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シベリアのビートルズ 2023

音楽を愛する人は、一度は考えたことがあるのではないかと思います。
「音楽にはどんな力があるのか?音楽は、果たして平和な世界をつくり得るのか?」

ロシアがウクライナを侵攻している今、イルクーツクに住む日本人が著した『シベリアのビートルズ』は、私にとってその答えに一歩近づく一助となりました。

当然のことながら私はタイトルの『ビートルズ』という単語によってこの本を手にした訳ですが、『シベリアのビートルズ - イルクーツクで暮らす- 』は、いくつもの国や地域で暮らした経験を持つ著者が、イルクーツクで出会ったパートナーとその愉快な仲間達、そして彼女自身について語った海外事情エッセイです。

著者である多田麻美さんは、中国やロシア文化に造詣の深い文筆家でいらっしゃいますが、両親の影響でビートルズと出会い、その彼らの音楽が遠く離れたシベリアで暮らしていた現在の夫との結びつきを強くしたというストーリー展開は、ビートルズファンにとっては胸熱です。

「ウクライナに軍事侵攻しているロシア」という見方が私の脳内の大部分を占めてしまっているこのタイミングで、彼女の夫である画家スラバ氏を初めとするイルクーツクのアーティストたちの暮らしを多田氏の隣人目線で垣間見ることができたのは、非常に有難い事でした。

少し前に見た「ビートルズが東側諸国、特にソ連・ロシアにどのような影響を与えたか」ということを紹介したNHKの番組バタフライエフェクト〜ビートルズ・赤の時代/青の時代』の内容とも重なる部分があり、「イルクーツク(ロシア)で暮らすビートルズが好きな人物」像がより立体的になりました。

西洋のロックが禁止されていた時代に、彼らはどうやってビートルズを知ることができたのか?どのようにしてビートルズの音楽を聴いたのか?そして、ビートルズに衝撃を受けた者は、その想いをどう表現したのか?
そして再び言論統制が強まりプロパガンダが進む今、ビートルズを愛する人たちの生活はどうなっているのか?

サブスクで好きな時に好きな音楽がいくらでも聴ける現代日本で暮らす自分にとって、自由に音楽を聴き、自由に自己表現できることが当たり前でない世界があり、しかもそれが別に遠い過去や場所の話ではなく、なんとなく自分の暮らしと地続きであることを感じさせられたのは、きっと実際にロシアという国で日常生活を営んでいる著者の言葉の力なんだと思います。

彼女がどのような幼少期を経て北京に渡り、今現在イルクーツクで暮らしているのか、という個性的で稀有なエピソードについては実際に読んで噛み締めてもらいたいのですが、ビートルズを愛する者として、彼女に教えてもらったビートルズに纏わる逸話を備忘録的にまとめておきたいと思います。

✔︎ビートルズが初めてソビエトで公式に紹介されたのは1967年。ロックは禁止されていたため『人民の音楽』と銘打たれ、世界のヒット曲を集めた『音楽のカレイドスコープ』というアルバムに収録された。楽曲は(なんと)”Girl”。

✔︎ソ連崩壊前の1980年台前半、ソ連の水兵たちは乗船している原子力潜水艦の中で “Yellow Sumbarine” を合唱していた。

✔︎イルクーツクのレーニンの銅像がある「レーニン通り」を、ビートルズファンたちは密かに「(ジョン・)レノン通り」と呼んでいた。 

 →以前書いた記事で、ウクライナのある村では、知事の裁量で正式に「レーニン通り」を「レノン通り」にしたというニュースを紹介しています。
ロシアにもウクライナにも、気持ちを同じくするビートルズを愛する人たちがいるんだな…と思いを馳せるエピソードです。

✔︎かつてイルクーツクには「リバプール」というパブがあり(2005-2015年頃)、様々なバンドがビートルズのカバーを演奏していた。

✔︎多田氏が最初にビートルズを意識したのは “Rubber Soul”のジャケット写真。彼女の夫スラバ氏のビートルズとの出会いは、キャンプ場で若いコックが着ていたビートルズのT-シャツ。ビートルズのインパクトは、その音楽だけではなくビジュアルであることも往々にしてあるという好例2連発。

✔︎ビートルズのメンバーの誕生日や命日を必ず自身の個展のオープニングの日に設定するという程のビートルズファンであるスラバ氏は、かつてリンゴ・スターに肖像画をプレゼントし、返礼としてリンゴが首にかけていたピースマーク入りのペンダントを贈られたことがある。Peace & Love!

 →スラバ氏の幼少期のエピソードから浮かび上がる彼の父親・母親との関係性は、どことなくジョンを思い起こさせるものがありました。スラバ氏が画家を志した動機のひとつが「母親が自分を見つけやすいように」であったという話は、ずっと母親を追い求めていたジョンと重なります。

✔︎ペテルブルクにジョン・レノンに捧げる「愛と平和と音楽の聖堂」を建築しようとしていた程の<ソビエトとロシアを代表する>ビートルズ・マニア であった現代美術家のコーリャ・ヴァシン氏。
生涯をかけてビートルズの曲にインスパイアされたオブジェなどを創り続けた彼には、オノ・ヨーコ氏から「あなたのような人がジョンを殺したのよ」と言われたという伝説が残っている。

 →本書に記されている「コーリャ氏がソ連やロシアで果たした役割」、「彼が遺したビートルズへの愛と謎の死についての考察」は、ロシアという国についてはもちろんのこと、21世紀におけるビートルズの在り方についても考えさせられます。

▼コーリャ・ヴァーシン氏が逝去した際のNMEの記事を見つけました。

2022年2月24日。ロシアはウクライナへの軍事侵攻を仕掛けました。
その信じられない出来事は、ロシアの人々の間にも大きな対立と分断を生むこととなります。
実際にシベリアで暮らす著者の親しい友人たちの言動からは「たとえどんな立場であろうと、大多数の人は戦争が早く終わって欲しいと願っている」ということが伝わってきて、少し救われる想いがします。

2022年の6月と7月、それぞれポールとリンゴの誕生日を祝う集いがシベリアで密かに開かれ、多田氏も参加します。
集まったビートルズファンたちは、たとえ政治信条は違っても、ビートルズの音楽の話で盛り上がり、共にビートルズの曲を演奏し歌っていたそうです。
反戦メッセージが厳しく統制されるロシアで、ビートルズやジョンの歌をひとりでひっそりと歌っている人もいるのかもしれない…と想像させられます。

最後に、「音楽にはどんな力があるのか?音楽は、果たして平和な世界をつくり得るのか?」という、私が答えを出せないでいる問いに対する大きなヒントを与えてくれた著者の言葉を引用します。

魂のこもった音楽や芸術作品は、どんなに血なまぐさい時代でも、国境の壁を越えて、静かに人々の心に響く。その力を信じ、それを分かち合える人々の力をも信じること。それが、今も私がイルクーツクに拠点を置き続けるためのエネルギーとなっている。

多田麻美著『シベリアのビートルズ』


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