『相手の今を尊重するという愛』
前回はガンディーが人生の中で上手くいった面を書きましたが、上手く行かなかった面もあります。その中で最たるものが家族や、仲間との関係です。
ガンディーの長男は、父が家族を特別扱いしなかった事から生じた諍いで、家出をし、父と真逆な事をしようとして、肉を食べ、酒を飲み、遊びまくり、最終的には路上で死にました。
またガンディーはヒンドゥー教徒でしたが、イスラム系住民との融和も説いていました。しかしインドではイスラムとヒンドゥーの間には沢山の諍いがあり、イスラム教徒に家族を殺されたヒンドゥーの人も沢山いました。
ガンディーはヒンドゥー教の熱心な人に、ヒンドゥー教徒であるのにイスラムの味方もするヒンドゥーの敵とみなされ、銃殺されました。
これがガンディーの人生の最後でもあります。
人間は多面的であり、ガンディーが良い人、悪い人とという理解ではなく、多面を理解して、学びを得ることが大切だと思います。それではここから何が学べるでしょうか?
ガンディーは自分と他人の間に境目を設けず、なるべく分断を生まない事を重視していました。そして受け入れられない場合は、自分が足りないからだと認識して、修行をしようとしたりします。
しかしもし自分と他人が繋がっているものだとしても、別々の状態である、という事は当然ありえます。気分やその人が置かれた状況によっても変化します。
仏教のお話でお釈迦様がお説法をしているときに、そんな事は知っていると立ち去ってしまう人も沢山いました。しかしお釈迦さまはそれを止めませんでした。
弟子になぜ止めないのですか、と聞かれると、それはあの人達はまだ聞ける時期じゃないから、またその時期が来たら話を聞いてくれるよ、と否定も肯定もせずに待っているという姿勢でありました。
もしかしたらそんな事をしていたら短い人生の中で何も達成できないじゃないかと思われるかもしれません。しかし仏教では今の人生は長い生まれ変わりの中のごく一部と考えています。
短い期間で相手に自分と同じ状況である事を望むと、傷つけてしまうことがあります。今、結論をだそうとすると相手を断じてしまう事にもなります。相手の状況やレベルに合わせて、相手から望まれる範囲のみ行う。それも相手の今を尊重するという愛の一部なのではないかとも思います。
ステップバイステップで少しずつ、焦らないで歩んでいく。それは自分にとっても相手にとっても優しい事なのではないかなと感じました。
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