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【雑文】結局、「推し」という感覚がわからない

少しスレた人間は、
「自分は違うぞ!」という顔をしながら、
「推し」という言葉を否定する、なんていうのは世にありふれた文章だが、

自分にはそもそも「推し」という言葉の抱えるニュアンスが結局理解できないままでいる。

とはいえ、「〇〇のファンになる」という感覚はわかる。
アイドルこそ、この歳までついぞハマることはなかったが、
最近のオタクの例に漏れず、明確に好きといえるVtuberはいたりする。

ただ、じゃあ「『推し』は名取さな?」とか聞かれると、
なんとも言えない否定したい気持ちになるだろう。
まあ、実際には聞かれたことは無いし、聞かれたとしてもそんないらない葛藤をいきなり早口で捲し立ててでもしたら、そのまま押されて線路に突き落とされても文句はいえない気持ち悪さなので、最低限社会常識のある自分は、苦虫を嚙み潰しながら「名取さなは推しです。」と答えるわけだが。

そんなように、しっくりきていない「推し」という言葉だが、そのままわからないと言っていてもしょうがない、一旦「推す」という言葉を辞書で調べてみる。すると、3つの意味があるようだ。

1 人や事物を、ある地位・身分にふさわしいものとして、他に薦める。
2 あることを根拠として、他のことを判断する。推し量る。
3 さらに突き詰めて考える。

1の意味はなるほど「推薦」という言葉はよくみるワケで、「推し」もこちらのニュアンスからきていそうではあるが解像度はイマイチ上がらない。
2と3はどちらかというと「推理」の方向のニュアンスだろう。こちらは今槍玉にあげている「推す」とは違いそうだが、宇佐見りん氏の著書「推し、燃ゆ」での主人公の「推し」のニュアンスはこちらの方がしっくりくる。小説だけでなく、実際にもこのニュアンスを含んだ「推し活」をしている人たちはいるだろうが、少なくとも主流な意味ではないだろう。


辞書から調べる方はどうもしっくりこない。というわけでどういった成り立ちで使われ始めたのかを調べてみる。
検索をかけてみると、どうやら「一推しのメンバー」が略され、「推し」となったという説が有力のようだ。元々はどこから使われていたかというのは所説あるが、AKBが流行ったときに一般に普及したとのこと。

なるほど言葉の成り立ちは、そうと言われれば納得できるものだ。急にニュアンスだけ汲み取って、「推し」という言葉が自然発生的に使われ始めたと考えるよりは、ある言葉からの”略語”として発生した方がしっくりくる。そう考えると「推し」と発音しても2音で済むこの言葉は略語として相当に優秀だ。

と、いったところで、自分の「推し」という言葉の違和感にも元をたどると納得できるところがある。「一推し」という言葉だ。あえて浮彫にするために「イチオシ」と書かせてもらう。辞書的な意味でもそうとは書かれているのだが、実際に「イチオシ」と日常、それこそスーパーのチラシでもみるような生活感溢れる言葉としてみると、すっと腑に落ちるものがある。
はたして、”何”を”誰”に「イチオシ」するのだろうか?

「推し」という言葉が流行るキッカケと言われているAKBは、総選挙を代表されるように、好きなメンバーを”推し”て盛り上げていき、人気を勝ち取り露出を増やす、というコンテンツの特性にマッチした言葉だ。

じゃあ今、自分が”それ”をしているかというと、していないわけだ。
自分は例えば好きなアイドルがいれば、そのアイドルを好きなのは自分だけでいいし、自分の応援とは関係無くいいコンテンツを提供して欲しい、と思うのは、今や傲慢なのだろうか?

と言いつつも、今のアイドルやそれこそVtuberなんてものを見渡すと、それらは「憧れの存在」というよりも、「応援する存在」となっているし、コンテンツ提供側としても、それを前提に展開している。
結局、「推し」という言葉が迎合できない自分は、言葉の表面的な意味だけでなく、もっと本質的なところで流行に迎合できていないのだろう。
これだけ言葉を並べても、「推し」という感覚は理解できないままだ。

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