見出し画像

ADHDは普段どう瞑想しているのか? 個人的な実践

注意欠陥・多動性障害(ADHD)の人は、いろんなことに興味がコロコロ変わったり、同じ姿勢でじっとしていられないというような特徴がある「非定型発達」の一種です。実は私もその一人です。
これらの特徴は坐禅や瞑想とは決定的に相性が悪いように思えますが、私は毎日の生活の中で無理なく実践することができています。今回はそのことについて書こうと思います。そうすることで、定型発達(健常者)の人にも無理なく禅を実践できるヒントになるのではないか、ということも期待しています。読者の方のお役に立てれば幸い。

時間は短くていい

ここまでの連載の中で何度か書いていますが、瞑想とは我慢や忍耐ではありません。中道の捉え方で身体の中にある情報処理をきちんと感覚していく、ということです。なので、足腰の痛みや退屈に耐えるというのは瞑想の本分ではありません。というか、そのような状態というのは智慧からは離れているということですから、素直に仕切り直した方が賢明でしょう。

たとえば、どんなに好きで面白い遊びであっても、休憩なしで何時間もぶっ通しで続けていたら途中でダレてくるのは当然です。坐禅というのは耐久力を競う競技ではありません。それで仏の智慧を悟れるなどと思うのは迷妄でしかない。

不動智のことを書いた記事にも登場した馬祖道一には、こんなエピソードがあります。(入谷義高編『馬祖の語録』禅文化研究所 より)

坐禅をする馬祖の前に、師匠の南岳懐譲なんがくえじょうが現れた。懐譲えじょういわく、「坐禅をして、一体どうするつもりかな」馬祖いわく、「仏になろうとしているのです」
すると懐譲は、坐禅する馬祖の前で瓦を磨き始めた。
「なぜ瓦を磨いているのです?」
「これを磨いて鏡にしようと思ってな」
「瓦なんか磨いたところで鏡にはなりませんよ」
「瓦を磨いても鏡にはならん、ではヒトが坐禅をして仏になれるものかね?」
懐譲は更に問う。
「牛車が止まったら、お前は車を打つのか? それとも牛を打つのか?」

....何も答えられない馬祖に対し、懐譲はさらに「禅は坐臥ざがに非ず(禅とは座ることではない)」(同p.5)と畳み掛けます。これはつまり、「正しい坐禅」のやり方にこだわるあまり、智慧ちえの本質を見失ってしまうということへの警句です。今日は何時間坐った、何回坐った、そういう量の自慢と仏法というのは特に関係ありません。感覚を閉ざして時間を稼いだところで、単に自分が苦しくなるだけです。

身体の感覚を味わうのに、まとまった時間は要りません。その瞬間に、納得できるレベルでしっかり感覚して、自身をホンワカと調律する。それが重要なのです。なので、日常のちょっとした時間にフッと整える、というのが無理なく禅をやるコツだといえます。

形にこだわらない

私も以前は坐禅用のクッションを買ったりお香を焚いたりと「それっぽい」ことを整えてから瞑想をしていたのですが、しかし瞑想というのは本来そのような準備が必要なものではありません。上で見たように馬祖は否定していますし、以前の記事でも見たように臨済は「模様を為すなかれ」(わざとらしいフリをするな)といって退けています。

というか、そもそもの「悟り」というもの自体がなにか特別なものを得たような状態ではなく、ごく自然かつ普通で自由な生命の状態である、というのが唐代の禅の基調となる考えです。

仏法は用功の処無し、祇だ是れ平常無事。屙屎送尿、著衣喫飯、困れ来たれば即ち臥す。(中略)古人云く、外に向かって工夫を作すは、総べて是れ痴頑の漢なり、と。
(岩波文庫『臨済録』p.50)

つまり、仏法には必死になって学び取るようなところはない。ただ「平常無事」であればよい。衣食住をして、排泄し、疲れたら寝る。(中略)古人は言う、自分の外に向かって努力をするような奴は全員アホだ。というわけです。(※:一応書いておきますが、これは決して『凡夫のありのまま』ではありません。)

そのような態度を、臨済は「随所に主となれば、立処みな真なり」(様々な所で主体的に感覚していれば、全ての場面が真となる)という言葉でまとめました。この"主"という言葉は「人生の主人公」だとするような解説は多いのですが、これまで見てきた瞑想の方法から考えて、ここは「主体的に感覚すること」(≒智慧が働いている状態)だと捉えました。そうすれば、なにか特別で大仰なことをしなくても、日常生活のあらゆる場面が真となる、というわけです。

というわけで、「○○すれば日常生活でも坐禅できるよ」というメソッドがあるわけではなく、「日常生活のスキマ時間でできる範囲の行動が禅なんだよ」という話になります。なので、それはあなた自身の生活の中で見出してもらうしかありません。(それでも、私の鬱は改善しています。)お互い無理せず精進していきましょう。

サポートしていただくと生活費の足しになります。お気持ちで結構です。