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【禅を仕事に活かす】 挑戦という人生と修行という人生

皆さんは、今挑戦をしてますか?

それとも、今修行していますか?

挑戦と修行。

何が違うのだろうと思われた方も多いと思います。

一言がいえば、挑戦とはなにかをGETすること。目標に向かって駆け上がっていくイメージでしょうか。

これで充実感を感じられている方は、そのまま突き進めばよいと思います。

一方で、挑戦することが見つからない方がおられると思います。

あるいは、挑戦することに疲れているかもしれません。思うような結果が出ず、挑戦を諦めようとしているかもしれません。

普通仕事では、夢や目標、ビジョンが見つからないとダメだとジャッジされがちです。でも私はそうは思いません。

私たちは、つい答えを出しやすいものからやろうとします。
手っ取り早いものからやろうとします。
確かに目先の結果やスピードを考えると、分かりやすいものがいいと思います。

しかし、分かりやすさとスピードで失われるものがあります。
それは「豊かさ」です。


あなたは、どんなときに豊かさを感じるでしょうか。

私は、お出汁が大好きです。
一言では語れない、あの深い風味を味わっているときに、豊かさを感じます。

食材をいかに活かすか。
そこには、料理人の手間暇を惜しまない努力と積み重ねられた経験が込められています。

一人前の料理人になるためのプロセスを「修行」と呼びます。
ある料理人は、「プロとして人前に料理を出せるようになるには、まず10年はかかります」とおっしゃっていました。


「修行」と「挑戦」は、似ているようで違います。
どちらが良い悪いではありません。

私がアメリカに行き続けて、今年が8年目です。
残念ながら、今年3月にいったのを最後に、コロナ禍の中で止まってしまいました。
ただ行けないことも、いい修行だと思っています。

アメリカにいきはじめた当初は、挑戦だと思っていました。
何かを成し遂げるために挑戦すると。

しかし、目に見える結果がまったく出ない。
コストばかりでリターンがない。

楽しさは一瞬で、苦しいことばかり。
出口が見えない中で、成長どころか、むしろ後退しているようにすら感じる。

挑戦を続ける価値や目標を見出そうとすれば、諦めていたと思います。
このコロナ禍の中で、挑戦が頓挫したと感じたかもしれません。

しかし、不思議なことに、今とても心が落ち着いています。
行けないときには、行けないという経験が出来ている。
リセットされているようにも感じます。
これも豊かな時間です。

私にとってアメリカに行くことは、どこからか挑戦ではなく、修行に変わっていました。

何かを得るためではなく、ただ自分自身を磨くこと。
ないものを求めるのではなく、今この瞬間にある幸せに気づくこと。
求める心ではなく、本当に大事なものがやってきてくれるのを待つ心。
外側にあるなにかを手に入れることではなく、自分のあり方を問い続けること。

人には、それぞれ与えられている課題があります。
仕事、家族、自分自身の存在について。
そこに目を向け、行動することを修行というのかもしれません。

よく分からなくていいのです。

むしろ分からないことに飛び込んでみる。
ただ闇雲にでもやってみる。
結果を求めない。
自分の執着を手放していく。

そして、数年後に、何かがつながる瞬間が現れます。
「あのとき起こったあのことは、こういうことだったのだ」と。

今見えているものには、手っ取り早さと分かりやすさはあっても「豊かさ」はありません。

「後から振り返ってみると意味が分かった」というのが深さであり、豊かさではないでしょうか。

ちなみに今あなたは、5年後に答えが分かるような何かに取り組んでいるでしょうか?

取り組んでおられる方は、素晴らしいですね。

まだという方は、この記事が考えてみるきっかけになれば、幸いです。

目の前のことに忙しく、5年先まで考える余裕はない。
やってみたいことはあるが、成功するかどうか分からない。
心は惹かれるが、いろいろな障害がある。
今やっていることが終わったらやってみようと思っている。

今やらない理由は、恐らくたくさんあるでしょう。

明日命が尽きたとして、一歩踏み出さなかったことに後悔が残らなければ、あとに伸ばしてもいいと思います。

ただ、もしやり残したという気持ちがあるとすれば、今はじめることをオススメします。

本を読みはじめる。
誰かに会う。
メールを出してみる。
どこかに行ってみる。


小さなことからでいいのです。
形にならなくても、何か一歩進めてみるだけでいいのです。

分からないことほど怖いものはありません。
でも、やり方も何もないからいいのです。
それこそが、あなたしか歩めない道だから。


まず1年から始めてみましょう。
1年で何も起こらなければ3年です。
3年で見えなければ5年。

とりあえず10年やってみる。
どうだったかは、そのとき考えてみましょう。

またすでにはじめてみたものの、やっていることに迷いがある人もおられると思います。
続けるべきか、止めるべきか。
迷っていいのです。迷いながら続ければいいのです。
迷いというステージも修行にとってはとても大事なことだから。

残念ながら、修行の道は手っ取り早くありません。
焦りや苦しみを感じるでしょう。
他の人の輝きがまぶしく感じることもあるでしょう。

さまざまな自分に出会います。
この経験が人生を豊かさという複雑な味わいにしてくれます。

いつしか「叶うか叶わないか」ではなくなっていきます。
もしかしたら、叶うものなどないのかもしれません。
叶ってもいいし、叶わなくていいのかもしれません。

もし今生で叶わなかったとしても、豊かな今を歩んでいるからです。

やってみたら分かります。

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