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『とべない沈黙』 加賀まりこが存在感を放つ。アヴァンギャルド映画入門編。

評価 ☆



あらすじ
北海道の昆虫好きの少年がナガサキアゲハの標本を見つめていた。虫取りに行った少年はナガサキアゲハを発見した。必死にその蝶を追いかけ、やっと捕まえた。少年は教師に蝶を見せるが北海道にナガサキアゲハはいないといわれる。



映画とは出会いである。どこかの格言みたいだけど、なかなか観たくても観ることができなかった映画がいっぱいある。つきあったことのないタイプの女性がまだまだ世の中に数多くいるみたいなもの。でもそろそろ人生も終わりになり始めているし、贅沢なこと考えていたらきりがない。それに「そういうのも、もういいやって」感じもある。



黒木和雄監督『とべない沈黙』は1966年公開のATG映画である。これが黒木和雄監督の劇場デビュー作でもある。あまりにアバンギャルド(前衛的)な内容のために、東宝で製作されていたけれど、配給会社が変更になったという。どれだけ難解なんだろう? とこわごわ観る。けれど、さほどでもない。



このレベルの複雑な話はいっぱいある。簡単に構成をいってしまえば、いくつかのストーリーがフラグメント的に散らばっていて、それをアゲハチョウというキーワードで綴られるだけ。



フラグメント化されたストーリーがどういう共通要素(キーワードではなくテーマ性)でくくるか? が問題だ。映画では、長崎、広島では原爆を、京都では戦争体験を、横浜や東京では学生運動や隣国とのスパイ活動などを扱っている。第二次世界大戦後の戦争の傷跡が共通要素となっている。



断定はできないけれど、映画のコアである「戦争の傷跡」は1966年時点においてかなりリアルな話だった。現在でもその余韻は残っているが、時代が大きく変わっているので、このテーマに共感する観客は少なくなっている。



だからだろうか? この映画をリアルと考えるか、それとも映画的ファンタジーとして捉えるか、しばしば混乱することになる。そのせいで後半がつらくなる。実際にそういう感想が多いのもよくわかる。



ただし、当時の魅力が完全に消えているかというとそんなことはない。この映画には映像スタイルという魅力がある。アゲハチョウの化身らしい加賀まりこの魅力、ドキュメンタリータッチのカメラワークなどは面白い。ちょっと古い感じはあるけれど、佐々木昭一郎の映像を見ているようだった。



ついでに、蜷川幸雄が役者として登場。若いけど頑張っている。好感は持てるけれど、あんまり上手くなかったんだね。どんなに彼が名演出をしても、演出された俳優が彼のこの演技を観せられたら、思わず「まじかよ」とつぶやくはず。そのくらい上手くない。



もう少し短くてもいいかな、という感じもする。それにしても予算がなかったんだろう。でなければあんなふうな撮影はしない。そんな映像も随所に見られる。当時、フィルムは非常に高かった。現在では機材も安いし、フィルムじゃないので撮影時間も気にしなくていい。贅沢な環境になったものだ。



でも、そのわりに良い作品、斬新な作品が多くない。なぜでしょうか。



初出 「西参道シネマブログ」 2012-5-28



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