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『最果て』最終第三話

 オジサンはひとつ目の交差点で左折し、一旦緩やかな上り坂に建つ住宅地を通り抜け、進路を海から離れた国道へ変更した。別に不審なことではなかった。県道だろうが国道だろうが大した交通量も人影もない田舎道に代わりはなかったが、道はきれいになり、幅も少し広がった。

 道路脇に自販機がポツンとあるのを見つけると、オジサンは車を寄せ、「なんか飲むけ?」と私に声を掛けた。
 持っていたコーラを見せて、私が首を横に振ると、オジサンは、「ほうけ」と納得したようにつぶやき、窓を開けるとタバコに火を付けた。

 彼はタバコを吸いながら、「何歳で?」「家出か?」などと私に会話を振り、私はボソボソと質問に答えた。
 彼が吸い終えたタバコを指で弾いて車外へ捨て、窓を閉めたので、車が走り出すものと思ったが、なかなか発車しなかった。しばらくの沈黙のあと、オジサンは、

「なあ、一五歳やいうたら、もう一人でしたりはしよんやろ」と言いながら、右手で卑猥な動きをし、左手を私の太ももに置いた。どういうことか分からず、固まる私の太ももを這って、オジサンの手が上へとあがってきた。それでようやくこれはヤバいと気づいて、私は目一杯身を引いたが、車内でとれる距離は知れていた。

 オジサンは、「そんなテレんでもいいやろ、男同士なんやけん」と軽い感じを作って言い、私はどう返していいのか分からず黙った。

「次のコンビニでエロ本買っちゃるけん、それでしてるとこ見せてや、ワシも一緒にするけん」

 オジサンは勝手なことをいい、車のエンジンをかけた。それで私は慌ててシートベルトから抜けて、走り出そうとする車のドアを開け、転がるように外へ出た。
 そしてそのまま目一杯走った。背後からは、
「おーい、どこ行くんで、まだ遠いで溝辺は」
「冗談やけん、戻っておいでよ」
「二千円あげるから」
 というオジサンの声が徐々に遠くなりながらも聞こえて来た。

 一本道で、オジサンが車で追いかけてくれば簡単に追いつかれてしまうことは分かっていた。後ろからヘッドライトが迫ってきた時には身構えたが、まったく別の車が私の脇を通り過ぎていっただけだった。
 それでも安心できず、歩いているのと大して変わらないペースに落ちても、走り続けた。

 その内、街と呼んでもいいような場所まで出て、生協の運営するスーパーマーケットに辿り着いた。営業は終了していたが、駐輪場の隅に何台か埃を被った自転車が駐められているのが目に付いた。どれもまともに走るようには見えなかったが、鍵が開いている自転車があり、歩くよりはマシかも知れないと思い引っ張り出した。

 前輪も後輪もパンクしていて、鍵は刺さっていないのに開いていた。誰かが盗んできた自転車が、そのまま放置されているように思えた。
 跨がってみると、チェーンは生きていたが、空気のないタイヤは路面の衝撃をまともに拾い音も抵抗もひどいものだった。
 頑張って一〇〇メートルほど乗ってみて、歩いた方が楽かも知れないと疑問を持ち停まった。
 何時なんだろうと気になって、ケイタイを取り出し、メールが来ていることに気づいた。
 引っ越していってクラスメイトから、「今日は見送りに来てくれてありがとう。嬉しかったです。私も新しい生活頑張るので、吾郎ちゃんも頑張ってね」とメールが来ていた。

 私はイヤフォンを着けてプレイヤーのスイッチを入れた。ボリュームを上げてから、もう一度ペダルを踏んでみた。汗がすぐに出てきた。リヴァース・クオモは歌い、私は心の中では泣いていた。


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