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HSP生きてます。2

HSPの種類と性質

最近、HSPにも種類があることを知った。
HSPは4種類存在し、この4種類で特徴や性格が大きく違う。

まず、内向型HSPは、繊細で敏感な性質をもち、HSPに悩む殆どの人の特徴に当てはまる種類のものである。
HSPの根本的なものであり、基盤になっているものだ。

次に、HSE(外向型HSP)がある。繊細な部分を持っていつつも、外向的な面を持つHSPの種類である。人と関わることや外にアンテナを張ることを進んで(好んで)行うが、人の言動や距離感によってストレスを感じてしまうこともある。

そして、HSS型HSP(刺激追求型HSP)がある。刺激を求めるが、根は外向的ではない性質である。趣味や新しいことにチャレンジすること、いろいろな物事への好奇心には溢れているが、刺激にストレスを感じやすい性質である。人とのコミュニケーションはとるが、一人の時間を作らないとストレスや疲れを感じてしまうこともある。

そして、HSS型HSE(刺激追求・外向型HSP)という、上の二つを合わせたような名前の種類がある。HSPの中では社交的・活発であり、誰かを引っ張るリーダーシップがとれることも性質の一つである。しかし、一人の時間や人との距離感をもたなければ、ストレスを感じてしまうこともある。

HSPといっても、ただ内向的だったり、刺激が苦手な人だけでなく、一見繊細そうに見えない外向的な人やリーダーシップをとっている人でもHSPの場合もあるということだ。
勿論病気ではないので気づいてない人も多くいると思うし、今後もHSPを知らずに生きていくHSPの人もいるだろう。

自分の性質の矛盾。

私がHSPを知った後、様々な種類があることを知ったのは更に後だった。
私はHSPの性質に当てはまっているところが多々あり、読んでいて納得できることも多かった。しかし同時に、自分に当てはまらない部分があることも知った。
大きく言うならば、私は100%内向的ではない。割と外出や旅行は好きだし、人と会うことも苦ではない。広範囲に友達もいるし、ワークショップやアルバイトといったコミュニティにも入っている。度が過ぎない程度に騒ぐことや、人と何かをすること、お喋りが好きだ。

そう考えると、HSPの特徴に当てはまらない点が出てくる。
そんな時に、HSPには種類があることを知った。
HSPには内向的なものだけでなく、人と接することが好きな人、外に自ら出ることが好きな人、リーダーシップをとることに苦を感じない性格の人など、様々な性格の人にも当てはまるらしい。

となると、自分はHSS型HSE、HSS型HSPなどの外向きなHSPや刺激追求型のHSPであるのではないかと考えた。
前に書いた記事でも述べた通り、私は病院で直接診断を受けたわけではない。なので、正直細かな区分けはわからない。しかし、外向きであること、刺激を追及したり人と楽しく過ごしたりした分、HSP特有の代償が心身共に後々押しかかってくることも事実だ。

外向的の代償


最近の出来事だが、私は先月一人暮らしをしているマンションに仲のいい同性の旧友を泊めた。

昼間から様々な場所に出かけ、レストランで食事をしたり映画を観たりした。
その友人と会うことや長時間遊ぶことは久々だったため、心の底から楽しむことが出来た。
夜は映画や動画を見ながら夜更かしし、次の日目覚めたときに私は友人を泊めたことを半分くらい忘れていた。

次の日、なんとなく遊園地に行った。入場料を払うシステムではなく各アトラクションごとにチケットを買うシステムの遊園地であり、屋外で遊ぶには心地良い気温や天候であったため私たちは遊園地で時間を潰すことになった。
土日だからか人も多く、私たちはアトラクションに乗るより話しながら園内を歩くことの方が多かった。私は沸々と感じていた。
とてつもなく疲れ、行動と比例しないくらい体力を消耗している。

友人のことは大好きだし、遊びに行った遊園地に行くのも初めてだったので楽しかった。
しかし、友達には悪いがとてつもなく疲れていた。話すこと、歩くこと、数分先のプランを考えること、全てに疲弊していた。勿論友人にそんなことを言うわけにはいかないし、早々帰らせるわけにはいかない。友人のテンションは高く、そんな友人を見ることは楽しかった。
正直そんな気分だったからか、友人が帰るときは少しだけ安堵した。
友人は気づいていたかわからないが、もしも私のテンションが徐々に下がってノリが悪くなっていたのなら今更ながら謝りたいとすら思う。

友人と別れ、静かな自宅に戻った。とてつもなく疲れていた。
友人が使用した布団を片付け、私は買い物に出た。
しかし、私はその時、心の底から疲れていて、誰かと口をきくことが出来なかった。私は店で買い物をしたとき、お礼を必ず言う。しかし、その一言の礼の言葉すら出すことが出来なかった。疲れが原因ということはすぐに分か
った。
こういう日は何をしても仕方ないと思い、夜に上映されるプラネタリウムに駆け込み、一人きりでプラネタリウムを鑑賞した。
人工の星を見ながら、1時間の上映の半分を眠って過ごした。

その時もそして今も、これが外向的なHSPの代償であるのかもしれないと感じている。勿論人によって違うと思うし、外向的HSPの人でもこのような代償がない人もいると思う。

しかし、少なからずこの程度の代償がなければある意味おかしい気もするのだ。何せ、ただでさえ合わせづらく、関わりにくい性質だ。自分ですらわかりきっていない繊細な性格に、代償がないはずがない。

私はそんな風に考え、外向的HSPと向き合っている。
正直、来月も日を跨いで仲のいい友人と過ごすことや人を泊める機会がある。とてもこわい。疲弊は自分の気持ちと合わない形で生じ、気持ちに相反して唐突に出てくる。
トラウマになりそうだと感じるが、今後の私のためにも乗り超えなければならないと感じる今日この頃だ。

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