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1人でメタルバンドをやるということ

私はZemethBloody Cumshotというワンマンメタル音楽プロジェクトで数々の楽曲リリースをしてきたJUNYAと申します。
基本的に音源のリリースは全て自主制作で、CDは委託販売のため全てインターネットの中のみで活動を続けており、ライブ等の活動は一切しておりませんし、イベントで音源を手売りしたりもまだしておりません。
Zemethでは”最強のメロディー”を作る事
Bloody Cumshotでは“最強のメタル”を作る事を目標に
2017年から約5年でアルバム4枚とEP1枚をリリースしましたが、やはり1人で音楽を続けていくのはかなりしんどい事も多く、20代の殆どの時間を制作に費やしてきました。

最近はサブスクの普及もあり海外でも存在を知られる様になり、やりたい事がもっと出来るような環境が整ってきました。
ここに至るまでどういった事をやってきたのかを、頭の整理をする為にも書き連ねます。
1人メタルをやるとどんな事になるのかと興味のある方や、同じように音楽活動をする人へのヒントになる事が"もしかしたら"あるかもしれないので、読んで頂ければ幸いです。
良い事悪い事も満遍なく書いていきます。

起源 (2014年頃)


遡る事11~12歳の頃、MIGHTY OBSTACLEを始めとしたイース悪魔城等のネオクラシカルメタル系ゲーム音楽から音楽&DTMにのめり込み17歳の時VOCALOIDを使用した楽曲をニコニコで出しつつ、ニコニコが衰退し始めた時期にメタル音楽プロジェクトを始める計画を立てました。
過去の事は番外編として後々書こうかと思ってます。

18歳の頃本当にやりたい音楽を探しながら日々作曲を続けていました。
自分のルーツがゲーム音楽なので本当はインストをやりたかったのですが、インストオンリーでの作品というものは、ゲーム(最近では特に音楽ゲーム等)に収録されない限りはあまり聴かれる機会が少ないと感じ、ヴォーカルありの楽曲を作る事に決めました。
小室進行/四度進行と呼ばれるコード進行が何よりも好きなので、そのコード進行をふんだんに使えてそれが映えるメタルという事で、初めはメロディックスピードメタル or メロディックデスメタルかもしくはどちらもやるプロジェクトの設立を考えていましたが、理想とするメロディーの音数の多さや音の動き的に人間が歌える範疇を超えてしまう為、メロディーはギターやシンセに任せ、歌詞も吹き込めてヴォーカルをリズム隊と同じ様な役割に出来るジャンルということでメロディックデスメタルを始めることにしました。
メロデスを作る為に始めた!というよりは表現の手段としてメロデスを選びました。

当時は自分が作った楽曲を動画サイトに投稿したり、コンピレーションアルバムに参加する以外に楽曲を発信した事が無く、CDを流通させたりそれをどの様に人に聴いてもらうのか全く分からない状態でした。
私は生まれも育ちも北海道の田舎で音楽関係の人脈は全く無く、ネットでも自分から他人に関わることが無かった為音楽活動についてのノウハウは皆無でした。
その時同郷のメタルバンド、GYZE(現:RYUJIN)Ryoji様にSNSを通して声をかけて頂き、後に音楽活動に関わる事は数回のミーティングの中で彼から教わる事となります。

Zemeth 1stアルバム(2015~2017年)

19歳の頃不慮の事故で見事に足の甲を剥離骨折した僕。
入院先はもちろんインターネット環境も無く、スマホも使い過ぎて速度制限付き。
やる事が無い反動からか術後の痛みからかとにかくヤケクソでデモを作りまくりました。
速度制限のかかったスマホの電波で病室から1曲Zemethとしてのデモを投稿したのが手術から数日後。

僕は基本的に行動に移すのがだるい性格だったのですが、この頃は意欲的でとにかく必死でデモを作りリハビリに励みました。
メロデスを始めようと決心が固まった瞬間だったと思います。
Zemethの名前の由来は、作曲を始めるきっかけになった一番好きな音楽MIGHTY OBSTACLEのヴォーカルバージョン"MIGHTY OBSTACLE ~The Wind of Zemeth"からで、Zemethという単語はイース6の中に登場する聖地の名前です。

2015年の冬にbandcampで全編打ち込みのシングル“VALENTINE LIBIDO”をリリースしました。
後に1stアルバムにも収録するのですが、楽曲の内容は大幅に変わっています。
ヴォーカルの録音をカラオケボックスでやったり、打ち込み臭さを消そうと変なミキシングをしたりと試行錯誤の連続でした。

その後2年間1stアルバムの制作をしていたのですが、今作で初めて自分で弾いたギターを世に出す事になります。
ヴォーカルはSM58で録って少しクリーンも入れたりと、不慣れな事ばかりで今聴くとかなり痛々しい音に仕上がってしまっています。
Zemeth創立以前はミキシングについてまともに考えたことも無く、とにかく打ち込んでEQやコンプをいじらず適当に挿してプリセットを選びWAVES L3を挿してガッツリ潰して終わりという感じでしたが、アルバムを出すという事で気合を入れて色々いじり過ぎて、下手にいじりすぎたのが裏目に出てメタルサウンドが崩れシンセが目立ち打ち込み臭さが際立ち、「こんなものはメタルでは無い」という意見も頂きました。
アルバムを作るからにはちゃんとしなければという意識が強かったのですが、やっぱりミキシングはプロに任せるか、基礎から勉強をすべきだと思ってます。(僕は現在もセルフでやってます)

リリース予定日半年前くらいから人間関係で重大な問題が起き、周りの人にもかなり迷惑をかけてしまいました。
PCを壊されたり、身体に一生残るような傷が付いたり、指をハムスターに噛まれ血を流しながらギターを録ったりと人生で一番しんどくなった期間でした。
ご飯が食べれなくなって辛うじてゴマつぶだけを食べる生活をしながら2週間で体重が7キロ落ちたりここで人生を諦める選択を取っていた可能性もありました。
当時はただただ自分の人生の事よりもZemethの1stリリースを守る為に必死でした。
今思えば本当にギリギリで狂ってたと思います。
その1stリリースの流通でお世話になったのがdiskunion様で、現在も全てのリリースの流通をお願しております。
そして、自主制作のZemethにとってかなり力になったと感じたのが激ロック様に取り上げて頂いた事です。
マイナーでレーベルに所属もしていないぽっと出のソロプロジェクトが有名誌に取り上げて頂けるとは思って居なかったのでブランディングを確立する上でかなりのサポートになったと思います。

Zemeth初の激ロック掲載号ですが、インタビューで変に痛いキャラ作りしようとして失敗しました。次の掲載からは段々ふざけはじめます、ごめんなさい。


ゲストとしてGYZERyoji様に参加して頂いた事もZemethが話題に上がった要因の1つだったと思います。
耽美的な世界観を後押しして頂いたリブユウキ様のアートワークも最高でした。元々Zemethが目指すイメージは定まっていなかったのですが、アートワークにより明確なスタイルが決まりました。
あと自分自身のアイデアで良かったなと思うところは、ジャンルを“哀愁歌謡ノスタルジックメロディックデスメタル”と称した事です。
小学生が考えたようなバカ長いジャンル名がややウケしたことに僕もややウケしました。

ZemethはDIY精神全開の職人プロジェクトです。自分が表現したい世界は自分で作っていくということをモットーに活動をしています。
アー写は自撮り+セルフPhotoshop
リリックビデオも自作、アートワーク関係以外のデザインも自分で行いました。
質がどうかは置いておいてここはVOCALOIDの楽曲を制作していた時の経験が生きたと思ってます。

1stアルバムはTHE 賛否両論という感じで、“世界で一番メロディーが詰まってる…クサメロ極振り超マニア向け音楽…メタルかと言うと微妙…金太郎飴…C級メタル…”という意見が多かったです。前述の通りまだ問題点が多かったのは否めません。
ただメロディーは本当に傑作だと思っていて、それがリスナーの皆様にも伝わったのかCDの売上は今まででこの1stが一番多く既に廃盤になってます。(ギリギリサブスク普及前というのもあったのかも)
この時見向きもされない作品を作ってしまっていたらメンタル的にも経済的にもZemethを続ける事は困難だったと思います。
ちなみにZemethのアルバムの全曲解説を公式HPに載せており、とにかく我が子LOVEな育児日記みたいな事を書き殴り始めたりもしました。

完璧では無いけれども最高の作品が出来たと手応えを感じ、人生における問題も解決した為、リリース後にはすぐ2ndアルバムの制作も決心します。

ただここからは前に比べると割と受身的な活動になっていきます。

Zemeth 2ndアルバム(2018年)

というのもリリース前に起きた問題から人間不信感が強くなり精神的な問題を抱え人との関係を少しづつ遮断するようになってしまい、オンシーズンになると海外で現実逃避をする事が増え、海外で人間関係を作るようになりました。
1stアルバムを気に入って下さったオーストラリアの映画ディレクターの方から映画音楽制作の依頼を頂き、海外映画の音楽を担当したのも初の経験でした。彼が日本メタルファンだったとはいえ、奇跡のような機会を頂きました。

Song without wordsという映画で、音楽がメインテーマとなった映画で僕の音楽主軸に置いて展開していく映像を見た時は正直感動というか笑いが止まらなかったです。多分人は感動し過ぎると笑いが止まらなくなります。というかタイトルの通り殆どセリフのない映画なので、役者のバックで1stアルバムのピアノアレンジ楽曲が延々流れているのが面白すぎました。最高でした。
Zemethガチ勢のオーストラリア人ディレクター兼役者のフレドリックとは札幌でミーティングをした事もあり、今もたまに連絡を取り合っている数少ない関係者の1人です。

色々あっても自分の音楽と向き合う時間は増え、制作は順調に進むのですが、問題だったのは1年という短いスパンでのリリースの為ネタ切れや、前作と似た感じの作風になってしまいました。
ミキシングも殆ど成長が無いまま次作の制作に移ってしまったので、音質的な問題を抱えたままでした。
僕はライブをしないので音源配信以外のアクションを起こせません。アルバム一発屋で終わらない為に、人に忘れられないようにする為に毎年継続的なリリースを続ける事が最優先だと思い必死で曲を制作する日々。
この頃から毎日睡眠時間が短くなり、昼夜逆転を何度も繰り返すようになりとにかく酷い生活を送るようになります。
それが引き金となり精神状態は更に悪化し限界が近かったのですが、とにかく次のリリースの事しか見えてなかった。
レコーディング途中、北海道地震による停電で絶叫したり、毎日2時間睡眠で制作を続けた上行ったブラダリの来日公演のキャトルデカピテイションの音圧で気絶しかけたり、色々ありました。

2018年11月に無事リリースにこぎ着きましたが、プレス業者に納品してからリリース日まではとにかく不安な日々でした。
前作が賛否両論だったので今作がどの様な評価を頂くことになるか不安と緊張で押し潰されそうでした。

それとZemethを始めてからの大きな問題だったのですが、他人の音楽を聴く余裕というものが無くなっていたのです。
制作で毎日自分の曲を聴いた影響で楽器の音を聴く事にストレスを覚えるようになってしまい、普段はずっとYouTubeで人が何かを喋る動画ばかりを見るようになり、自然と音楽を避けるようになりました。この問題は正直今も解決しておらず、本当に心が安定している時しか音楽を聴けません。
そんなリリースまでの期間に、心の支えとなる程の存在になったのが人間椅子で、音楽を聴く事がしんどかった自分に唯一音楽で安らぎを与えてくれました。

2ndのリリースも個人的にはそこそこ成功したと思います。
アルバム購入者限定の特典を配布するアイデアを実行したのが今作からで、アイデアの元となったのはゲーム実況&音楽グループ"M.S.S Project"のSNS企画で、アドトラック(バスだったかな?)を街で見かけた人は写真撮ってツイートしてね!抽選で特典あげる!というものを応用した形になります。
アルバム購入者は僕をフォローしてハッシュタグをつけてCDフィジカルの写真をツイートしてください!というもので、投稿者全員にDMで特典配布をするというめちゃくちゃ力技なものでしたが、初回でもとても多くの方々に投稿をして頂き、そのツイートが更に多くの人の目に留まるという良い結果に繋がったと思います。

オリコンランキングにもかなり下の方ですが載ることにもなり、ディスクユニオンHR/HMチャートでも年明けまでランクインし続けたりと、Zemethを少しづつ成長させる事が楽しくもあり誇らしくもありました。
ただ、本音を言うと精神的な限界が見えつつありました。
昔は無料で何のリスクもなしにただ音楽を公開して満足していたのですが、音楽を公開する事で対価を得る事、リスナー様の期待に応えなければならない、クオリティを上げなきゃいけない、納期がある、リリースに向けて色んな人が動く事への責任感、、、
勢いで始めたプロジェクトで猪突猛進に制作を続けていましたが、気がつくともう後には戻れない所にまで来てしまったという感じがしました
(結局は僕の中での思い込みばかりですが、、)

そこで3rdアルバムリリースを機にZemethの幕を閉じようと考えました。
全てリセットしてまた適当にマイペースな音楽作りに戻ろうと考えたのです。

Zemeth 3rdアルバム(2019年)


故に3rdアルバムは今まで以上の作品にしなければいけないという思いに駆られます。
そこからはいつも以上に音楽作りに関する勉強をし、繰り返しサウンドメイクをしながら楽曲の内容も磨いていきました。
睡眠時間を意図的に削る訳ではなく、1秒でも多く自分の音楽と向き合わないと不安で眠れなくなる日々になりました。
眠くなったらタバスコやワサビを飲んで気合いを入れました。ワサビを食べた時ずんだ餅みたいな味を感じた時は本当に頭がおかしくなっちゃったと思いました。
SNSにも力を入れるようになったのもこの頃からだったと思います。何も考えずにツイートしてた昔と変わりちゃんと自分の考えやアピールを発信する事を心掛けました。
これは昔からやってた事ですがTwitterではエゴサをしまくって絶賛ツイートも批判ツイートも超速いいねをしまくったことで、こいつはやべぇ奴だという印象を持ってもらおうと思ってやってました。良くも悪くも印象を与える事は大事だと思います。

この時点で何でレーベルに所属しないの?ミキシング/マスタリングを外注しないの?
という疑問を持つ方が大半だと思いますが、とにかく始めた当初からのZemethを自分自身出作り上げていきたいという思いが強すぎる事、Zemethと共に自分を成長させる事、将来的には全てを自分で出来るようになる為にレベル上げのような感覚でやってきました。
また、エゴが強すぎる音楽性なので他者を介入させにくいという面もありました。
しかし現在はその考えも少しづつ変わってきてはいます。

3rdアルバムのリリース前後に始めたことの1つとして、J-POPのメロデスカバーがあります。

(歴代シリーズで一番好評だった西野カナのカバー)

1stリリース後に気分でぱっとカービィのエアライドのコルダのカバーはやったのですが、ゲーム音楽カバーは太古にネット上の文化として確立されておりかなりの数がネット上にあって飽和気味なため、邦楽カバーを選びました。
昔から邦楽をカバーしてみたいという思いがあり、知ってる曲なら誰でも興味を持ちやすい事からZemeth自体の宣伝にも繋がると思い実行しました。
哀愁歌謡ノスタルジックメロデスを名乗ってるんだから歌謡曲カバーしろよボケイモムシ!と思う方も居るかもしれませんが、歌謡曲をカバーしたらもうそれはZemethになっちゃいます。
歌謡曲は意外とロマサガ風アレンジとかをされててHR/HMとの相性はバツグンなのは分かるのですが、意外性ややりたい事を優先してやりたかったので子供の頃、親の車とかテレビでよく聴いてた歌を懐かしみながらアレンジをしました。
個人的にバズ目当てで流行曲のカバーを連発する様な事は出来ないので、カバー出来るのは結局思い入れのある曲に限られてしまいます。
セツナ系J-POP(死語)なんかは特にメロデスとの相性が良いと思うので今後も継続して続けていきたいコンテンツです。

また、ライブのお誘いを頂くことが何度かありました。
1人グラインドコアみたいなバンドもありますが、メロデスでそれをやるのはあまりにも滑稽過ぎるので全てお断りしました。
僕自身普段はギタリスト、ヴォーカリストとしての意識は無く、演者としてのモチベーションが正直あまりありません。
サポートメンバーを入れるならばそれなりのギャランティが発生しますし、自主制作である以上よっぽど事がない限りは実現は難しいと思います。ただ実際すれば夢の様だと思います。
しかし、本音は制作に集中したいという気持ちが強いです。

この頃DEADLY NOSTALGIAというZemethの代表的な曲がBeat Saberという音楽ゲームで少し人気になってました。
(界隈のインフルエンサーがプレイ動画を上げたのがきっかけ?)
多分譜面の難易度が高かったのもあったのか結構多くの方々にプレイして頂けたのだと思います。
元々サブスクに偏見は無かったので1stリリースの頃から配信は始めていましたが、明確にリスナー数が増加していったのはこの頃だったと思います。

3rdアルバムのリリースも成功だったかと思います。
しかし年々フィジカルの売り上げは右肩下がりになっていきます。
今作は今までよりもバリエーション豊かにしようと、小室/四度進行以外のキラーメロディーを沢山作る事を意識しました。特に各曲のサビは今まで以上に幅の広いメロディーが聴けるようになったと思います。
タイトルトラックのNOSTALGISMは、地元の景色が徐々に変わっていくのを目の当たりにして懐古主義な自分に向けて、過去も良かったが未来を見据えて生きるというテーマで自分に言い聞かせるようなつもりで作った曲です。正にZemeth三部作の集大成で、最後に相応しい曲だと思いました。
diskunionの全ジャンルのチャートでもランクインしたり、初回の売り上げはそこそこ多かったのを感じました。

これでZemethに終止符を打とうと考えていました。
ただリリース後にある種の喪失感の様なものを覚え、自分が生きる理由さえもわからなくなり… 勢いで始めたはずのZemethは自身の他に代え難いアイデンティティとなっていたのです。
それに加えリスナーの皆様から絶賛を頂いたこともあり、ここでZemethを終わらせるのは大きな損失になると感じました。
そこで思えばバンドでもない、ライブもしてないのにわざわざプロジェクトを閉める必要って…あるぅ?と思い、勢いで適当言った事を後悔しました。

結果的にZemethは続けることにしました。
ただ3年連続のリリースはあまりにも精神に負担が多すぎるのと、新しい音楽の可能性を追求するための時間が欲しかった為、少し休憩をする事に決めました。

次の作品へ…(2020年)

2020年、早々に某やばい病気が流行しました。
そこで僕自身今まで以上に時間が出来てしまい、リリースの予定も無いので気楽に音楽と向き合う事が出来るようになりました。
よりメタルらしい音を作るためにYouTubeのmixing tips動画を漁り、トライアンドエラーを繰り返し徐々に狙った音作りが少し出来るようになりました。
ただ今まで努力してきた呆けてしまった1年間でもありました、今考えるともっと音楽の為に出来る事があったのかなと雑な時間の使い方をした様な気がしてならない。
ワンマンプロジェクトの悪いところの1つとして悩みを誰かに共有出来ないこと
外部に漏らしたくない類の悩みを相談する相手が居らず、自己解決するしかない。
僕はわりと音楽に関係無い周りの人にもデモを聴いてもらったり相談しちゃったりしたのだけど、結局根本的な解決にはならなかった。
常に孤独との戦いだったけどもそのおかげでより努力が出来るようになり良い作品を沢山作ることが出来たという面もあります。

チュウニズムという音楽ゲームの楽曲公募にも応募しました。
新しい挑戦をしていこうと、目に付いたものにどんどん食いついていきました。
結果は残念ながら採用にはなりませんでしたが、楽曲の時間制限のある中展開を考えなければならなかったので自分の作曲スキルアップに繋がる良い経験になりました。

Zemethとしては初の試みとなるグッズとしてTシャツの受注生産も挑戦しました。
この時は梱包や発送で音楽制作には全然集中出来なくなってしまっていたので、グッズ作りの大変さを思い知りました。


地道に音の研究をしつつ、1stアルバムのDEADLY NOSTALGIAリマスター配信し、カバー曲をYouTubeに投稿しつつ、2020年の11月に将来アルバムに収録予定のHIBISKUSという曲のデモをYouTubeに公開しました、こちらの楽曲は脱メタルをしてラテン風の要素もあるJ-POPを目指したものです。


そして12月オーストリアで寝てた時にいきなり“Bloody Cumshot”という名前が頭に浮かび、帰国後にガッツリデモを作りこみました。

Bloody Cumshot 1stアルバム(2021年)


音楽性はスウェディッシュデスメタルブラックメタルをやりたいと思ってました。
元々、国籍や僕がやってるという事を隠して全く新しい音楽プロジェクトを始めようとは思っていましたが、ぽっと出のメタルバンドがリスナー様を集めるのは難しいと感じ、Zemethを聴いてきた方々にも聴いて頂きたい思いもあったのでZemethの姉妹プロジェクト(姉妹都市的な感じだけどこんな言い回しあるのか?)という立ち位置のプロジェクトとして世に出す事を決めました。直球で言えばZemethの金魚のフンです。例えるならヒカキンの人気に乗じたセイ…なんでもないです。
まず名前がセンシティブなコンテンツだということでFacebookのページ作りが難航したり、曲名も酷いのでTwitterで広告が打てなかったりと踏んだり蹴ったりな扱いを受けました。いや、当たり前です。

事件現場


そしてこんな名前にしたが故に多方面から名前についての質問が押し寄せた。
とてつもなく後処理の大変なネーミングとなりました…Cumshotだけに後処理が大変ってね

はい?


diskunionでもトップページに“Zemethの姉妹プロジェクト”として掲載して頂いたりと目立てば目立つほど段々なんでこんな名前にしたんや、、と後悔もしましたが、決めたからには全力でBloody Cumshotをやろうと決心しました。
無事リリースをしました……が、某病気の影響やCDオワコン時代の影響もあったと思いますが、とにかくフィジカルの売上が落ちました。SNSでのインプレッション数は前に比べて増えたのですがCDの価値が薄れてしまい、デジタルに移行した方がいいのかなと感じたのは本作からです。
今までは基本的にCDの売り上げが制作費回収や、次作制作費、設備投資への大きな要となっていたのですが、赤字は免れてもCDでは次の制作に活かせる程は残らなかったです。
ただ、相対的に増えたのはデジタルの収入でした。
リリース直後はそこまで沢山聴かれる事は無く、一発フィニッシュな音楽プロジェクトで終わりかな、、と感じていたのですが…
やはり名前は強し、数ヵ月後に海外のメタルコミュニティで一気に名前が知れ渡り、Spotifyのリスナーが一気に数千人に増えました。
Angry Metal Guyが発端となり、METAL STORMという老舗サイトでは2021年メロデスベストランキング入りもしました。
各所コメント欄では「名前は酷いが最高のメロデス」「名前が酷すぎて聴く気にならん」「Dying Fetusとかと並ぶくらい酷いバンド名」「ポルノグラインドじゃないのか…」と、設立当初の思惑通りの反応を沢山頂きました。
そこからZemethにも興味を持って頂いたリスナーも増え、サブスクの大きな恩恵を受けました。

Zemeth 1st ミニアルバム(2022年)

そろそろZemethに大きな変化を与えたいと思うようになり、2022年の初め頃Zemethのシングルのリリースを計画します。
しかし、メタルでシングル……絶対不発に終わる未来しか見えなかったので急遽2曲予定から6曲に増やし、EPとして世に出すことを決めました。
もうZemethでやりたかったメロデスは充分やったと感じており、そろそろ他の音楽性を見出したいと常日頃考えてました。
そこで、高校生の時にリリースした曲で、そこそこ人気だった“狂愛ロンリネス”という曲を10年ぶりにリメイクしようと考え制作を進めました。
そこで初めて導入したのが女性ヴォーカルです。

2022年前半は久しぶりにかなり精神的に辛い時期だったので、制作はかなり難航しました。
上手くいかないのが人生だなぁと何度も思いましたが、なんとか今は持ち直しているので大丈夫そうです。

ロシアのメタル雑誌掲載ということでBloody Cumshotのインタビューを受けたのですが、その最中に戦争が始まったので実物を送って貰うのに時間がかかりました。

ZemethではCDジャケットをイラストにするという試み+女性ヴォーカルで、Zemethの新しい可能性を見出してこうと思いました。
楽曲面ではやりたい音楽だけをやりたい放題だった今までとは打って変わってもっとバリエーションを豊かにしていこうと、没曲を再アレンジしたり過去曲をリメイクしたり色々試行錯誤をしました。ストックやリメイクが多かったので、EPの為に作った新曲は実質2曲だけでした。

リリース前に事件が起きました。
diskunionから個人情報流出+オンラインショップ一時閉鎖というZemethにとってかなりの痛手となる出来事が起きました。
diskunion限定の特典付きでオンラインショップで買われる方も多いとは思いますが、まずそこが断たれてしまうとショップの近くに住んでいる方以外には入手が困難になってしまいます。
その為急遽Twitterの写真投稿特典企画も用意しました。
リリースは無事にできましたが、自主制作だと流通が弱くAmazonでも品切れが続出…タワレコやHMVでも品切れと、売り切れ状態が長く続き、発送は1ヶ月後~未定という方も。
その影響も大きかったのか初回の売上は予想以上に少なく、制作費も結構かかったので赤字も覚悟をしました。(後に赤字は何とか免れました)
この時にやはり第三者の力を借りないと今後は成り立たないと強く感じました。
時代はデジタルが主流になった今、個人がサブミットをした所でSpotifyの大きなプレイリストに入ることも無く、海外と繋がりのあるディストリビューターから配信をしないとまず多くの人に聴かれるのは難しいと思います。そういうディストリビューターに直で連絡しましたが返事すら無かったのでメンヘラ発動しました。
あと、わかりやすいジャンル分けが出来ない音楽はプレイリストに入りにくいと思います。例えばデスメタルが主なプレイリストだったらデスメタルらしさが強く求められているような。いや当たり前なんだけど。
Spotifyのアルゴリズム的にZemethはジャパニーズメロデスという認識になるので、全編女性クリーンボイスの狂愛LONELINESSですら“メロデス”のプレイリストに入ってしまいます。
これ“パワーメタル”とか“フィメールメタル”みたいなタグ付けはいつかされるんでしょうか?有識者求む。

そんなこんなでなんとかアートワークの皐月 恵様やヴォーカルのnayuta様から興味を持って頂いた方が居たり、中国のビリビリでMVがちょい伸びしてそこから興味を持って頂いた方が居たり、今までのZemethでは聴かれる事がなかった様なルートからのリスナーの方々が増えました。
敢えてメタル畑外の方に協力して頂くことで、新しい方々に知って頂ける良い機会になったと思います。
2024年リリース予定の4thアルバムではその方向性がもっと強まりそうで、多分ガチガチなメタルというより同人音楽的な感じになりそうな気がします。
昔から個人的にはピュアなメタルでいきたい気持ちが強かったのですが音楽性はTHE JAPANなので、段々日本的な要素をもっと強めていった方がより海外では注目されるのでは無いかという考えが固まっていきました。

そして今へ至る(2022~2023年)

EPリリースも無事に済み、今まで制作を続けてきた場を離れ、引越し先で新たな環境を構築しました。
落ち着いた頃、突然海外のヴィジュアル系ファンのコミュニティ内でBloody Cumshotが話題になりました。
いやなんでやねん!と思ったのですがZemethではなくBloody Cumshotでした。
名前を見て怪しみながらも聴いたら衝撃を受けたというVkeiリスナーが沢山いらっしゃって、ネタ的な感じでBloody Cumshotは一時的に人気(?)になりました。
「名前が酷すぎてメタラーのパパにオススメ出来ない」
「このバンドをオススメしたらブロックされた」
「Q,ひどいバンド名といえば?A,“Bloody Cumshot” “Bloody Cumshot” “Anal Cunt”」
「良いバンド見つけたぜ、名前はね、、“Bloody Cumshot” リプライ “ワロタ” “きも”」

僕が夢見ていたBloody Cumshotの扱い方をしてくれていて本当に感動しました。

(制作中のBloody Cumshotの2ndから収録予定曲の先行配信)

この現象やサブスクの普及により、現在のSNS関係の新規フォロワー様は9割が海外の方々です。
実際に海外の方に向けて"どこで僕の音楽を知りましたか?"という質問をしましたが、大多数が仲間内やSNSでのシェアやSpotifyからでした。


日本のメタラー、音楽ファンの方々には中々興味を持って貰えない現状なのが辛いところ。それでも定期的にシェア、布教してくださる方が居るのは本当にありがたいことです。
昔はリプライはたまにしか返していなかったのですが、最近は必ず返します。拡散やコメントを下さる方々は本当に感謝してもしきれないほど大きなサポートになっています。
僕一人ではやはり無力、広告を打つことも無く運も無い人間なので、YouTubeとかTikTok大バズりでもしない限り自主制作の音楽が伸びることは難しいと思います。
ほとんどの音楽やバンドの裏には沢山の大人が居て沢山のお金が使われています。
僕の音楽はもちろん流通等では人に動いて頂いておりますが、どこかに所属しているアーティストさんに比べれば規模はかなり小さいと思います。
広告も激ロック様にお願いしているところ以外は個人でTwitterでちょろっと打ったくらいです。
(かなり前ですがFacebookで広告打とうとクレカ登録してたのですが、Facebook乗っ取られてFacebook経由でInstagramに中華の怪しいショップの広告20万円分くらい出された経験あるので要注意 ※返金されました)

やっぱり知られる為には大人が沢山動いてお金が使われていかないと難しいのだと思います、だって音楽がタダや定額で死ぬほど簡単に聴けてYouTubeにも星の数ほど音楽が転がってるんだから。
自分の音楽がそうだと言う訳では無いですが、やっぱりどんなに良い音楽でも見つけられないと伸びる事ができないと思います。
だからこそ自分の好きなものや応援したいものはシェアして欲しい!誰かに共有して欲しい!!
聴いて好きだ!と思ったらSNSに殴り書いて欲しい!

特に最近感じたのは海外のヴィジュアル系のファンは凄いです、自国ではGoogleにヒットしないような他国のバンドの情報を調べて翻訳して知り音楽を仲間にシェアしていますし、その拡散力はかなり強いです。音楽への強い情熱を感じました。

日本も全体的にネガティブな出来事が多くなり余裕が無い人が多くなり、SNS上に蔓延る言葉はマイナスなものが多く、不幸な人は自分より不幸な人を探し幸せな人を目の敵にしている様に感じます。
絶対ネガティブな事より好きな音楽について語る方が楽しいと思うので、皆で娯楽を楽しみ好きなものを好きなだけ好きと言える世界が来るといいなぁと思います。

2023年はアルバムを2枚出します。
2024年もアルバムを1枚出します。

1人でこれだけ勢力的に制作を続ける為にはそれなりの犠牲と努力が必要です。
次のアルバムを出すためにアルバムを作り続ける、そんな生活を送っています。
人によってはその程度の知名度で?クオリティで?勝手にやってろと考えるかもしれませんが、趣味の領域から利益が発生するような活動に移行した瞬間どんな人でも自分の音楽に責任感を感じると思います。毎日プレッシャーがかかります。

というか、僕の場合は自分の一番の敵は自分自身でした。
自分の諸々を犠牲にしてでも自分が納得いく音楽を作ることが出来ないと生きていけない身体になってしまって、それをたくさんの人にも認めて貰えないとそれも納得いかなくて次の制作に取り掛かり続けるので、現代に蔓延る気味の悪い承認欲求の波に完全に飲み込まれてしまってます。
実際音楽の好みなんて十人十色だからもちろん全員が頷く様な曲なんて無いんですけどね!

自分の目指す芸術の為に身を削るくらいなら、多分何も考えないでYouTubeとかNetflixとかおもしろフラッシュとか見てる方が楽だし苦労しないです。

誰にも聴かれなくても好きに音楽を作れればそれでいいとか、音楽が出来るのが楽しくて楽しくて幸せだ!という方も居ると思います。
僕も作曲し始めの頃はそうでしたが、誰かに聴いて頂くというイベントが起きると今後は絶対に聴かれることを意識してしまうと思います。
綺麗事だけで動ける程人間は簡単な生き物じゃないと思います。
何かを生み出すということは身を削ってやらなければならない事です。
僕はもう音楽を作っても病むし、音楽を辞めても病むようなどっちに傾いても地獄状態になってしまっています。でもその領域までいかないと本当に自分含めた大多数の人間が満足するような音楽は作ることが出来ないとも思ってます。
事務所等どこかに所属していなくとも個人で多数の人を集めるインフルエンサーが多岐にわたるジャンルで誕生しているので、レーベルと契約したりしなくても一応僕の様に音楽は出来ますが…一人で数人分の作業をするためのDIY精神と努力が必要となります。
無理なら外注しましょう。

僕はそんな状況でも何よりも自分の新曲を聴く事が楽しみなので死ぬまで続ける覚悟ですけどね!
ここまで続けることが出来ているのはリスナーの皆様のおかげで、嬉しい事と言えばやっぱりファンの皆様の言葉です。
ストレスがある時に聴くと癒されるという方や、本当につらい時の支えになった、墓場まで持っていく音楽になったという言葉も頂きました。
更にはZemethがきっかけでメタルやメロデスを聴き始めたという方、Zemethのように何かを生み出したくて物を作る職業に就職されたという方も。
ここに挙げきれないほどの言葉を頂いてきました。

大変だとしても最高の音楽がこの世に生まれればなんでもいいと思うし、色んなクリエイターによって色んな音楽が生まれ続けていて欲しいと思います。
結局何が言いたいのかまとまらないまま勢いで1万5000字近く書いてしまいましたが、これが"僕なりの"1人で音楽をやると言う事でした。

ちなみに散々書いてきましたが、最近はちゃんと睡眠取れてますし、たまごっちを育てようかと毎日考えているくらい余裕あるので大丈夫です!!!

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