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【ss】ヒマワリへ #シロクマ文芸部

ヒマワリへ向けて信号を送り続けているけど、
返信はまだこない。

聞こえますか?聞こえますか?
応答願います。

6/25日
水垢だらけの洗面所で歯を磨いていると、窓の隙間から斜め向かいの峯村さん家のヒマワリが見えた。自宅菜園の端に大きいのが3本植えてある。雨の少なかった今年はヒマワリが早く咲いた。

幼稚園の頃、ヒマワリの真ん中の黒いところを怖がる僕に、「カズ、これは秘密だぞ」っと前置きしてお父さんが教えてくれた。

ヒマワリの真ん中のところは無線通信機になっていて、遠いところにいる人と通信ができるんだって。抱きついて顔を埋めたお父さんの肩からは男くさい、土のような匂いがした。

妹のユズキに最後の1枚になった食パンを食べさせる。居間で寝ているお母さんにパンがなくなった事を伝えたけど返事はなかった。

ランドセルを背負って外に出るとマコトとアヤトが家の前でオニギリを食べていた。

「もおーす」

「おはようカズキ」

口にオニギリを詰め込んでいるせいで、モゴモゴしているマコトと、いつでもちゃんとしているアヤト。

「おはよ」

挨拶を返すとマコトが僕の分のオニギリを渡してきた。寝坊して朝ごはんが食べれないマコトに付き合って、登校中にオニギリを食べるのが最近の僕らのブームだ。優等生のアヤトまでのってくるとは思わなかったけど、お陰でよく食べ損ねる朝ごはんの代わりになっている。

「まったく男子は仕方ないねー」

クスクス笑いながら、アヤトのお姉さんがユズキの手を繋いでくれた。アヤトのお姉さんは優しくて美人だ。ユズキは嬉しそうにアヤトのお姉さんに甘えた。

並んで峯村さん家の前を通る。
宿題の話をしながらも僕はヒマワリへ信号を送る。

聞こえますか?聞こえますか?
応答願います。

お父さんが女の人を作って家を出ていったのは去年の夏の終わりだった。お母さんはユズキと僕を抱きしめて、「お母さん頑張るからね」と言ったけど半年ほどで疲れてしまったらしい。いつのまにか仕事を辞め、家の事もやらなくなっていた。

お父さんが新しい家族と遠い街に引っ越す時に渡してくれた電話番号のメモは、お母さんが破ってしまった。いつも寝ているけど、時々泣いて暴れるから大切にしていた物はどんどん壊れていった。

学校が終わって家に帰るとユズキが玄関の前で待っている。お母さんが暴れると怖いからひとりで家にいたくないのだ。朝出た時はボサボサだった髪の毛は綺麗に結われていた。きっとアヤトのお姉さんがやってくれたんだろう。アヤトのお姉さんの白くて細い指先を思い出して少しドキドキする。

家の前に2人で座っていると峯村さんの奥さんがやってきた。

「野菜、採れすぎちゃったから貰ってくれる?」

紙袋を受け取って、僕は小さい声でお礼を言う。夕ご飯のあてが出来て正直助かったけど、家の様子をいつも伺っているような峯村さんの奥さんは少し苦手だ。紙袋の中には曲がったきゅうりと少し線の入ったトマト、茹でたトウモロコシといなり寿司が入っていた。

7/1日
プールの授業が始まる。ユズキの水着はアヤトのお姉さんがお下がりをくれた。マコトが、「従兄弟のお下がりがあるけどカズいる?」と聞いてくれたけど断った。体をみられるとマズいことなるから、水泳の授業は見学するつもりだ。長袖のままプールサイドに座っていると汗がボタボタ落ちる。校庭のヒマワリは風に揺れて涼しそうだ。

聞こえますか?聞こえますか?
応答願います。

7/20日
もうすぐ夏休みが始まる。給食のない夏休みの間のご飯をどうするか、その事ばかり考えている。お母さんが元気な時に気まぐれに買ってくる食材とタンスにつっこんである少しお金、峯村さん家の野菜だけでやっていけるだろうか。毎日その事を考えてぼーっとしていたら担任の先生に怒られた。

今日はマコトのじいちゃんに伸びっぱなしだった髪をバリカンで刈ってもらった。「お揃いだなー」とマコトは嬉しそうに僕の頭をクリクリと撫でた。夏休みは毎日遊ぼうとマコトとアヤトと約束している。

7/25日
終業式のあと、僕とユズキは学年主任の先生に呼ばれた。ここで待っていてね、と通されたのはスクールカウンセリングの部屋だ。お母さんが家の事をやらなくなった頃、一度この部屋に呼ばれたことがある。何か困っていることはないか何度も聞かれたけど、僕は黙って壁のポスターを読んでいた。

かわいいウサギのイラストと一緒に、
『毎週火曜日にこのお部屋にいます。
なんでも相談してね』と書いてあった。

僕が何も言わなくてもスクールカウンセラーは怒らなかった。

廊下や校庭からは夏休みを迎えてはしゃぐ騒がしい声が聞こえている。そしてそれがだんだん遠くなって、まったく聞こえなくなった頃、パタパタとスリッパの音がしてドアが開くとお父さんが入ってきた。

僕らの顔を見るなり、「ごめんな、ごめんな」と僕とユズキを抱きしめて涙を流す。10ヶ月ぶりに会ったお父さんからは甘い柔軟剤の匂いがして、肩に顔を埋めると知らない人みたいに感じた。

僕とユズキは夏休みの間に引越して、お父さん方のおばあちゃん家で暮らす事になった。お父さんとは一緒に暮らせないことを知ったユズキは声を出さずにポロポロ涙を流したけど、お父さんはやっぱり「ごめんな、ごめんな」と謝るだけだった。

8/1日
おばあちゃんの家に行くまでの数日、アヤトの家に泊めてもらっている。ユズキはアヤトのお姉さんとお揃いのゴムで髪を結ってもらい、「もう本当の妹だもんね」と言われて嬉しそうなので、「それなら僕とアヤトも兄弟になるよ」と言ったら、アヤトはなぜか照れて赤くなった。いつもクールなアヤトには珍しい。

最後の夜はアヤトの家の庭にテントを張ってマコトと3人で寝た。朝まで起きてようと約束したけど2人とも眠ってしまったので、僕は2人の寝息と虫の音を聞いている。お母さんとは終業式の朝別れてから一度も会っていない。入院してまだ面会はできないから、会わないまま引っ越す予定だ。一緒に暮らすことになったおばあちゃんはいつも優しくてご飯も美味しいけど、お母さんのことを"あの人"と呼ぶ。その時僕は水の中にいるように苦しくなる。

8/2日
お父さんと一緒に峯村さんの家に挨拶に行く。僕らの様子がおかしい事をお父さんに連絡してくれたのは峯村さんらしい。峯村さんと峯村さんの奥さんは「よかった、よかった」と言って涙を浮かべていたけど、その時はやっぱり水の中みたいに胸が苦しくなった。峯村さんに野菜をくれたお礼を言う時、ひとつお願いをしたら笑って頷いてくれた。

僕らの住んでいた平屋の市営住宅は今は誰も居ないけど、僕はまだあの暗い居間にお母さんが一人で寝ているような気がする。

聞こえますか?聞こえますか?
応答願います。

峯村さんのヒマワリの種が届いたら、おばあちゃん家に植えさせてもらおう。来年もきっと大きな花を咲かせると思うんだ。

聞こえますか?聞こえますか?
応答願います。
応答願います。
応答願います。

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