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Histoire De Zazie Films

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会社の成り立ちを振り返る、連載記事『Histoire de Zazie Films』。
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#映画

Histoire De Zazie Films 連載⑫    カンヌ映画通り、あるいは、夕飯の献立を考える。

-------------- 前回の記事はこちら☞ 連載⑪H story -------------- なんだか毎回濃い話が多くなってきたので、今回は“箸休め”回ということにしたいと思います。直接、配給宣伝してきた映画から離れて、カンヌ映画祭滞在中の話題です。 コロナが無ければ今頃はカンヌも終わって帰国し、時差ボケも癒えてきた頃でしょうか?会社を設立した翌年の90年から毎年通い続けているので、去年でちょうど30回参加したことになります。5月中旬から下旬にかけて毎年不在だっ

Histoire De Zazie Films 連載⑪    H story、あるいは、「これ、恋だと思う。」

-------------- 前回の記事はこちら☞ 連載⑩雨の午後の降霊祭 -------------- 遂に原田知世さんについて語る回がやってきてしまいました。私を知る人にとっては、「ああ、また始まった」という感じだと思いますが、今回このHistoire De Zazie Filmsを読んで初めてザジフィルムズという会社を認識した方々にとっては、新鮮な話だと思います。たぶん(笑)。 ここはあくまでも会社の歴史を振り返る場所なので、私の知世さんファン歴を語るところではない

Histoire De Zazie Films 連載⑩    雨の午後の降霊祭、あるいは、クソ邦題と呼ばないで。

-------------- 前回の記事はこちら☞ 連載⑨マイ・ライバル -------------- コピーライターではないし、大ヒット映画の後世に残る名コピーを作った実績があるワケではないけど、長年この仕事をしていると「これはイイ!」と、自分で自分を褒めてあげたくなる邦題やキャッチコピーが生まれることがたま~にあります。 『あの頃、君を追いかけた』(‘11)という台湾映画を配給宣伝した際の、“青春は、恥と後悔と初恋で作られる”というキャッチコピーは、後でテレビドラマのエ

Histoire De Zazie Films 連載⑨    マイ・ライバル、あるいは、すばらしき仲間たち。

-------------- 前回の記事はこちら☞ 連載⑧来る -------------- 何だか最終回のような、“大団円”感漂うタイトルですが、連載はまだまだ続きます。 映画配給業界に身を置く方々にとっては、おそらく不思議でも何でもないことなのですが、この業界、同業他社さんは競合相手でありながらも、協力し合う関係。たとえば1本の映画を共同配給という形で役割分担して買付け、公開したり、自社の配給作品の宣伝を、他の配給会社の宣伝スタッフに委託したり。このコラボレーションの

Histoire De Zazie Films 連載⑧    来る、あるいは、来なかった映画について。

-------------- 前回の記事はこちら☞ 連載⑦ハッピー・ゴー・ラッキー -------------- 今回は予告通り、ヒットしなかった映画たちのお話。「誰も知らない」だと、日本のどこかに存在している、ご覧になって、その映画たちを愛して下さっている方に失礼だと思い、改題しました。 映画の初日は、配給会社の人間にとって朝からキリキリと胃が痛くなる日。宣伝が上手く行って、前売り券の売れ行きも好調で「あら?なんだかヒットの予感…」ということも稀にありますが、たいていの

Histoire De Zazie Films 連載⑦    ハッピー・ゴー・ラッキー あるいは、大ヒットは15年おき。

-------------- 前回の記事はこちら☞ 連載⑥不機嫌なママにメルシィ! -------------- 成功談は読むほうはそんなに楽しくないと思うので(笑)、あまり扱わないようにしようと思っているのですが(と威張るほど、成功例はないけど)、31年も会社をやっていれば、ほんのたまに上手く行くこともあります。 ザジの場合、新作のメイン興行(1日1回のモーニングやレイトショーではない、日中複数回上映する通常興行)での初の成功体験と言えるのが、2004年2月にシネスイ

Histoire De Zazie Films 連載⑥    不機嫌なママにメルシィ! あるいはアニエス・ ヴァルダとの邂逅

-------------- 前回の記事はこちら☞ 連載⑤切られた首 -------------- 2019年3月29日、フランスのアニエス・ヴァルダ監督が90歳と10ヶ月で亡くなりました。 私は仕事を終えて新宿のシネコンでティム・バートン監督の『ダンボ』を観始めたところでした。普段ならポケットの中のマナーモードにしたスマホが振動しても映画を観終わって場外に出るまで確認はしないけど、その日に限ってはポケットから出してチェックしました。パリ在住の映画記者の方からのLINEでし

Histoire De Zazie Films 連載⑤    切られた首 あるいは、ジャック・タチは190㎝。

-------------- 前回の記事はこちら☞ 連載④ウルトラミラクルラブストーリー -------------- 時は2003年7月。数か月前に華々しくオープンしたばかりの新しい劇場を舞台に、その事件は起こりました。ゴダール作品の連打がひと段落し、次に手がけたのが『ぼくの伯父さん』でおなじみ、ジャック・タチ監督のレトロスペクティブ。“ジャック・タチ・フィルム・フェスティバル”と銘打っての、長編4作、短編3作の特集上映でした。 フェスティバルを開催するにあたっては、

Histoire De Zazie Films 連載④    ウルトラミラクルラブストーリー  あるいは、秀逸なデザインは後世に

-------------- 前回の記事はこちら☞ 連載③さらば映画の友よ -------------- 前回少々しんみりさせてしまったので、友情の物語の次はラブストーリー!というのは大ウソで、“ウルトラ”さんにまつわるお話です。 『女は女である』のヒットに気を良くした前述の女史(S女史としましょう)。私もHが亡くなって「これからは一人で頑張らなければ・・・」と、悲壮な決意を新たにしていたので、権利を保有するゴダール映画のリバイバル公開を次々仕掛けていくことになります。

Histoire De Zazie Films 連載③  さらば映画の友よ あるいは、ゴダール再公開の波状攻撃。

------- これまでの記事はこちら☞ 連載① 出発 、 連載② ひとりで生きる ------- その後も地道な営業活動は続きます。 90年代半ばになると、レンタルビデオ向き作品のみならず、クラシック作品のテレビ、ビデオ向けの買付けもスタートさせました。今風に言うと、新たなフェーズに入った感じです。 こうしたクラシックを扱うことを提案したのも、前述のHです。 Hは私なんか比べものにならないシネフィルで、ルイス・ブニュエル監督を敬愛し、大学時代はスペインを旅して、ブニュエル

Histoire De Zazie Films 連載②    ひとりで生きる あるいは、初めの一歩はシネマテン。

------- 前回の記事はこちら☞ 連載①出発 ------- 苦難の道の始まりです。思いがけず1人創業することになってしまったわけですが、全くの未経験者ではないにしろ、買付けにしても配給にしても、見聞きしていただけで実際自分がやったことなどありません。買付けのノウハウを、第一線で買付けをして世界中を飛び回っていたHから学びながら、少しずつ覚えていったのでした。 当時の仕事の中心は、レンタルビデオ店に並ぶ劇場未公開作品の買付けエージェント業務。劇場配給業務を始める、会社と

Histoire De Zazie Films 連載① 出発 あるいは、若気の至りで配給会社設立。

ザジフィルムズは1989年10月16日、いわゆるバブルの末期に誕生しました。 社名はもちろんルイ・マル監督の『地下鉄のザジ』から。 レンタルビデオの隆盛を背景に、86年に設立されたギャガさんがどんどん大きくなっていった時代。 ギャガさん誕生以前は、映画配給会社といえばメジャー各社と、独立系と言われる側の東宝東和、松竹富士、日本ヘラルドと言った老舗大手が主流。中小規模の独立系配給会社は、フランス映画社さんが既に伝説のBOWシリーズで数々の名作を公開していたとはいえ、両手で数え