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考えすぎてしまうアスリートへ 自然体のメンタルトレーニング

どんなスポーツでも、自然体でプレーすることはとても大事です。しかし、自然体が一番難しい。自然体というのは、メンタルトレーニングの大事なテーマです。

そして、自然体を考えていく上で、禅の修行がとても役にたちます。

まずは、逆を考えてみましょう。自然体でない状態は、いかがでしょうか。

ゴルファーをみていると、スウィングがスムースに流れているときがあります。テンポも良く、軽く振っているのにクラブが走っています。一方で、動きがギクシャクしているときがあります。リズムも悪いし、スウィングの途中で肩や手に力が入ってしまう。これはゴルフ以外のスポーツでも、ほとんどの選手が経験していると思います。

ゴルフのスウィングは全体の調和が生み出すものです。身体全体がうまくつながっているとき、身体はスムースに動きます。当たり前のようですが、これがもっとも難しいのです。

たとえば手の動きを考えていると、手ばかりに意識が向きます。手の動きを修正してみて、一瞬は上手くいくかもしれませんが、長くは続きません。どこか部分の修正をしようとすると、そこに意識が向きすぎるのです。結果として、全体の調和が失われていきます。

特に道具を使うスポーツ、ゴルフ、野球、テニスなどにおいて、道具へのコントロールへの意識が強くなるほど、自然体から離れていきます。また、バスケットボールでも、ボールを上手くコントロールしようとするほど、手からボールが離れていきます。

禅の修行はよく川の流れに喩えられます。禅の師匠は、「頭で考えすぎているとき、あなたは川の流れから外に出ています。これは周りの調和が切れている状態といえます。まずは川に飛び込みなさい。川の流れにのりながら、自分も泳いでいるくらいがちょうどいい塩梅ではないでしょうか。」と話されていました。

ゴルフだけでなく何かを一生懸命にやっていると、「〜すぎる」という状態になります。「考えすぎる」「真面目になりすぎる」「真剣になりすぎる」「結果にこだわりすぎる」「慎重すぎる」これは良い悪いではありません。ただ、「〜すぎる」状態は川の外に出ている状態なのです。いくら泳ごうとしても、川に入っていなければ泳げません。まずは川に入ることが肝要です。

あるプロゴルファーは、試合などで緊張した場面になると、ヘッドが上手く降りてこなくなるのが悩みでした。急にボールが右に飛び出したり、逆に左にひっかけたりするのです。それを最初はスウィングの修正で直そうとしましたが、練習では上手く打てていても、本番では急に同じような症状が出るのです。

メンタルトレーニングでは、問題を直そうとするのではなく、まず知ることが大事になります。アドレスからテークバックするまで、何を見ているのか、何を気にしているのかに注目してもらいました。すると、ヘッドを強く見ていることに気づきました。

これは、ヘッドと身体が分離している状態です。何か特定の部分を気にしたり、直そうとすると部分にこだわりはじめます。すると、特定の箇所だけが全体から離れてしまいます。その結果、余計な箇所が力んだり、逆に力が抜けてしまったり、全体の動きがバラバラになります。ヘッドの動きを直そうとするほど、まったく逆の方向にいってしまうのです。

部分を意識するというのは、思考の働きの強化と言えます。これは、考える(意識する)→動かすという流れです。考えるという働きは増幅していくのが特徴です。ここはもっとこうすればいいじゃないか。ここは動いちゃだめだ。ここはこう動かなければだめだ。こうした思考の働きの中で、真面目になりすぎるのです。

真面目とは、ちゃんとしないとダメだという考え方。真面目になりすぎた状態でアドレスすると、もうそれは川の外で立っています。どんなに正しい考えだとしても、全体の調和は生まれません。

川の流れの中でプレーするというのは、まず動くこと。動く→意識が起こるという流れです。動きながら、ああこういうことだったのだという意識が働いてくるのが、流れにのりながら泳いでいる感覚に近いかもしれません。

このプロは、「いい加減に打つというのは、いいかげんにやるということですね」と話していました。

見すぎない。結果を求めすぎない。完璧を求めすぎない。打ちすぎない。やりすぎない。ムキにならない。

このプロにとっては、それくらいの感覚でないと、思考の働きが勝ってしまうのです。ただ、面白いのですが、「いいかげん」について考えていると、どこかで「いいかげん」にこだわりはじめていました。残念ながら、これも川の外に出ている状態です。なかなか思考というのはやっかいです。

実は、この部分へのこだわりすぎるというのは、身体にも影響が現れます。

部分にこだわると、怪我をしやすくなります。あるオリンピック出場を目指す陸上の幅跳びの選手は、疲労が蓄積してくると、足首が痛くなるのが悩みでした。調子が上がってきたと思っていると、足首に痛みが起こって、なかなか万全な状態でのプレーができずにいました。こうした怪我というのも、実は部分への負担が大きすぎるのです。

この選手の場合は、いかに踏み切るかという意識が強すぎたのです。もちろん、遠くに跳ぶためには、いかに地面を強く蹴るかが大事になります。足→地面という意識は、足に余分な力をかけてしまうのです。本当は、地面→足という方向も存在しているのです。

思考とは一方向しか意識できません。いかに双方向の存在を感じられるか。これをメンタルトレーニングしていく中で、足首だけで飛ぼうとしていたことに気づきました。地面からいただいたパワーを足首だけで受け止めていたのです。いかにもらったパワーを足首→膝→股関節→上半身へと流せるか。エネルギーを全身で受け止める感覚が生まれることで、自然に躍動感が増します。選手によれば、全身がスプリングになったような感覚になれたそうです。結果的に、足首への負担は減って、コンディションは格段によくなりました。

試合になると自然体でなくなるというのは、原因は一つではありません。むしろ、原因を特定しようとするほど、逆に部分にこだわってしまいます。全体でない部分はありません。ただ、人は思考の癖で、全体の外側に出てしまうのです。外側に出てしまった部分というのは、全体から切り離された部分です。なので、孤独になっていく。「〜だけ」という意識が発生します。これは心が感じるだけではなく、身体も同じです。全体とつながった部分を感じられるようになってくると、身体にも心にも安心感が生まれます。これが自然体というあり方の一つのアプローチです。


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