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『狂った果実』(1956年版) 石原裕次郎の出世作。逗子・鎌倉がロケ地。ヌーヴェルバーグに大きな影響を与えた。

評価 ☆☆



あらすじ
鎌倉に住んでいる滝島夏久と春次の兄弟は、鎌倉駅から電車に乗って逗子へと向かった。モーターボートを楽しむ予定だった。逗子駅で、春次は美しい女とすれ違うが、真面目な春次はかけることができなかった。



僕は湘南に住んでいるので、『狂った果実』は地元の映画ということになる。昔の鎌倉や逗子と、いまとでは、人気の店の種類や時代背景もぜんぜん違うので、正確な意味で地元映画といえるかどうかはわからない。昔の湘南は壮絶なくらいひとが多くて、人気スポットもひとでいっぱいだったみたいです。いまも夏は多いけど。地元の人は夏に海に近づきません。うるさいから。



ところが、ひょんなことから、この『狂った果実』のスチール写真を見ることがあったのだが、なんと鎌倉の町並みはほとんど変わっていなかった。ある江ノ電近くの花屋さんなんて当時の写真そのままでいまでもある。こういうのを見ると、映画の撮影が本当にあったんだなぁ、としみじみ思ってしまう。当たり前のことなんだけど、実感というのはそういうものである。



話は全然違うけど、数年前に、30年以上ぶりにあるラーメン屋さんに再訪したことがあった。若い頃にその店でよく味噌ラーメンを食べていた。どんぶりがすり鉢みたいな形をしていたのを覚えていた。本当に久しぶりに行くと、店はちゃんと存在していて、すべてのものがしっかりと年を取っていた。店主は白髪が増え、店の中は掃除が行き届いているけれど、あらゆるものが古くなっていた。



味噌ラーメンを注文した。まもなくして僕の前に出されたラーメンは、すり鉢のようなどんぶりではなく、本当に重い大きなすり鉢に入っていたのだ。記憶とは曖昧なものだ。驚いたのはこのラーメンを食べた次の瞬間だった。無口な店主は、毎日毎日、30年以上もこのラーメンを作り続けてきたのだろう。その凄みを感じることができる味だった。



正直、あっけに取られた。懐かしさなどを通り過ぎたものが、この世には存在するのだ。人気? お金? 馬鹿にするんじゃない。生活とはこういうもんだよ。生きるとはこういうことだ。そんな味だった。驚いて店主を見ると、30年以上前と同様、伏し目がちに無口に彼はラーメンを作り続けているだけだった。



話を戻そう。『狂った果実』は刺激的でクールである。文学で「内容よりもスタイルが重要」といったのは村上春樹だったような気がするが、中平康も同じような匂いがする。カメラアングル、陰影のつけ方、ドリーショットが抜群に上手い。彼の映像はナイフみたいに鋭くてスタイリッシュだ。フランス映画みたいに乾いている。事実、ヌーヴェルバーグと呼ばれる1950~60年代のフランス映画のムーヴメントでは、この『狂った果実』に対する評価は非常に高かった。



映画は原作、脚本が石原慎太郎だった。「主役は石原裕次郎に。津川雅彦を出演させることも」条件で作り上げたという。この映画が実質的な石原裕次郎の主演初作品となった。結果、作品は大ヒットし、太陽族という一大ブームを巻き起こした。音楽は武満徹。結構凄いスタッフである。



石原裕次郎はかっこよくて、北原三枝は美人で、長門裕之はサザンの桑田そっくりで、岡田真澄は痩せてハンサムで、海はギラギラしている。エネルギーが凝縮してる、って感じの映画である。



時折、「やりすぎじゃないの? 」というくらいの過剰なカメラアングルがあったりもする。台詞回しも過剰で、そんなにべらべら話さないって、くらい登場人物たちが喋る。



話もきわどい。いまリメイクしたら、エッチなシーンばかりになりそうなくらいセックスに関する話題が入っている。それらを即物的に見せるのではなく、描写をわざを外している。そのほうが想像力を掻き立てられたりもする。



ラストは衝撃で映画的である。中平康監督は凄い。もっと再評価されていいのに。



中平康のことを考えていると、あのラーメン屋のことを思い出す。そして、人気やお金ばかり気にする自分のことを、ちょっとだけ恥ずかしく思ったりもする。少なくとも世の中には、そういう、ある境界を越えた「何か」が存在するのだ。間違いなく。



初出 「西参道シネマブログ」 2005-01-09



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