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失敗したチヂミみたい

スーパーの、パックにぎっちり詰まった雑なコロッケを食べていると、親父を思い出す。

別にこういうのが好きだったんじゃない。ただ、親父のアパートへ行ったとき、机には菓子パンの残骸が散らかり、ゴミ箱の中には魚肉ソーセージのビニールばかりが放り込まれていた。こんなのばっか食ってたのかと思った。
人はまともに料理をしないでいたら、簡単に死ぬんだ。怖くなって、私はときどきやってしまう、「お菓子で腹ごしらえする」ことを止めた。

お世辞にも、尊敬できるとは言いがたい父親だった。

まず、沸点がわかりにくい。私が中学生の頃だったろうか、家族で夕食を食べていたとき、親父がむせて、ごはんつぶが私のところに飛んできた。思わず「きたねー!」と言って茶化すと、「なんでお前にそんなことを言われなきゃいけないんだ!」と激昂し、ボコボコに殴られた。本当に痛くて、つぶを飛ばしたのは明らかにお前なのに、なんでこんな目に遭わされるんだと思った。

そして、気分のアップダウンが激しい。気持ちが上がっているときは、常に鼻歌を歌い、私の着ている服にいちいち興味を示し、「どれか譲ってくれないか」とせがんできた。どっちが親だよ。一方、気分が下がっているときは、ずっと家にいる。ソファから一歩も動かない。食べて、寝て、トイレに行って、食べて、寝るだけ。ナマケモノだって、トイレのときは機敏に動くというのに。
私は、上がってても下がっててもいいから、頼むからどっちかにしてくれと思っていた。

極め付けは、金遣いが本当に荒い(これは私にもやや受け継がれている)。気持ちが上がっているときに、何か怪しげなビジネスに目をつけ、「今度はうまくいく!」と豪語しては失敗、やがて気落ち、というのを繰り返していた。
何度目かわからない「新ビジネスへの挑戦宣言」をした際、いよいよ母が音を上げ、家族はふたつに分かれた。

家族が分かれたのと、私が社会人になったのは、ほぼ同時期のこと。私が新卒で入った会社には、親父よりももっと沸点がわかりにくく、親父よりももっと気分の上下が激しくて、親父とは比べものにならないほど人づかいの荒い魑魅魍魎がうごめいていた。

自尊心をぺしゃんこにされる日々の中で、親父がなぜ怒り、心が揺れ、散財に傾くのか、少しずつ、身に焼き付けられるように、理解できるようになった。

親父とは、帰省のついでに会う年もあれば、会わない年もあった。恰幅がよかったはずの親父は、見るたびに痩せこけ、次第に脚を引きずるようになった。だんだん「自業自得だ」と断じるのも苦しくなって、コロナ禍以降は、ほとんど会わなくなった。

今年の春、勤務先の都合だとかで、親父が実家の近くに越してきた。なんで近くに来るんだよ、ではなく、なんか会ってみようかな、となった。料理でも差し入れてやるか、とインスタで見たチヂミのレシピに挑戦したら、片栗粉の量が足りなくて、どろっとした野菜の塊になった。

作り直しもせずに親父の家を訪ねて、「久しぶりー」とか言って料理を渡し、20秒くらいで家を後にした。後から「何某かはわからなかったが、うまかった」とLINEが来た。

それが最後だった。


何某かはわからない、どろっとした野菜の塊。不定形で、収まりがついていない。情けないくらい、親父と私の関係みたいだ。もう、片栗粉を足して焼き直すこともできない。

スーパーの、雑なコロッケは今後も食べる。菓子パンだって食べるし、魚肉ソーセージもときどき食べたくなるだろう。

でも、私は自炊もしていきたい。そりゃどろどろを生み出すこともあるけれど、暮らしが億劫になって、出来合いのものだけを食べるようになったら、人は、生きるための活力を失ってしまう。

不定形のまま終えるような経験は、もう二度としたくない。
今なおずっと、あそこでああしていれば、そこでもっと歩み寄っていれば、私がもっと早く大人になっていれば、もっとうまくチヂミが焼けていれば、と後悔し続けているのだから。


この話、せめて父の日にアップできればよかったね。いつもタイミング悪くてごめん。たくさんの諦めや、孤独や、退屈から、解放されていることを願います。



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