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地元を愛することと、地元を離れることは両立していい

村の学校の子どもたちが、自分自分の住む地域を存続させるために移住者に来てもらおうと奔走している。その姿は私に、この土地にまったく縁もゆかりもない私たち夫婦を温かく見守って迎え入れてくれた人々に、恩返しをしたかったことを思い出させた。それと同時に、自分の生まれ故郷を置き去りにしてきたことも思い出した。

「私の生まれ故郷は京都だ」

どこから来たのか問われて答えると「そんないいところから、どうしてこんな何にもない田舎にやってきたの?」と幾度となく言われた。ここには生活に欠かすことのできないものだと言わんばかりにどこにでもあるようなスーパーもコンビニも、銀行も郵便局も信号機も、何もない。まばらにある民家と山の中の盆地に広がる農地、川とそれらを取り囲む山があるだけだ。観光施設が2つもあるのが奇跡とも言えるような、それ以外にはほとんど何もない村だ。

私も人並みに地元の友達や家族といることに満足していたし、京都の文化や歴史を感じるお寺や今も人の絶えない神社も好きだった。

「一生、京都からは出ないだろうし、出たくない」

そう思っていた。

ところが就職してしばらくすると、異動によって急に滋賀県に住むことが決まった。大切な人にすぐに会えないことは寂しく心細くて、毎日、返事の返ってこないまっ暗な部屋に戻るのがとても憂鬱だった。

一方で、それまで生まれ育った土地が変わらなかったために途切れることなく維持してきた人間関係や、他人からそう見られているだろうと自分が想像する「私」という人間を演じるために張っていた気をすべて開放できると、晴ればれとした気持ちにもなった。

それまでの自分をよく知る人は、変わらない自分を肯定してくれる。それと引き換えに、自分が大嫌いだった私はそのままでいることを求められているような気がして、窮屈に感じていた。だから、誰の目も気にせずに変われることはありがたかった。

それに気づいて、京都を離れるのが怖くなくなった。

そして、結婚を機に初めて足を踏み入れた奥飛騨の、そのさらに山奥の、人間よりもクマのほうが多いと言われるような集落に越してきたことで、私は以前よりもずっと息がしやすくなった。

私は田舎暮らしにはまったく興味がない。それは移住して10年経ついまでも同じだ。

だから、実際に住んでみるまでは、都会に大体あるものは大抵あるものはなんにもない、超がつくほどの限界集落で暮らすのが心地いいなんて、思いもしなかった。すべては愛する地元を離れてみて初めてわかったことだ。

ひょっとしたら私と同じように、地元を離れるほうが生きやすいと感じる人がいるかもしれない。そして生まれ故郷に戻らずに、自分の気に入ったよその土地で暮らそうと決める人もいるだろう。

どうか、その感覚や決断に罪の意識はもたないでほしい。

私は故郷を離れて、自分らしく自由になった。他の土地で生まれて暮らす誰かも同じように感じてこの村に移り住むかもしれない。そうやって、それぞれが自分の肌に合うところで好きに生きていければ、それでいいんじゃないだろうか。

「地元を愛する気持ちはそのままに、あとのことはそこで暮らすとを決めた大人に任せて、好きなところで幸せになっていいんだ」

大人になり、親にもなった私は強くそう思う。

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