「直して使う」ということ ー20年前に100均で買った硝子のコップー
器を割ってしまった時は、自分を責めがちだ。
何でもっと気をつけなかったんだろう…
いや、気をつけていたはずなのに、何で…?
負の連鎖は、いつだって私のすぐそばで手招きしている。
振り返ると大切なものはこの手から容赦なく零れ落ちていく。
金継ぎ修理
20年前に100均で買ったガラスのコップ。
ずっと使ってきたのに、ふとした瞬間に割ってしまった…
「100均で買ったモノを修理するなんて…!」
人は私にそんな否定的な言葉を投げてきます。
私がどんな生活をしてきたかなんて、誰も知らないから。
このコップを手に取った時のこと、今でも覚えている。
値段とか、世間的価値とかではなく、
私は、私が選んで側に置いてきたものが無くなってしまうことが、どうしようもなく切ない。
悲しくて、修理に持って行くと、金継ぎ師の彼女はいつも優しい笑顔で迎えてくれます。
ずっと自分を責めてきたけれど、彼女に会えるなら、
決して悪い事ばかりじゃない。
修理の方法は彼女にお任せして、
私のもとへ戻ってきたコップは、世界に一つだけしかないコップになって戻ってきました。
そういえば、このコップを買った時も、何個か置いてあったけど、形は各々いびつだったり、模様がちょっと違ったり。
修理の終わったコップを引き取りに行ったお店で、包みを開けて、
このコップを見ながら、そんな話をしていると、店主さんが、
「このコップ、吹きガラスですね。ほら、裏のここの部分。ちゃんと磨いてありますね。」
「え?そんなことわかるんですか?…あら、ホントだ。」
「100均って、昔は海外で安く作ったものとかを並べて置いていたイメージがあるけれど、今はプロダクトって感じになってますよね。」
「確かに!」
”20年前”
そんな年月を語れるようになった自分にもびっくりだけれど、不思議と年月経つと新しいモノよりも、自分が選んできたものを大切にしたいと思うようになった。
「この歳になると、これでいいか、と思ってモノを買えないんです。安いとか高いとか社会的価値がとか以前に、これだ!と自分が思うものを買いたいんです。」
幸運にも、すでにモノに溢れた時代に生まれて、数えきれない選択肢の中に私たちは生きている。
このコップを手に取った時の私が、これだ!と思って手に取ったものを、
今の私がこの先も自分の側に置いておこうと思えることがうれしく、
それは何だか若かりし頃の自分を肯定してあげているようでもあり、
値段に関係なく、大切にしたいと思えるものをもっていることが、
私は本当に幸せだなと思う。
そして、それを修理してくれる人がいるという事も、なんと恵まれている事だろう。
帰り際、店主さんに、
「いいもの見せてもらいました!もう立派な古道具ですね。」
とお声かけ頂き、
否定的な言葉を投げてくる人が大半の中で、
私の思いに寄り添ってもらえたことに、胸が熱くなりました。
私の仕事は、椅子を張り替えるという、まさに修理の仕事だけれど、金継ぎ師の彼女に出会うまで、修理してもらうという事が実際どういうことなのかという事はあまりよくわかっていなかったような気がする。
私は椅子張りの仕事が好きだ、
修理した椅子を見て、お客さんが喜んでくれるのがとてもうれしい、
でも、それ以上に手放せない思いがあることに自己体験を通じて気づかされたのである。
古い椅子を張り替えて展示販売する「座と輪の古椅子展Vol.2」の開催を目指しています!