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もどかしさと、共に生きる

人間生きていれば、
実現不可能なことはたくさんあると思います。

したい事はあるのに時間がない、
技量がない、お金がない・・・
理由は人様々です。

それに対して、
いらだちや悲しみ、悔しさなど
抱く感情も人様々です。



社会人になってから私は、
したい事ができないもどかしさを
これまでの人生の中で一番感じてきました。

そもそも「自分がやりたい事って何か」と言うところですが、
・自分の器量にあった仕事(量・質どちらもバランス良く)
・表現活動(音楽・絵画・写真・ライティング)
が大まかに挙げられます。

ぱっと見、実現不可能なことではないように思われますよね。

でも、今の私には完全に実現不可能とは言わないものの、
実現、実行が困難なんです。

というのも、
私は手に欠陥を持っているからです。

以前の勤め先で、右手親指・人差し指間の靱帯を損傷し、
長時間を手を使う事で激しい痛みい襲われるという現状があります。

そのため現在の仕事(SE)でバチバチキーボードを打つことも、
こうやってライティングすることも、
ピアノ・ギターを弾くことも、
怪我をする以前の自分のようにはできません。

(ちなみに今仕事やライティングはほとんど左手のみで行っていますが、
腱鞘炎になりました笑)


正直、何もしていなくても痛いものは痛いです。
それだけでかなりストレスです。

なのに、それに加えてやりたい事をすれば痛みが増す、
やりたい事に制限がつけば、さらにストレス。

悪循環でしかないですよね。

怪我したて当初、
SEになって痛みがひどくなった当初はかなり精神的に打撃を受けました。
一生このまま痛みに耐えながら、
やりたい事もできず、制限を掛けながら生きていくんだ、と。
日々そんなことを考えながら、
くよくよと日常を繰り返していました。

でも、
その考えが自分に制限を掛けているんじゃないかって、
あるとき気がついたんです。
それがいつだったかは忘れましたが笑

手は手術しない限り治らない(治るとも限らない)。
鎮痛剤を飲み続ければ、いずれか効かなくなる。
変わりようのない現状に嘆いて、
自分を暗い底に陥れるよりも、
やりたい事の根本を知って、
それを実現する方法を見いだすことが有効的なんじゃないか。
そう思えたんです。

今の私がやりたい事は、

・自分の器量にあった仕事(量・質どちらもバランス良く)
・表現活動(音楽・絵画・写真・ライティング)

これらが実現されたことによって得られるものは何かと考えたとき、
・バランスのよい仕事→プライベートとお金
・表現活動→心の充実と豊かさ
であるという答えが生まれました。

実際、今の会社であればお金とプライベートの保証は、
完全保証はあり得ませんが、ある程度約束されています。
別にSEにこだわって今後生きていくわけではなく、
ひとつ自分の知識として、
生きていく選択肢として持っていたいだけ。
社内でジョブチェン制度が用意されている環境なので、
それを使えばいいだけですよね。

表現活動に関して言えば、
表現方法にこだわった表現者ではないので、
心の充実と豊かさを得られる表現方法を模索すれば良い。
そのひとつとして、手を酷使しない自分自身を使った表現方法があります。

そんな風に、
自分のやりたい事の根本を考えれば、
たとえ障壁があっても実現不可能なことはないんじゃないかなと思います。

限定的にしたい事があって、
それじゃなきゃ得られないものももちろん存在します。
そういうものをみつけられる人を私は尊敬します。
その人たちも、実現に対しての障壁を持っていて、
果敢に立ち向かっているんですから。



妨げるものは必ずあります。
なくなりません。

でもそれは「完全悪」ではないと、私は思います。

それは「なにか違う方法があるんじゃないか」という、ささやき。

それは「自分の可能性はそれだけではなんじゃないか」という、暗示。

私はこれからも、
そのささやきと暗示にたくさん気づけるよう生きていきたいです。


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