「悩む」は「考えて」いない
今回のお話
皆さんは「悩む」ことはありますか?
やりたいことが見つからなくて悩んだり、やりたいことが多いのにやる時間がなくて成長できていないと思って悩んだりしますかね。
しかし、「悩む」ということについて考えたことはありますでしょうか。
今回は「悩む」ということについて考えていきましょう。
3行まとめ
①悩む=答えのない問を考えること
②悩みを考えて分解する
③WhatではなくHowで悩む
①悩む=答えのない問を考えること
「悩む」ということと「考える」ということを分けて考えましょうと言うのが、名著「イシューからはじめよ」で学んだことです。
「悩む」と「考える」の違いは、主に以下のような内容です。
悩む=答えのない問を解くこと
考える=答えのある問を解くこと
主な違いは、答えがあるかないかです。
そう考えると普段悩んでいるときに、思考を切り分けられるようになります。
例えば、計算問題について「悩む」とは表現しませんよね。そして好きな人に告白するかどうか「考える」ともあまり表現しませんよね。
そう考えてみると、答えがあるかどうかというのは、「主観的」かどうかになります。
よくやりたいことが見つからず、やりたいことを探していますというような人が多いですが、やりたいことには「解」があるのでしょうか。
おそらくそこに解はないのではないでしょうか。
だとすると決めるしかないのです。
限りなく主観的に決めることに対して、お金が儲かるかやそこに道はあるのかという客観性を持ち込むため「悩ん」でしまうことになるのです。
そのため「悩み」を分解して考える必要があります。
②悩みを考えて分解する
さきほど書いたように、やりたいことを決めるなど限りなく主観性が高い問題に対して「悩む」際は、主観と客観が混じり合っているために起こることです。
そのため、悩んでいることに対して「主観」か「客観」かに切り分けて限りなく「客観性」を削ぎ落としていくことが必要です。
例えば、やりたいことが「未経験からエンジニア になりたい」だとしましょう。(最近よく広告などでみるためこれにしていますが、自分のやりたいことを当てはめて考えてみましょう)
そのやりたいことで悩むものを列挙してみましょう。
・給料を下げたくない
・未経験から務まるかわからない
・まわりは優秀な人ばかりではないか
仮に上記のような悩みがあるとしたら、まず客観的なものは金銭的なものです。「給料を下げたくない」から二の足を踏んでいるならそこまでリスクを取れないということなのでやらない方がいいでしょう。
ただ、給料や企業名など差し引いてもなりたくてたまらなくて1日のほとんどの時間を捧げられると思えるほど「好き」という主観性が強い場合は、ならない方が辛いかと思います。
そこまでの覚悟があるかどうかというのを判定するためにも、「悩み」を主観と客観と切り分けて判別していきましょう。
③WhatではなくHowで悩む
では悩むにしてもどこで悩むべきかというと、What=やりたいことではなくHow=どうやるのかということです。
やりたいことなど主観的なことは決めて、どうやるのかについて真剣に悩むべきです。その方が精神衛生上も健全かと思います。
例えば、給料を上げたいとすると、なんで給料が上がらないんだろうとか会社の制度がくそだと悩むのではなく、どうすれば年収をあげる方法があるのかを考える方が健全です。
そうすると、転職や投資、副業にメルカリで売る、ココナラやクラウドワークスなどのフリーランスをやるなど様々な視点で年間に得られる収入を増やすことについて考えることができます。
つまり、先に書いたように悩む場所をHowにズラした上で「考える」ことにフォーカスしていくことです。
最後に
悩むのならやってしまえホトドギスというくらいJust Do It精神でいたいなと思っています。
Whatで悩むと本当に時間の無駄のように感じます。
会社の会議やビジネス上の問題も多くはWhatで悩むケースが大半かと感じます。
トップや幹部が決断をしてHowを考えるのが下の役目だと考えていますが、それをトップができないとなると下も同じく「悩み」の領域に陥ってしまいます。
それは社長という一番上でなくてもチームやグループといった単位でも同じです。Whatを決める権限を持つ人こそ「悩む」と「考える」ことの違いについてしっかりと把握した上で思考した方が良いかと思います。
「考える」時間の比重をより多くしていきたいですね。
それでは、また。
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