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Histoire De Zazie Films 連載① 出発 あるいは、若気の至りで配給会社設立。

ザジフィルムズは1989年10月16日、いわゆるバブルの末期に誕生しました。
社名はもちろんルイ・マル監督の『地下鉄のザジ』から。

レンタルビデオの隆盛を背景に、86年に設立されたギャガさんがどんどん大きくなっていった時代。
ギャガさん誕生以前は、映画配給会社といえばメジャー各社と、独立系と言われる側の東宝東和、松竹富士、日本ヘラルドと言った老舗大手が主流。中小規模の独立系配給会社は、フランス映画社さんが既に伝説のBOWシリーズで数々の名作を公開していたとはいえ、両手で数えられる程度でした。ギャガさんが業界に新風を巻き起こし、それに続けとばかりに新しい会社が生まれている状況下、ザジはそのドサクサに紛れて創業したのでした(笑)。

元々、映画配給の仕事に就くのは映画好きだった高校の頃からの夢。
小学一年生から20年の付き合いの幼なじみHとは、中学の頃から多摩川を渡って銀座界隈で行われていた一般試写会に出かけ、映画会社をまわってはチラシを集めていました。しかし、配給会社に「入る」のは、その頃から超狭き門。配給会社を「興そう」と、いきなり発想が飛躍したのは、高校の頃、川喜多長政・かしこ両氏の若き日々を描いた単発ドラマ「ビバ!シネマ 青春を配達した女」(80年放送)を観たHと二人で盛り上がったのがそもそもの始まりでした。
その夢を実現すべく、独立を見据えて先に業界に入ったH。1年後、私もレンタルビデオ向けの外国映画を扱う会社に入りました。そこで学びながら働くこと2年、向こう見ずだった私たち(当時27歳)は、「今だ!」と会社設立の準備に入り、私は勤めていた会社を退職しました。
が、しかし、一方のHは買付けの仕事が楽しく、なかなか会社を辞めることが出来ず、結果的に私ひとりで会社を興すことになってしまったのでした…。アレ?約束が違う!


※見出しの画像は、“チラシ小僧”時代、銀座界隈の配給会社をまわって集めていたチラシの一部。後年、買い付けてビデオ化、テレビ放映などに関わった作品を並べてみました。

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次の連載記事はこちら☞ 連載②ひとりで生きる
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