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東北~信越 キャンプと湯巡り二人旅 新潟編③

高東旅館を後に予定通り肘折温泉に向かう。
我ながら自画自賛だけど、どう見ても温泉ゴールデンルートでしょw
高東旅館を出てしばらく、ラララさんのnoteを読んで電流が走った。

忘れていた記憶が蘇ったような瞬間
それは倒されたドミノが立ち上がるような逆回しのモーションだった。
二十歳はたち過ぎてから仏像が好きで何度も京都や奈良に足を運んだ。
特に奈良の仏像を好んでお参りした。
東大寺や薬師寺の日光月光像、室生寺の十一面観音菩薩、中宮寺の弥勒菩薩
抗いがたい魅力に溢れていた。
土門拳の雪の室生寺の写真に心奪われたのもこの頃だった。

ラララさんのnoteで、土門拳の晩年のことや彼を慕いリスペクトする人々の努力で土門拳記念館が設立されたのだと知った。

鳴子から肘折、酒田を経由するのはかなりな遠回りになる。
遠慮がちに相方に尋ねたら色よい返事が返ってきた。
ああよかった。

暑さマックスの日だった。
駐車場から入口までのなんてことはない道のりにじりじり焼かれた。
館内に入ってほっと一息、溢れる写真に胸が躍る。

彼の緻密な写真からはいままで気づいていなかったことも初めて知らされた。

飛鳥大仏は何度も火災にあい、鋳かけで継いだり塞いだりして、ケロイド症の原爆患者のようにむざんである。造顕当初の部分と認められるのは、眉と目のあたりだけである。

古寺巡礼第一集より

これほどの補修の跡があるとは知らずに、漠然と仏の姿を心に刻んでいた。
写真家としての目線に心打たれる。彼はこの仏像に原爆症で苦しんでいる人々と重ね合わせていたのかもしれない。

中宮寺弥勒もモナリザもなぞを含んだ顔です。そのなぞのあるところに、見る人の心に深く浸み入る魅力が生まれるのです。なぞを含んでいるとは、感情が一つの方向に統一されていないことです。中宮寺弥勒もモナリザも口は微笑しています。~しかし半ば閉じ半ば開いたような眼は笑っていません。
口と反対に考え深い静けさ、むしろ冷たい鋭さをすら湛えております。~
ちぐはぐな表情は、見れば見るほどその心を把えとらえがたい神秘な魅力を持っています。

写真随筆  ダヴィッド社

微笑している口元とは裏腹なこの弥勒菩薩の、眼は何を見、悲しみを湛えているのかと感じさせます。そう感じさせる写真家の力でしょうか。

同時代にやはり多くの奈良の仏像の撮影を手掛けた入江泰吉がいる。
彼は中々シャッターを切らず、1枚に全神経を集中させた。
土門拳は多くのシャッターを切る人であった。これは出発が報道写真家だったということと関係しているのかもしれない。

子供の写真も心を動かされる。今の時代にあっては、素のままの子供の写真、いや大人であってもそのプライバシーの関係で撮影することは難しくなっている。写真については、戦後からしばらくの時期が、瑞々しい人々の表情をとらえて、それがあけっぴろげな明るさでも、戦時中を引きずる暗い写真であっても、心を掴まずにはおれない。

中々去りがたい時間だった。
展示室から出て奥に向かう。そこにはラララさんがスタンディングオベーションしたという小さな庭があった。
私がラララさんと同じ気持ちであったかどうかはわからない。
ただこの庭に、写真の魂である光と影を投影した作庭者に、とてつもなく土門拳へのリスペクトを感じるのだった。

勅使河原宏作庭


イサムノグチの彫刻が見切れてます…
設計者 谷口吉生


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