なぜ一言多いのか 沈黙を味わう禅コーチング
一言多い人がいます。
私もその1人です。
良かれと思っていった一言が相手を傷つけてしまったり、怒らせてしまったり、思わぬトラブルを招いたり。
言わなければいいのに、なんで言ってしまっただろうと後から後悔します。でも、また言ってしまうのです。
なぜ一言多いのでしょうか?
沈黙が苦手な人が多いです。あなたはいかがですか?
人には、空間を埋めようとする本能があります。
沈黙を「言葉がない空間」と頭は理解します。何もないと思うと、何か言葉で埋めようとするのです。
こういうとき、大体余計な一言を発します。
先日、食堂の営業を終えて、従業員といっしょに遅い昼食をとっていました。そのとき、知り合いのちょっとした悪口を言いました。誰も傷つけない話だと思っていたのですが、それが後で一騒動起こすことになります。余計な一言でした。
何が起こっていたのでしょうか。
昼食を食べていたとき、少し沈黙がありました。私としては、この時間を楽しんでもらいたいと思って、サービス精神のつもりで刺激のある話をしたくなりました。
それが悪口だったのです。
ただ、このサービス精神の奥には、もう少し別の感情があります。
心のどこかに、もっとスタッフと近づきたいという気持ちがありました。それは寂しさだったかもしれません。私の場合、寂しさを埋めようとする癖があり、そのとき、軽口や悪口を発するようです。
あるクライアントさんは、ちょっとした嘘を言ってしまうのが悩みでした。「大した嘘ではないから大丈夫」と思っていたのですが、部下たちに「嘘つき」「信用できない」と言われていたことを知って、ショックを受けていました。自分では、少し話を盛っているくらいの感覚だったのです。
気を引きたいという欲求があります。気を引くために少し話を盛り、最初はおおげさくらいだったのが、だんだんと嘘になっていたのです。
また、あるクライアントさんは、腹が立ったとき、相手を傷つける言葉を発していました。カッとなって発した一言が、相手を傷つけてしまうのです。あとで考えると、そこまで言わなくてよかったと後悔するのですが、なかなか直りませんでした。
このクライアントさんは、相手の言動や行動が悪いと思っていました。自分の空間を犯されたと感じたとき、追い出そうとして怒りでいっぱいにするのです。その結果、必要以上に攻撃してしまいます。言葉を荒げれば、敵が増えていくのですが。
仏教には「十善戒(じゅうぜんかい)」という教えがあります。日常的に守るべき戒めなのですが、その中に、口が引き起こす「口業」の戒もあります。
・不妄語 ( ふもうご)・・・嘘をつかない。
・不綺語 ( ふきご)・・・無益なおしゃべりなど、中身の無い言葉を話さない。
・不悪口 ( ふあっく)・・・悪口のような乱暴な言葉を使わない。
・不両舌 ( ふりょうぜつ)・・・他人を仲違いさせるようなことを言わない。
坐禅は基本的に、何もしません。動きません。言葉を発しません。誰とも関わりません。ただ、沈黙の中に自分を置くのです。
最初は、すぐに退屈するかもしれません。意味がないように感じるかもしれません。面白くはないですし、刺激もありません。普段でしたら、退屈になって携帯を手に取るかもしれません。誰かに話しかけるかもしれません。
何もないと思うと、何かをしたくなるのです。何かで満たそうとするのが、普段のありかたです。
坐禅は、「何もしないこと」をします。
何もしないまま身を置いていると、だんだん静けさを感じられるようになります。
静けさは、何もない場所にあります。
満たそうとしないことで、だんだん周りの音が聞こえてきます。あるいは、周りの景色が見えてきます。
周りとつながることで、だんだんと自分の中が満たされていくのです。
先日、朝、坐禅をしていて、風の音が聞こえてきました。そのとき、風がやってきて、去っていくのがとても愛おしく、せつなく感じました。
上手く言葉にできませんが、普段考え事をしているときには味わえない、今この瞬間の感覚です。
坐禅を通して、何もないように見える空間には、無限の味わいがあることを知りました。
「寂しさ」は、少しせつない味がします。
「怒り」は、苦い味がします。
「不安」は、きゅーっとする味がします。
私は禅の修行をするようになって空間を味わえるようになり、悪口や余計な一言が減ってきました。
満たそうとしないためは、まず、「何かが足りない」と考えていることに気づけるかどうかがポイントです。「何かが足りない」と考えるのが悪いのではありません。そう考えるのが、満たされていない方向に進んでいるサインなのです。
何もないから満たそうとすると、余計な一言が生まれます。
何もないときは、ないままにしておく。これが自分が満たされていく最初のステップです。
オススメは、一日の中で、30分程度、何もしない時間をとることです。本当は瞑想や坐禅がいいのですが、ハードルが高いという方は、近くの公園かカフェなど仕事と離れた場所に行って、1人の静かな時間をとりましょう。
そのとき、持っていくものを絞ります。ノート1冊だけでもいいと思います。ぼーっとしながら、浮かんで来たことを、ただノートに書いていきます。くれぐれもノートにいいアイディアを書くことを目的にしようとしないでくださいね。
何も浮かばなくても大丈夫です。
今回も読んでくださり、ありがとうございました。
最近、思いを言葉にする難しさを感じています。
以前、私は言葉の使い方が上手いと思っていた時期もありました。自分のことを的確に表現出来ていると思っていたのです。
確かに、気づいたことや考えていることを表現することは好きです。頭に浮かんできたことを表現する語彙はいろいろ持っています。
ただ、最近は言葉になっていない思いがあることに気づかされています。
あなたは、胸が張り裂けそうなとき、どう表現されるでしょうか。
ちなみに私は、悲しみを表現するのが苦手です。まだ自分でもよく分かっていないのです。
言葉はまだまだ奥が深いですね。次回までに少し整理してみたいと思いました。
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