見出し画像

ボールが打てなくなったときのメンタルトレーニング

先日、山を歩いている時でした。周りの景色が私に近づいてきたのです。木が近づいてくる。葉っぱが大きくなる。私は前に向かって進んでいるのですから、周りの景色が動くのは当たり前ですよね。

しかし、言葉にすれば当たり前のようでも、普段の生活で本当に景色が目に飛び込んできているでしょうか。また、動いているように見えているでしょうか。これは、メンタルトレーニングにおいて大事なテーマです。

実は、多くのアスリート達がプレーしているとき、世界が止まっていることがよくあるのです。

まず、思考していると周りの世界は止まります。何かを考えながら歩いている時を思い出してみてください。恐らく景色を見ていても、その景色は止まっているか、ときどき思い出すくらいです。いずれにしてもリアルタイムで動いてはいません。

また、音はどうでしょうか。考えながら歩いていると、音は聞こえていないか、もしくは変化には気づきません。

これが世界は止まっているという状態です。

あるいは、人は常に何かをしようとします。考える。打とうとする。見ようとする。早く走ろうとする。何かをしようとすると、心はしようとすることでいっぱいになります。

結果的に、心と身体にスペースがないので、周りのものが入ることが出来ないのです。これは周りの世界と切り離されている状態です。

一方で、周りの世界が動いているとき、人の心は何かをしようとしていません。ただ受け取っているのです。

あるプロ野球選手は、バッティングに波があるのが課題でした。当たればホームラン、しかし一方で、当たらなければ三振。監督やコーチからは安定度をあげるためにコンパクトなスウィングを心がけるように指導されていましたが、今度は本来の思いきりのよいバッティングが消えてしまっていました。

バッティングのイメージはあるのですが、自分のイメージ通り振ってもボールを上手く捉えられないのです。

私がプレーを見ていると、「打ち気」がありすぎるように感じました。打ちたいと思うがあまりに、目に力が入っているのです。目に力が入ると、それが肩や首など他の部分への力みにつながります。肩の力を抜こうとして肩だけを意識してもそれは逆に緩みになってしまいます。それでは、自分のバッティングをすることはできません。

見ようとする目から受け取る目へのトレーニングを提案しました。

見ようとする目は、目に力が入っているので表面だけで見がちです。「見る」から「見える」くらいが受け取っている目の感覚です。

また、いかに「打つ」という意識を減らせるか。スウィングを直そうという修正を考えることや、相手ピッチャーがどんな球を投げてくるかという予想、三振してはいけないという否定などの思考を止めてもらいました。

その代わりに、どれくらい心にスペースがあるかを観察してもらいました。最初は、まったくスペースがない状態でバッターボックスに入っていたことが分かりました。これは、思考でのスウィング。思考でどれだけ打とうと頑張っても、ボールとバットとスウィングは噛み合いません。

いかに心のスペースが生まれるかを工夫するのがメンタルトレーニングです。たとえばボールを打つのではなく、ボールを受け取れるか。そんな受け身のイメージでバッティングをしてもらいました。

あるとき、ボールが自分の方にやってくるのが見えてきたそうです。ボールが大きくなりながら、イキイキと飛び込んできたのです。気がつくとバットが出ていました。止まっていた世界が動き始めた瞬間です。

練習を重ねる中で、人はつい打てるような気持ちになります。調子がよいと、コントロールできるような錯覚に陥るのです。もっともっと上手くなるために、いかに打つかという意識を強化してしまうのです。気がついたときには、以前のように振っているつもりでも、まったく思い通りに振れていないということが起きるのです。これがスランプに陥る罠です。

打とうとしていたとき、実はボールは止まっていたのです。自分が何かをしようとすると、周りの世界は止まります。これでは、どんなにスウィングを修正しても、タイミングが合いません。打ち気を減らし、心の中にスペースを作った結果、周りの世界との調和が生まれてきます。「打つ」ことと「やってくる」があって、はじめて会心の打撃になるのです。

もの足りないくらいで丁度いいのです。物足りようとすると、それは何か足りないものを埋めようと頭で考えているということ。



また、オリンピック出場を目指す走り幅跳びの選手は、踏切が上手くあわないことが悩みでした。

メンタルトレーニングの結果、力まず自然にトップスピードをむかえることができるようになっていました。しかし、最後の2歩を踏み切り板に合わせようとして減速してしまうのです。

わたしは、これを「つかまえにいく心」と表現しています。

いい踏切をするために、踏み切り板をつかまえにいくのです。これは、意識で無理矢理踏切を合わせようとしている状態といえます。

つかまえにいく心だと、どんなに練習しても身体と踏み切り板とはうまく合いません。これは世界が止まっている中で、跳ぼうとしている状態だからです。

自分が踏み切り板に向かって走っているということは、同時に踏み切り板がこちらにやってくるということです。

「こちらから走る」と「向こうからやってくる」の両方を感じられるか。

まずは、スタート地点から踏み切り板、そして着地点までをゆっくりと歩いてもらいました。そのとき、どう走るか、どう跳ぼうかと考えるのではなく、ただやってくる景色を感じてもらいました。

これを何回かやっていくうちに、だんだん景色が鮮やかに目に飛び込んでくるようになりました。周りの世界が動き始めた瞬間です。すると、身体の力がふっと抜けたそうです。

そしてふたたび跳んでもらったところ、踏み切り板が近づいてくるイメージで助走できました。その結果、減速することなくスムースに踏み切れたそうです。

これは、身体と踏み切り板が調和した状態です。心を外の世界にむけて開いた結果、自然に踏み切り板がやってきてくれたのです。

早く走ろう、遠くに飛ぼうとするほど、周りの世界を追いかけることになります。跳ぼうとする気持ちが強いほど、踏切は合わないのです。

周りの世界の動きが感じられるようになってくると、向こうから景色はやってきます。世界が走りに力を貸してくれるのです。その結果、自然に身体と踏み切り板がピタリと合うのです。

周りの世界との調和はどのスポーツでも肝になります。調子がよいときにこそ、「つかまえにいく心」が出過ぎないようにしましょう。

周りの世界は動いているか。ぜひいつも確認してください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?