【禅をビジネスにいかす】 「ありがたい」が増える仕事
これまで食堂を始めることについて何回かお伝えしてきましたが、1月18日に食堂をオープンしました。
三幸食堂(香川県高松市香西東町394-1)
食堂のFacebookページはこちらから
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オープンから一週間、おかげさまでたくさんのお客様にご来店いただいています。
予想以上の来店のため、オープンから2日間は、開店して1時間ちょっとで売り切れてしまいました。コロナ禍の中での開店ということもあり、宣伝を控えていただけに正直驚きました。また、来てくださった方には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
少しずつ仕込みの量を増やしており、3日目からは、何とか最後まで営業することができました。
「もっとたくさんの仕込みをした方がいいかもしれない」と思います。ただ、スタッフ全員が高齢者で、飲食の経験がないため、まずは出来る範囲でお迎えする方がいいのかなと思っています。焦る気持ちはありますが、まずは1ヶ月ほどかけて、スタッフが慣れることを優先することにしました。
今回与えられた課題は、私のような小心者には大変な試練です。このところ夜、何回も目が覚めます。ずっと緊張しているのかもしれません。
食堂をするに当たって、2人の自分がいます。
1人はすごく不安な自分。どうすれば売り上げをあげられるか。給料はちゃんと払えるのか。コロナ禍の中で営業してよいのか。味は満足してもらえるのか。チームワークは大丈夫か。クレームがこないか。
何か足りないことはないか探していると、不安が強くなっていきます。
自分の弱さ、繊細さ、執着。出会いたくない自分がつぎつぎと現れます。
失敗が嫌い。失敗を許せない。
傷つきたくない。
思い通りにならないことに苛立つ。
人が怖い。
恐ろしいくらいのエゴに遭遇します。エゴの嵐に飲み込まれそうになります。
こういうとき、ものすごく怖いです。理由もなく怖いのです。
気がつくと孤独になっています。誰ともつながっていない1人ぼっちの世界です。
もう1人は、大丈夫という自分です。
何が起きても大丈夫。なんとかなる。こんな経験ができていること自体への奇跡を感じられている自分です。
初日を終えてミーティングをしていたとき、71歳の店長が「本当に楽しかった。やっぱり私は食堂のおばちゃんがいい」と、イキイキと話してくれました。
私はこの言葉に驚きました。なぜなら、私は、楽しいという気持ちはまったく感じられていなかったからです。懸命ではありますが、不安と緊張でいっぱいだったのです。
そのとき、少し救われたような気持ちがしました。
私だけでは、何もできません。だからこそ、周りのサポートのひとつひとつが心に染みます。
そう考えると、食堂を始めることで不安が増えましたが、「ありがたい」ことも、ものすごく増えました。
人生には、どんなに苦しくて誰からも認められなくても「ありがたい」が自然に増えていく仕事と、どんなにすごいと評されることでも「ありがたい」が減っていく仕事があります。
ありがたいが増える仕事は、どんなに大変でも、買ってでもやるべきことなのだと思います。
3日目の朝、みんなで開店の準備をしていました。そのとき、私できるのは、「ありがとう」を言うことだけではないかなと思ったのです。
「ありがとう」は後から伝える言葉です。
先回りして不安なことを消そうとするのではなく、すべて体験として受け止めていく。そして、すべてに「ありがとう」と伝えていく。
できていないことを探すのではなく、ただ、できていることに気づくこと。あることに気づくこと。
一番は、与えられているご縁を選り好みせず。、いただくことではないかと思います。
こういうあり方のとき、自然に「ありがたい」という気持ちが生まれてきます。
不安だから、人の心遣いが身に染みます。不安も生きる中での食材の一つ。すべてが「ありがたい」のです。
最近、朝早く起きて坐る時間が増えました。私は苦しい時ほど、坐りたくなります。坐るというのは、身体とともにいるということです。
ただ息の出入りに気づくのです。
息の出入りに気づくだけと思われた方もいらっしゃるかもしれません。実は、息の出入りというのが、なかなか面白いのです。
坐禅には、「部分の坐禅」と「全体の坐禅」があります。
以前でしたら、息のことばかり気にしていました。息の出入りにばかり意識がいくと、呼吸が苦しくなります。お腹の深くまで息を入れようとすると、今度は呼吸がぎこちなくなります。
何かにこだわっていたりすると、いい息を無理にしようとしたりもします。また、不安でいっぱいだったりすると、いろいろな考えが頭に次々と浮かんできます。
いずれも「部分の呼吸」です。
本来人は、身体全体で呼吸をしています。
ただ、息の出入りが分かりやすいので、つい鼻での呼吸の出入りだけに焦点を合わせがちになります。
いかに全体を感じられるかが大切です。
まずは身体全体の動き。
そして、自分を取り巻く環境。
坐禅をしていると、空気が息をサポートしてくれているのを感じることもあります。そういうとき、「ありがたい」という感覚が自然に生まれてきます。
先日、師匠である藤田一照老師から「人の心はすぐに部分に偏ります。部分に偏ると、それは周りから切り離された坐禅になってしまいます。いかに全体といっしょに坐れるか。」と指導を受けました。
部分というのは、内側に閉じた坐禅。
全体というのは、外側に向かって開かれた坐禅。
先日、食堂オープンへのエールとして、禅の仲間から「好雪片片不落別処」という言葉をいただきました。
「こうせつへんべん べっしょにおちず」と読みます。
好雪とは、一面に降り積もった見事な雪のことです。雪の一片一片がバラバラにも同じところには落ちていない。落ちるべき所に落ちているという意味であり、ランダムに降っているように見える雪も定めに従って地上に降りているというお話です。
この言葉をいただいたとき、食堂が上手くいくかどうかに囚われていた自分に気づきました。
「とにかく、やるべきことはやった。あとは天のみぞ知る」という心境になりました。
私の中のエゴは尽きませんが、まずは、スタッフの皆さんが怪我なく健康に働けるように気を配ろうと思いました。
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