違うから、人は人を想う(という理想)
JTやACのCMは心に残る。
こんなキャッチコピーやCMを作りたい、と広告代理店にちょっとだけ就活もしたことがある。
(ESの扇風機のキャッチコピーを考える課題とか、チョー楽しかった記憶。自己紹介も、ちびまる子ちゃんのキャラに例えて書いたりしていたな。懐かし。)
先日夫と育に関して険悪な最中にこのCMを目にして、顔が( ̄∀ ̄)ってなった。
THE・理想の世界。
そうなんだよ。違うから想像する。違うから想うことはできる。
だけれど、違うからこそ共感ができず、違うからこそ1つのことを共有するのが難しく、違うからこそ、一緒に育児するのが難しい。しんどい。
何度、一緒に育児をするパートナーに「おなじ」を求めたことか。
休日の過ごし方ひとつ取っても如実にあらわれる。
映画やゲームセンターやカラオケ、商業施設大好きな夫と、それに染められる長男。
徒歩1分の豊かな公園で外遊びを楽しみたい、自転車や縄跳びの練習など、ワンオペな平日にはなかなかゆっくりと見てあげられないことをやりたい私。(と公園好きな次男)
生活を楽しく!値段というより楽しむためにはコスパよくお金を使う夫と、普段はなるべくお金をつかわずに、旅行などで気分良くお金を使いたい私。
1日の中の、小さなひとつの行動に反映される価値観、そのものが本当に真逆な私たち夫婦の育児は、なんだか常にハードモードでやってきた気がする。
そりゃしんどいや。
相手の行動に「なんでそんなことするんだろう?いや、この人はこんな人だからだよな。」とは想えるのだけど。
それと自分の価値観との折り合いをつけていくことが、しんどい。
毎日毎日、意識せずともこどもを介してその違いを目の前に突きつけられ、子どもに対しての対応を迫られる。
育児は「一緒にしていく作業」がなんて多いことか。夫婦2人の時は良かったけれど。違いがこんなにも日々をしんどくするなんて思わなかった。
諦めたり、歩み寄ったり、放棄したり、許したり。我慢したり、ぶつかったり。あまりにも頻度が多くなってしまう。
価値観が似ていたら。。。
もっと一緒にいる育児が楽になるのだろうか。
そんなもやもやを抱えながらも、諦めずに夫と一緒に育児をしている。もちろん「違い」が面白味になることもあるし、それが私たちが一緒に育児をする意味だと信じて。
疲れた時には、先週末のように「別行動」。
4人のペアを柔軟に変えながら、居心地良い時間を作って行く。それもひとつの解決策だよねっとそこは同意に至ったのでした。
今日も1日、想い想われ、共に。
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