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ピート・ベストはなぜビートルズを解雇されたのか?

遂に先週末7月19日から東京六本木でポール・マッカートニー写真展が始まり、また、2年ほど首を長くして待っていたビートルズの伝説のマネージャーブライアン・エプスタインの伝記映画【Midas Man】にも公開の動きが見え、ビートルズ界隈の2024年の夏も暑く燃え上がっています。

そんな中、私は立て続けに超初期・アーリービートルズのコンテンツに触れ、ビートルズ沼にちょっと足を突っ込んでしまった人なら一度は考えたことがあるはずの「ピートのクビの真相」について現時点での情報と妄想をまとめてみることにしました。

今回、この記事をまとめるにあたって参考にしたコンテンツは、映画『ザ・ビートルズの奇跡 リヴァプールから世界へ』、そして、書籍『ビートルズ・イン・ハンブルク』です。

それぞれの簡単な感想については以下の動画で話していますので、映画や書籍にご興味のある方はぜひご覧ください。


デビュー前のビートルズ

ジョン・レノンが学生時代に結成した「クォリーメン」という元スキッフル・バンドがメンバーを変えながらポールを迎え、ジョージを迎え、スチュアート・サトクリフというジョンのアートスクールの親友を無理矢理ベーシストとして引き込み、ハンブルクへ巡業に行くため必要に迫られ(ドラマーのいる5人編成のバンドが求められたため)その直前にピート・ベストを加え、ハンブルクの劣悪な環境で休みなく1日7時間!みたいなステージをこなしロックバンドとして成長し、リヴァプールでの人気が高まり、ブライアン・エプスタインという彼らに心を奪われた情熱の塊みたいなマネージャーと出会い、彼の体を張った売り込みのお陰でなんとかメジャーデビューにこぎつけ、そしてそのデビュー直前(1962年8月)にドラマーをピート・ベストからリンゴ・スターに替えた。
…というのがビートルズというバンドの始まりの物語です。

ビートルズ ハンブルク巡業一覧

このドイツ・ハンブルクでの演奏漬けの日々は、若いビートルたちを音楽づけにし、友情を深める貴重な時間となりましたが、その6回の巡業のうちの4回のドラマーをピート・べストが務めており、彼はおよそ2年間、ビートルズの初代(固定)ドラマーとしてジョン、ポール、ジョージと共に過ごしています。

ピート・ベスト解雇の理由

そして、本題です。
「ピート・ベストはレコードデビュー直前に、なぜビートルズをクビになったのか」。
今回読んだ本、視聴した映画に加え、これまで見聞きした情報を合わせ、現時点で推察できる理由をまとめてみたいと思います。

何事もそうですが、物事の原因はひとつではなくいろんな事情が重層的に絡み合っていますので、「これが理由だ!」と断定できないことは重々承知していますし、そもそも根拠としているのが複数人の遠い記憶やミーハーな憶測だったりしますので、それを踏まえた上でお読みいただけると幸いです。

Credit: Mark and Colleen Hayward

①Feelingの不一致

映画の中でトニー・バーロウ(ビートルズの元広報担当)がいくつか真相に迫るような興味深い証言をしています。

ライブの後、ジョン・ポール・ジョージの3人は盛り上がってそのまま飲みに繰り出すが、ピートは彼女と一緒に帰っていくことが常だった。
そして飲みつぶれた3人のそばには、よくリンゴがいた。

「生活スタイルやユーモアがジョン・ポール・ジョージと似ていたのは、ピートではなくリンゴだった。」というような内容です。

また当時4人を見た人の中には「ピートはビートルズではないようだ」という印象を受けた人たちも少なからずいたようで、ブライアン・エプスタインもそんな風に感じた一人だったようです。

『ビートルズ・イン・ハンブルク』の中にも、ピートの解雇について書かれた一説があります。

どんな状況であれ、バンドの分裂が起こる際は、メンバー間の性格または社会性の不一致が引き金となる場合が多い(略)。この観点からすると、べストが変わった男であるとする数々のエピソード(ドラッグ摂取を拒む、ヘアスタイルを変えるのを渋る)は、彼と他のメンバーとの間に明らかな隔たりがあったことを証明する。

『ビートルズ・イン・ハンブルク - 7. 都市のサウンド』

また、ポールはこんな風にも話しています。

ピートは一度も、真の意味で他のメンバーみんなのようになったことはない。僕らはおふざけトリオで、ピートは多分もう少し…分別があった。彼は僕らとやや違っていて、僕らのようにアートづいてなかった。それにとにかく、あまり一緒につるまなかった。

『ビートルズ・イン・ハンブルク - 7. 都市のサウンド』

特にピートと仲が良くなかったと言われているポールの言なので、少し差し引いて捉える必要があるかもしれませんが、ピートがステージ以外で他のメンバーと距離を置く一方、その場で一緒に盛り上がっていたのはリンゴだったことや、時々ライブを休むピートの代わりをリンゴが務めたこと、リンゴと一緒に演奏した時の楽しさや手応え、そして通常では高評価に値する "ピートが他の3人(とリンゴ)よりちょっとまともだった" ことなどが、少しずつ亀裂を深めていった原因だと言うのは十分有り得るような気がします。

そもそも5人編成のバンドにするために "ドラムセットを持っている知り合いのピート" を雑なオーディションで引き入れた時から、ジョン・ポール・ジョージには、特にピートと永続的にバンドを続けようという意思が無かったんじゃないかと思ってしまいます。

「ハンブルク行きたい!あ、ちょうどいい奴いるじゃん」くらいのノリで、それが実際デビューするという話になった時に、「ずっと引き延ばしにしてきたけどそろそろドラマーを本当に代えないとな、、、EMIのプロデューサーもドラムが良くないって言ってるし。。でも自分たちでクビって伝えるのは嫌だから、ちょうどマネージャーができたし彼に言ってもらおう!」くらいのノリではないかと妄想します。
こんないい加減に重要な決断をしていいのかな?と思ったりもしますが、彼らの10代の頃の適当さや冷酷さを知るほどに、そういうこともあるだろうな、と受け入れられてしまいます。

②ドラムの技術

これもちょくちょく言われることですが、ピートがドラムがイマイチだったという理由です。

これについては映画の中でも複数の人間が「ピートのドラムは素晴らしかった」と言っていますし、2年間他の3人と同じようにステージに立ち続けていれば、いくら下手なプレイヤーでもある程度にはなるんじゃないの?と思うので、それが最大の理由とは考えにくいとも思います。

ただ、一向にベースの技術が上達しなかったと言われているスチュアート・サトクリフの例もありますし(彼の場合はバンドを続けていくことに対する情熱が誰よりも低かった訳ですが)、「ピートは一定のリズムのドラムしか叩けなかった」というような証言も読んだこともありますので、なんとなくハンブルクの野次やリヴァプールの黄色い声に負けないパワー系ドラムのプレイヤーだったのかな?と勝手に想像しています。

アンソロジーの中でポールは、「ジョージ・マーティンがピートのドラムに満足していなかった」と発言していますが、結局交代したリンゴも後にセッションドラマーに挿げ替えられていますし、「リズムキープできないドラマーは不可!」という感覚においては当時はピートもリンゴも似通った部分があったのかもしれません(といっても、加入早々に初めてのスタジオレコーディングでオリジナルを叩かされるリンゴは気の毒にも思えますが)。

ですのでドラミングについても、やはり技術云々というよりは一緒に演奏したフィーリングやノリという部分の方が大きいのではないかと思います。
これはバンド経験がある方だと理解しやすい感覚かもしれません。

ただ、ビートルズの3人が「EMI側もドラムが気に入らないようだ」という事実をピートをクビにする後ろ盾にした可能性は十分あるかと思います。

③人気No.1だったから

映画の中でもトニー・バーロウが冗談まじりで話していましたが、当時ピートがバンドの中では一番人気で、それについて特にポールが嫉妬していて追い出したという説もあります。

わたしも過去にいくつか見聞きした説では、無口で一番ルックスの良かったピートはリヴァプールでのライブ後ファンにもみくちゃにされることが多く、ポールの父のジムさえもそのことを不愉快に思いピートを叱責した。。みたいなぶっ飛びエピソードも読んだ記憶があります。

ポールはハンブルクでスチュアートが一番チヤホヤされることに嫉妬心を抱いていた説もあるくらいなのでこの理由もゼロだとは言い切れませんが、それが確定的な解雇の原因になったと考えるのはナンセンスだと思います。
でも面白いので良いと思います。

④モナ・ベストの存在

そして4つめは、ピートの母親モナ・ベストを巡るあれこれです。

モナはビートルズがリヴァプールの下積み時代にライブ出演していたカスバ・コーヒークラブのオーナーで、ジョン・ポール・ジョージの途切れそうなバンド活動を支えたひとりとも言えますが、息子のピートがビートルズに加入してからは息子のバンドを盛り上げるべく、息子と共にビートルズのマネージャー的な働きもしています。
ハンブルクからリヴァプールに戻った際にはもちろんカスバでライブもさせますし、他にもブッキングや交渉ごとなど面倒なことが嫌いな3人に代わってベスト親子がマネジメントを担っていました。
そのため、またここで登場してくるのですが、ポールはそのことをあまり心よく思っていなかった、というのは過去に読んだことがありました。

個人的には、ブライアン・エプスタインが正式にビートルズとマネジメント契約を結ぶことになり、マネージャーは二人要らないのでモナはお役御免となるため、あまりいい気持ちがしなかったかもしれないな。。と妄想したりしていましたが、今回、書籍と映画によりモナ・ベストに纏わる新たな説を知り、ちょっと驚きました。

モナは、ビートルズのロードマネージャーを務めたニール・アスピノールとの子供を1962年に出産しています。
ニールはポールと同級生で、卒業後会計士の勉強をしていましたが、忙しくなってきたビートルズのドライバーを任されたことをきっかけに稼ぎが良いからとそのままロードマネージャーとなり、ある時からピートの家に居候していました。

つまり、モナとニールは親子ほどの年齢差があり、ビートルズがレコードデビューしようとしているまさにそのタイミングでの出産はスキャンダルになり得るとブライアンエプスタインが懸念していた、という説があるようです。

たしかに、シンシアの妊娠をきっかけにあっさり結婚を決意したジョンや、同性愛者であることをひた隠しにしなければならなかったブライアンが示すように、当時のイギリスの道徳規範を以ってすると、"息子の親友の子供を孕った母親を持つドラマー" というのは、これから華々しくデビューを飾るビートルズの足を引っ張る大きな傷になると(ジョンの結婚も厳重に秘密にした)ブライアンが考えてもおかしくないような気がします。

そのため、「モナベストの妊娠が、ピートべスト解雇の大きな原因だと確信している」人もいる、と『ビートルズ・イン・ハンブルク』には記されています。
映画ではブライアンがモナと話し合いしたというエピソードが、そして、書籍では、ブライアンとDJのボブ・ウーラーがこの件について会合を持ったというエピソードがそれぞれ紹介されており、信憑性を高めています。

まとめ

以上4つが、わたしが現時点でざっくりまとめた「ピート・ベストがビートルズを解雇された理由」となります。

映画の中で、解雇された直後のTVのインタビューでその理由についてズバリ聞かれたピートが「自分のバンドも組みたいと思っていたし、、」と答えていたのはかなり切ないものがありました。
ブライアンはピートにクビを宣告した後、新たなバンドを結成しピートを中心メンバーに据えて売り出しますが、結局泣かず飛ばずで、最終的にピートは音楽活動をやめ公務員になります。
しかし、ビートルズのアンソロジープロジェクトによって彼の現役時代の演奏が公となり、彼にも相当な印税が入ったと聞きますし、現在82歳の彼は再び音楽活動を楽しんでいるようで、それには救われる思いがします。

「ピートはグレート・ドラマーだったけど、リンゴはグレート・ビートルだった」

これは映画の中でトニー・バーロウが、ジョンが言ったと紹介している言葉ですが、もう本当にそれに尽きるんだろうな!と納得させられてしまいました。

ビートルズが "Fabulou 4" になるためにリンゴが必要だったということに、なんの反論もありません。
技術とかビジュアルとか一緒に演奏してきた年数とか関係なく、それを超越するものがあるのです。
大きな科学反応が起こる時に重要なのは、フィーリングとタイミングです。

これは決してビートルズだけに当てはまることではなくて、私たちが日常生活を送る上でも体感したり実感することがあるんじゃないかと思いますが、ビートルズの場合は、その化学反応がビッグバン級だったということでしょう。

ハンブルクとリヴァプールで過ごした超初期・アーリービートルズ時代が、彼らが最も情熱を持って音楽を楽しみ、友情を育んでいた時期なのかもしれません。
そんな時期に2年間ジョン、ポール、ジョージとともにステージに立っていたピートはやはり選ばれた人ですし、その彼を無惨に切ってまで (アンソロジーの中でジョージは「ピートには申し訳ないことをした。他にもっとやり方があったはずだ」と語っています) 彼らに仲間に引き入れたいと思わせたリンゴはやはりものすごく特別な人間なんだろうな、とニヤニヤしてしまいます。
ピートとリンゴ。ふたりのドラマーには、これからも元気でリズムを刻み続けてもらいたいものです。

▼超初期ビートルズについて詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。


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