見出し画像

屋久島縦走(回想)

屋久島石楠花を甘やかに潤す雫は、みなもとの一滴
それはまた、山中を轟かす怒涛の流れの始まりでもある。

今年もまたソロの山旅が始まる。
心細さはなく、むしろ一人を楽しむ気持がまさる。
私の心に飛び込む風景は、水の調べと木々の静かな語りと、そして雨の色。

屋久島の雨は微かにけむるモスグリーン。
その雨は静かにゆっくりと私にまとわい、そしてゆっくりと離れる。

宮之浦を出たバスは山中深く切れこむ白谷川を見下ろしながら、気がつけばその流れは目の前に広がる。
梅雨時のそれは一筋の竜のように太い帯となって圧している。

人の営みから森の営みの一員になるのに時間は掛からない。
「私を迎えてください」と心の中で挨拶をして一歩を踏み出す。
今日はひとりだからゆっくりゆっくりと森に溶けていく。

森の呼吸と私の鼓動の旋律が歌を作る。
それは森からポッカリと開いたその隙間から空に放たれる。

楠川分れよりトロッコ軌道に入ると、私はトロッコの先頭になって黙々とひた走る。
「浮雲」の富岡はこのトロッコ軌道で瀕死のゆき子の元に駆けつけるのだった。
私はその逆の道を歩く。
疲労と繰り返しの苛立ちは突然終わりを告げて、大株歩道へと分け入る。

雨の森は暗い。
深い海底のように、巨杉たちは手を大きく広げてそこにたゆたう。
そして私は木道をさながら魚のように登り下り回遊し、老いた森の主は静かに自分が止まる瞬間を待ち続ける。

一歩そして一歩と1日の行程は、今日のすみかへとの距離を縮める。
人の集う家へ、暖かい高塚小屋へ、そして静かにその一員となった。

2日目の朝は霧とも雨ともつかぬかすかな音の世界
その冷たさには旅の友を得て、心は頼もしく暖かい。

高塚小屋の森は天高く伸びて、私達を送り出す。
気遣いなく先に行ってくれていいと願うが、曲がり角のその先で友は待つ。
「あなたはもののけの木霊ですか?」

新高塚小屋のその先で、森が牙をむく。
倒れたばかりのその生々しい倒木は、この先に分け入ることを拒むように道を塞ぐ。
藪を漕ぎ、泥にまみれて、その先の登山道はまぶしい。

やがて平石、稜線の風は冷たく、花も私も冷たく萎れる。
「だめなのかな、今日は受け入れてくれないのかな」
お山に問うてもお山は答えない。

焼野三叉路より永田岳に踏み入る。

一つまた一つとシャクナゲのぼんぼりが雨の中にぼおっと明かりを灯すように浮かぶ。
それは稜線を覆い、谷を埋め、歓喜の歌となって響き渡る。

ありがとうありがとう、嬉しくてただただ「すごいよ」としか言えない。
2つのピークを越えて3つ目が奇妙な岩をどんと据えた永田岳。

そして奇跡のように、永田のいなか浜から、海に浮かぶ口永良部島までも一瞬の風景を写した。
この谷が、永田川の河口までの一筋に続く川の道であることを、しかと見据えることができた。

目を転ずれば、宮之浦岳と黒味岳の奥岳が空に浮かんだ。

鹿之沢小屋へと悪路をズンズンと下りながら、ローソク岩、それに並ぶ奇岩があたりを睥睨する。
圧倒的なシャクナゲにくらくらさせられながら悪路の下りで一瞬戸惑う。
すかさず友が手を差し出す。躊躇しながら手を伸ばすと暖かい手ががっしりと支えてくれた。やっとの思いで鹿之沢小屋にたどり着く。
お山に囲まれ、源流の水場を持ったお伽話の中に出てきそうな小さな小屋だった。
ここではわずかな人たちとの静かな夕べとなった。

夜半、雨と風が鋭く小屋の屋根を叩く。
明け方までもその風雨は弱まることがなかった。
とある山岳会のメンバーは、スリングで簡易ハーネスを作りザイル装備で風雨をついて宮之浦岳へと出立していった。
「だめだったら戻ってくるから」と
私と友は、ここで1日停滞を決め込んだ。
山行日数のない私はここで奥岳への夢は潰える。
友は悩んでいるようだったが、お天気次第で決行するようだった。
午後からお天気が持ち直し、山岳会の面々も戻って来なかったので、無事縦走できたのだろう。
新たな小屋メンバーも加わって、3日目もまた静かに終わっていった。

朝4時、友の「星がすごいよ」の言葉に外に出た。
天の川がはっきりと見えて、星座オンチの私でもカシオペアが見て取れた。
真夜中の星座はもっとたくさんで素晴らしかったらしく、
起こしてもらったようなのだけど起きることはしなかった。。。
星の王子くんを起こしてあげようかなと思ったけど、
昨日の小屋のねずみとの戦いで疲れているのか
ぐっすりと眠っているようなので起こすことはやめた。

5時、友は宮之浦岳へと向かう。
お互いに行きずりの登山者ではあったけれど、微かなひと時の縁を結んだ。
冷たい雨の中瞬間の美しい光景を互いの胸奥に共有することができた。
送り出すことの一抹の寂しさと、また今日のソロの行程の不安な気持ちもあいまって、少しセンチメンタルな気持ちになった。

星の王子くんはもう少しゆっくり出るみたいで、またひとりとなって鹿之沢小屋を後に花山歩道へ分け入る。
増水していた水場の沢も平水に戻り、難なく対岸に渡る。
対岸には素敵なテン場があった。

今日は晴天、陽の光が土を温める。
沢を渡渉し大川源流左岸の尾根までひと登りする。

この花山歩道を含む一帯は、日本に5箇所しかない「原生自然環境保全区域」と言われるところで、
人の活動の影響を受けることなく原生の状態を維持している地域というとても貴重な場所なのだそうだ。

途中開けたところから、宮之浦岳が望めた。
九州最高峰をパスしてしまった後悔と、今そこを歩いているだろう友のことを思い、ちょっぴり目頭が熱くなる。
さあ、心を切り替えよう。

大石展望台から見渡す原生の森たちは、まだまだ知られていない巨大な屋久杉や木々がひしめき合っているはずで、およそ人間の侵入を拒んでいるようだ。

大石展望台でまったりくつろいでいると、もう星の王子くんがやってきた。
挨拶をしてあっという間に抜き去っていった。

メインルートから外れた花山歩道は静かな反面、ちょっと分かり辛いところもあるので、ピンクテープを見落とさないように注意が必要だ。
標識は必要最小限な”栗生ー鹿之沢”と書かれたものだけだ。
ひたすら密度の濃い森が迫ってくる中を下っていく。

白谷雲水峡ならどれも名のつきそうな巨木たちが、無造作に森に鎮座しているのも圧巻だ。

さらに下っていくとここはなんと素晴らしい場所だろう。
巨木たちが集まる花山広場は、マルシャークの童話「森は生きている」の十二月の精たちが集う場所みたいだ。
ほんとうに写真では全然伝わらないのだけれど、奥の木などは幹周りが大人5人でも足りないくらい途方もなく太いのだ。

今こうして山行記を書いていても、またこの巨木の森に身を置きたいという衝動を抑えることが出来ない。
この圧倒的な森に抱(いだ)かれたいと願う。

それでも旅の時間を止めることはかなわないことで、この旅の終わりに向けて一歩一歩歩いて行かなければならない。
最後に海の展望があったところから道はやや悪路となって、手も使いながらな岩がちなところも出てくる。
相変わらずルーファイを気遣いながらの道のりではある。
沢型を下りはじめたところで、あれ、後ろから星の王子くんがやってきた。
なんでも花山広場で水場の方に踏み入って道間違いしたようだ。

私「あと林道までどの位だろ~」(もう、ひ~ひ~しちゃってる。。。)
星「200mですよ」(キリッ)
私「ほんと、やった~」
星「標高差ですけど」



ほんと、星の王子、どこまでもシニシストだった。。。

やっと大川林道に出た。
県道まで5.6kmとあった。
やがて大川の流れが林道に近づき、スラブをダイナミックに流れていく様子が美しく林間から望め、それは大川の滝(おおこのたき)へと収れんされていった。

いままでの柔らかな土の道から、林道の石ころや簡易舗装の道は、合わない登山靴をなだめなだめ歩いてきた身にとってはほんとに拷問だった。
ときどき、靴をぬぎすてて足を休ませながら、やっとの思いで県道、そして大川の滝のバス停にたどり着いた。
15:15発はここからもバスが出るのでありがたい。(通常は栗生の集落まで)
早く着いていた星の王子くんもベンチでくつろいでいた。

私の屋久島縦走はここで終わった。
宮之浦岳を外した悔いはとても大きく今でもフツフツとくすぶってはいるけれど、
それでも屋久島を東西に歩いた満足は私には大きかった。

車中の人となり、星の王子くんに「じゃあね」と別れを告げて安房で先に下車した。
屋久島、ありがとう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?