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やさしいマインドフルネス瞑想

以前私が書いた瞑想関係の記事はやけに硬い印象があり、初めての人などにあまりやさしくないと思われたので、ここで一つ改めて簡単に整理して行こうと思います。ここではまず、基本の呼吸瞑想を取り上げます。
(有料設定になっていますが、購入しなくても全ての部分を読めます。)

瞑想は「神秘の力」ではない

心理セラピー等で使われる瞑想、特にマインドフルネス瞑想というのは、実はスピリチュアルな力があるわけではありません。仏教で行われている坐禅の効果を、科学の土俵に持ち込んで研究・実証したものがマインドフルネス瞑想です。実際、長期間の瞑想トレーニングをした人の脳をMRI等で観察すると、一部の脳領域に変化が生じることがわかっています。(日本評論社『マインドフルネス 基礎と実践』p.28-29ほか)
瞑想は、儀式、気休め、おとぎ話ではないのです。

例えば、あなたが筋トレをして筋肉がついたとしましょう。筋肉がついたのはあなたのトレーニングによって身体が成長したのであって、神や仏やナントカ波動などの力ではありません。それと同じように、人の心は瞑想トレーニングによって整えることができます。それは神秘の力ではなく、人間の力です。宇宙ナントカ高次元存在とか、大地の精霊とか、引き寄せナントカ等、そういうものとは関係ありません。

筋トレは「身体の動かし方を学んで筋肉を鍛えるもの」ですが、瞑想とは「心の動かし方を学んで脳内の状態を整えるもの」だ、ということがいえるでしょう。

心の動かし方とは?

では、「心の動かし方」とはどういうものなのでしょうか? マインドフルネス瞑想の創始者ジョン・カバットジンは、

意志を持ってこの瞬間に注意を払い、自分で評価をくださない
(『マインドフルネスのはじめ方』p.12)

とまとめました。または「今この瞬間の体験に、判断を加えることなく注意を向けること」とも言われます。(『マインドフルネス 基礎と実践』p.66など)

評価を下さない、判断を加えないとはどういうことなのでしょうか? これはつまり、良い/悪い・できた/できない・上手い/下手....こういった評価判断から離れて感覚を観察する、ということです。
(※注:このように、AかBかという対立的な評価の軸から離れることを、仏教では『中道』と言います。中道とは『AとBの真ん中』ではありません。『AもBもどちらも採用しない』ということです。参考:岩波仏教辞典など)

例えば、瞑想中によくある雑念として、「これで本当にうまく瞑想になっているんだろうか?」「あっ雑念が生まれてしまった、ちゃんとしなきゃダメじゃないか」「呼吸をうまく観察できない....」といった感情や感覚についつい陥ります。しかし、これらはまさに上であげた評価や判断そのものです。

これらから離れるにはどうすれば良いのか? まずは「良い悪いは別として呼吸に戻る」ということを心がけて下さい。
例えば、先程の「あっ雑念が生まれてしまった、ちゃんとしなきゃダメじゃないか」には2つの評価が含まれています。まず「生まれてしまった」と「ダメじゃないか」ですね。こういう感覚に陥ったら、これは評価や判断だと自分で確認してから、良い悪いは別だということにして呼吸の観察に戻ります。自分を責めたり、何かのせいにしたりはしません。優しく呼吸の観察に戻って下さい。

いやいや、そんなんでちゃんとした瞑想が本当にできるの? ←はい、コレも「評価」ですね。いささか逆説的ですが、マインドフルネス瞑想をきちんと行うには、きちんとするという感覚はあまり役に立ちません。(だからと言って、ただ寝てるだけでは瞑想になりませんが)

マインドフルネス瞑想とは、普段の生活で染み付いた「評価や判断の感情」によって曇ってしまった自分の感覚を取り戻す練習だ、とも捉えることができます。

実際やってみよう

では実際やってみましょう。このテキストを読んでいるままで構いません(目を開いて行う瞑想は一般的です)。椅子に座るなり、クッションにあぐらで座るなり、好きな体勢で座って下さい。眠ってしまわない程度にリラックスして下さい。背筋を伸ばしてもいいですが、腰などに痛みがあるようであれば色々調整して下さい。瞑想指導者ティク・ナット・ハン師は、瞑想に苦痛は必要ないと説いています。(参考:『和解 インナーチャイルドを癒す』)

少しずつ画面をスクロールしながら進めていって下さい。(なので、瞑想中に身体を完全に静止させる必要はありません。瞑想は心の動かし方を学ぶものだ、ということを思い出して下さい。身体を酷使したところで瞑想にはなりません。)

時間を決めてタイマーをセットしてもいいですが、自分でもう十分だなと思ったら切り上げて結構です。もし何か異常があればそれに対応して下さい。「瞑想してて逃げ遅れた」なんてことがあったらシャレになりません。

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....では、ゆっくり呼吸していきます。一つの呼吸からなるべく多くの感覚を感じ取ることを心がけて下さい。呼吸というのは普段は完全に無意識で行っていることですが、実は「吸う」というだけで全身の様々なところに様々な感覚が生じます。丁寧に丁寧に感じ取って下さい。同じように、吐く時にもまた全身の様々なところに様々な感覚が生じます。

よくわからない? では、わかる所まで細かく細かく感じ取って下さい。あなたの呼吸の感覚は、あなたにしか感じ取れないものです。

うまくできない? それはまさに評価の判断です。評価から離れて、優しく呼吸に戻って下さい。

何か他のこと(雑念)を考えてしまっていた? 大丈夫です。それが人間の脳の機能です。優しく呼吸に戻って下さい。良いとか悪いとかは、今は関係ありません。

外の音が気になってしまった? 大丈夫です。人間にそういう機能があるからこそ、ヒトは絶滅せずに命を繋いできたのです。優しく呼吸に戻りましょう。

身体のどこかを動かしたい? 苦しいなら少し動かしても構いません。でも、その時の感覚はなるべく丁寧に感じ取って下さい。それから優しく呼吸に戻って下さい。

苦しいのでなく、何かを心地よく感じたとしても、特に問題はありません。堂々と気分良くなって下さい。そもそも癒しというのは心地よいものです。マッサージだってそうでしょう?

身体のどこかに無駄な力が入っていると分かったら、いい感じに脱力して下さい。脱力 = 良い瞑想というわけではありませんが、無駄に力んでいるのは文字通り無駄ですからね。そしたら優しく呼吸に戻って下さい。

....もういいかなと思ったら終了して結構です。

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次回は、瞑想についての少し突っ込んだ考え方を書く予定です。

今回の参考文献:

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