どうしようもない人間は本当にどうしようもなくどうしようもないのか?

昨日、友だちとラーメンを食べに行ったときに

「どうしようもない人間っているよね」

という話になった。

たしかに、いるのだ。世の中には一定数。少なからず。

不倫をする人間、ストーカーや暴力などの犯罪を犯す人間、嘘や悪口を言う人間、自分勝手な人間、トラブルばかりを引き起こす人間、など。

僕はそもそもそういう種類の人間とはできるだけ関わらないように生きようと努めてきたのだが、やっぱり30年も生きていると、いやおうなく出会ってしまう。

有限な人生は、どんな人とどう過ごすかで決まってくるわけで。

昔の職場には、トラブルばかりを起こす男性がいて、執拗に攻撃されたことがあった。

僕は「この人とは一緒に仕事したくないな」と思って退職した。

また、精神不安定な女性に突然罵倒されたこともあったし(いまだに謎)、一方的に僕のことを妬んでTwitterなどで陰口を言ってくる男性もいた。

(他人の学歴や能力を妬んでどうする?人は根本的に一人一人ちがうのだから他人と比べることは無意味だということに気づかないのだろうか?)

このように、世の中には、「どうしようもない」というグループがあったならば、まず間違いなく優先的にそこに分類されるであろう人間がけっこう存在している。

どうしようもない場面をうまく乗り切っていくためには、「世の中にはどうしようもない人間がいるものだ」と割り切ってそれを前提として生きていく姿勢が必要になってくる。

そして、そういう人たちと接していくための、いわば「対どうしようもない人専用ライフハック」のようなものを経験則的に(あるいは肌感覚として)身につけていくしかないのではないかと思う。

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一方で、人は変わる生き物でもある。

そのどうしようもない人間たちが何かのきっかけで変わっていくという可能性も0ではないし、

結局のところ、自分がどうあるべきか、どう成長していけるかというところに幸福感は帰着していく。

どうしようもない人間たちを変えていこうと真摯に向き合って活動する素晴らしい人たちもいるが、もちろん大半はそうではないし、それなら環境を変えてしまった方が圧倒的にラクかもしれない。

嫌な環境や人間関係なら断ち切ればいい(でもそれは果たして善?)。

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自分を変えるというのはどうか?

自分を変えることはすごく難しい。

どうしようもない人間に対して、もう少し寛容な気持ちで接することができればいいのになぁ、と思うこともあるし、

とはいえ、やはりラクな方に気持ちが流れていってしまう。

しかし、自分のこれからの成長という視点で考えたとき、そういう自分の弱い部分と向き合っていかなければならない。

「あいつはどうしようもない人間だな」と思っているまさにその自分の心こそが、"どうしようもない"。

と同時に、それらと向き合っていくことが今の自分には必要なのだと反省する。

真の意味で「どうしようもない人間は自分の方である」という認識に立って、自分が相手よりも下にいることをほんの少しでも認めることができたなら、

おのずと人間に対しての本当の「優しさ」や「寛容さ」というものが得られるのではないだろうか。

どうしようもない人間は、"自分"なのだ。

世界はまだまだ了解しなければならない事柄で溢れている。

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