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会議ばかりやってる会社が「ダメになる」は本当か

A役員
「次回のボードメンバー会議で、例のプロジェクトについて討議するから、事前に進捗を確認したい。◯曜日時間くれないか?」
B部長
「はい、解りました。」
B部長
「A役員が例のプロジェクトの進捗纏めてくれって言ってるから、明日中に作って提出してくれるか?」
C課長
「はい、解りました。」
C課長
「B部長がボードメンバー会議様に、例のプロジェクトの進捗資料欲しいって言ってるから悪いけど至急作ってくれる?」
D係長
「はい。いつまでに何ページ位ですか?」
C課長
「B部長に確認してもらうから、悪いけど明日の昼までに。あの件を中心にして3〜5p位かな。画像いれてさ。」
D係長
「あの件は、E主任が担当してるんで、E主任にも手伝ってもらっていいですか?」
C課長
「そうだったな。じゃまずはE主任交えて夕方資料内容の打合せするか」
D係長
「はい。では16時で大丈夫ですか?」

・・・ある会社の会話です。
異口同音で本当に行われている実例です。

この様な「会議の為の打合せや、資料作成」が様々な部署で、毎日の様に繰り広げられてます。会議の為の会議、そして複数の人が関与する資料作成。
これが、ボードメンバー会議、管理者会議、部門会議、評価者会議、多様なプロジェクト会議等、名目の違う会議毎に行われる。
ある程度の歴史のある大きめな組織にありがちな構造です。

私はこの会話に出てくる「例のプロジェクト」を手伝っています。
ここに出てくるB部長とC課長がプロジェクト推進の要なのですが、彼らのスケジュールの6割以上は「社内会議」の為に埋め尽くされてます。
プレイングマネージャーの筈のC課長は会議以外の時間の大半を「次の会議準備」で費やし、部下であるD係長がそれを手伝わされます。

仮に上記会話の「ボードメンバー会議」で、プロジェクトの議題に費やされる時間が30分とします。

その為のA役員とB部長の打合せが30分 =合計1H
B部長とC課長の打合せが1時間 =合計2H
C課長とD係長とE主任の打合せが1時間30分 = 合計4.5H
C課長の資料確認と作成時間 =1H
D係長の資料作成時間 = 2H
E主任の資料作成時間 =1H

とすれば、30分の討議の為に12時間が失われる事になります。
一人平均1.5時間。プレイングマネージャーな筈のC課長は4.5時間。
実務的要のE係長は3.5時間です。

自らが参加する会議数も多いC課長は、上司の会議の為に費やす時間も足せば、もはや、「会議」に費やす労働時間が自身の全体労働時間の6割以上に達するのは当然と言えます。

この「会議向け業務」に費やされる時間のおかげで、プロジェクト自体の進行が遅れてます。プロジェクトメンバーがプロジェクトを進行させる為に使える「時間」が足りな過ぎるのです。

しかし、「会議」の場で「進捗報告」が必要な期限は定期的にやってくる。
会議で「報告」をする為に歪(歪)で付け焼き刃的な「対応」として何かを進める。。。

私は、プロジェクトの成果に危機感を覚え、「時間の確保」が必要な旨をプロジェクトリーダーである部長に伝えました。

すると、
「人が足りないんだよ。だから役員に人を増やしてくれと相談してみる」
との回答。
今度は「何故人が足りないか」「人を何人増やせばどうなるか」
を纏めた資料を作るって話になります。。その為の時間をプロジェクトメンバーが使う事になる。。
勿論、会議が多いから・・という様な結論が出ないし、それを主張する事もないでしょう。
「役職者の仕事=会議」と言っても過言ではない中で生きてきたのですから、会議を減らす・・という事は「問題外」という感覚でしょう。。会議用に浪費される部下や自分の時間をどう削減するか・・という着眼も出てきません。

長年培ってきてしまった会社全体の体質と、そこで育ってきた社員さんが持つ「組織人としての常識」は、私の立場から大きく変化させる事は難しいし、そこにメスを入れるのがミッションではありません。

こうなると私としては、プロジェクトに置ける具体的な実行事項や資料作成に「実務的サポート」を行い、進むスピードを上げる・・という事をせざる得なくなります。

部長のPCのデスクトップは、会議名のフォルダーが沢山。
一度、「会議名別の組織作った方が物事スムーズに動くんじゃないですか?」と、冗談半分で言った事があります。

課長・部長クラスの大半が複数のプロジェクト会議を兼任しながら、自身の部門長としての責務も果たす。自身の部署は係長以下が中心となって機能していて、実務は任せてる・・というのは素晴らしい事かもしれません。

しかし、この会社には「定期人事」がある。3年もすれば係長も課長も異動の可能性がある。部長位になると「保身」意識は相当高い。

異動しない「ベテラン社員」さんも居ますが、彼らは「会議」とは無縁な存在。人事異動の、その都度、培った体制や部門の風土も変わる。課長クラス以上はどこで誰が担当しても「会議」用の知識と経験があれば何とか体裁は整うし、ベテラン社員さんの存在で日常の実務は進行する。

ベテラン社員さん等は「どうせまた上は直ぐ異動するんだろう」と内心思ってるので、適度な距離感を保った上で「自分たちの仕事の聖域」を作ってしまい、業務的ブラックボックスを作る。
「この人等が居ないと実務が回らない」という状況をうまく作る。
上役が定期的に変わるので、聖域を無くす様な「深い部分までのテコ入れ」まで至る事が無い。ブラックボックスの存在には気づく事なく、また次の上役が来る。

結果、部門別の改善が進まないし、会社全体の業績自体は好転しない。
社内の様々なプロジェクトも「中身の薄い」「効果がない」ものになる場合が多い。

そうやって20年以上も業績を落とし続けている会社さんです。

この会社は比較的大きめな組織なので、部課長ともなれば「管理」の仕事に注力できます。私は管理とは「目標管理」と「人材育成」だと考えてます。
それに必要なコミュニケーションは、会議の為に存在してる訳ではありません。「会議資料と報告の上手さが評価に大きく影響する」・・・そんな風潮がこの会社に存在してます。

会議が会議を生む事でそこに時間と力を費やし、全体パフォーマンスが低下する。。この会社はまさにその典型かもしれません。

力もあり、ポテンシャルの高い人達がそこに労力費やしては勿体ない。
成果を上げる邪魔を自分等でしている。それに気づかず、
「どうしよう、どうするべきが、みんなで考えよう」
と、会議やプロジェクトを更に増やす。

悪循環。

会議が多いのがダメ・・・とは思いませんが、会議が会議を生む土壌、会議自体の進め方や在り方は、この様な問題を育んでしまいます。

「会議の多い会社は・・・」

会議自体の数ではなく、会議が悪影響生む場合がある事を理解することも大切だと思います。業績が悪化していて会議が多い会社は、社風や人事制度も絡み合った根深い負の要素により、「会議を増やす事が逆効果」を生む可能性が高いと言えます。

そこから生まれたのが「会議の多い会社は・・」という言葉であり、事実なのかもしれません。

勿論、「会議自体のクオリティや性質」も大切ですが、それはまた別の機会にでも綴りたいなと思います。






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