとも気づかされました。私はコーチとして、今を感じることに長けています。今、何が起こっているのか、言葉や表面には見えない組織の空気や人の心を感じています。

経営者は、経営に悩みます。それは、経営者が分析や戦略を立てることに長けているからです。でも、だからこそ経営という視点に偏ってしまうのです。

経営に偏ると、負けることが怖くなります。
経営に偏ると、上から物を言うようになります。自分はそういうつもりはなくても、相手がそう感じるのです。
経営に偏ると、任せられなくなります。
経営に偏ると、信じられなくなります。
経営に偏ると、待てなくなります。

即断は英断にもなれば、焦りから生まれた決断は早計になるかもしれません。いかに正解のない道を進んでいくかが大切です。


経営とコーチとしての私のあり方は、基本的には真逆の方向性といえます。

ちなみに、禅の師匠の言葉をお借りすると、禅とは「負けて、参って、任せて、待つこと」。


一方で、経営とは、勝つために、状況を分析し未来への戦略を立てて、人の上に立つリーダーシップをとること。即断即決即行動でしょう。

経営は能動的であり、コーチは受動的なのです。この両者が出会うことで、本当に必要な智慧を生み出すアプローチになるのです。

真逆の方向性が出会うとき、経営者は、今まで作ってきた経営という枠から自由になります。そのとき、本当の人になるのです。1人の人間に戻れたとき、あなたの天命といえる真の経営の道が顕れてくるのです。

天命とは、探すものではありません。天命はいつもあなたを照らしています。それに気づけるかどうかがポイントです。

人の心は、凝り固まります。いとも簡単にバランスを崩すのです。それが人の習性であり性と言えます、心のコリをほぐしフラットな状態に戻すのが、コーチの役割といえます。だから、コーチは答えを出す役割でも、アドバイスする役割でもありません。

唯一絶対の答えも正解もありません。そのときどきで、自分という殻を突き破って、自由でいられるかをサポートするのです。そこに無限のアイディアが生まれてきます。

食堂を通して、あらためてコーチの役割が見えてきたのは、驚きでした。ひょっとしたら、私自身がコーチングに慣れて、いつしかコーチくさくなっていたのかもしれません。

人に戻るために、食堂は避けては通れない道だったのかもしれません。

だから、「どうやって食堂を成功させるか」という分析はしません。私にとって、食堂は経営ではないからです。食堂という「いのち」とともに導かれた天命の道に、ただ従っていくだけ。それが私の生き様であり覚悟です。



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