〈24〉「この人が、お父さんだよ!」
■24
一時間に三本しかない電車が、タイミングよくホームへ滑り込んできた。窓外には青々とした田園が広がり、それを照らす強い西陽が夕陽へ遷り変わろうとしている。
元妻の実家は、駅から徒歩一分だ。駅前で何度か深呼吸をした。閑散とした駅前では男の子が三人、遊んでいる。ありふれた夏休みの風景だ。
もしかしたら、私の子供たちも家の前で遊んでいるかもしれない。
しかし元妻が、そんなことを許しているかどうか。「遊ぶなら、家の中で遊びなさい」と厳命していてもおかしくはない。だが、非効率的なことを嫌う性質だ。家で子供が騒いでいると、仕事や家事が進まないので、外で遊ばせている可能性もある。運動会から一ヶ月半。そろそろ気をゆるめているかもしれない。
考えていても答えは出ない。ここまで来たら、確率は半々だ。いるか・いないか、会えるか・会えないか。それは時の運。しかし行かなければ、絶対に確率はゼロだ。行け! 行け! 行けば、確率が五〇パーセント上がる。行けば子供たちがいる。行けば、約束を果たせる。
だが、一歩が踏み出せない。心中で何度も自分に発破をかけたが、硬直したように動かない。恐いのだ。これ以上は悪くなりようもないというのに、状況が変わるのが恐い。
「怒りや恐怖は内に溜め込まず、足にこめろ」
そして一歩前に踏み出す、行動の原動力にする。拉致されてボロボロになった私は、幾度となく自分に言い聞かせてきた。
いま、その成果が問われている。足下だけを見ながら、一歩、二歩と自分を歩かせる。進みながら、少しずつ顔を上げた。
あと三〇メートル。あの角を左に曲がれば目的地だ。私は角を曲がらず、足早に通り抜けながら、横目で通りを確認することにした。万が一にも、不審者として通報されるわけにはいかない。
心臓が早鐘のように鳴る。交差点を通り過ぎようというとき、視界の端に影が映った。いた。子供たちがいた。子供が二人遊んでいる。顔は見えなかったが、ちょうど元妻の実家のあたりだ。
振り返らずにそのまま進み、一つ向こうの角を左に折れた。そのまま左折をくりかえし、ブロックの反対側から元妻の家の前へと回り込んだ。
自転車に乗った女の子と三輪車にまたがった男の子。女の子は娘だった。ということは、三輪車の男の子は、生後二ヶ月で引き離された息子なのか。
「あっ!」
娘が私に気づいた。私は緊張を満面の笑顔に変えて、ゆっくりと近づいた。男の子が振り返った。顔を見た。目が合う。
娘にたずねた。「この子が……?」
娘は頷いた。
三歳になろうとしているが、私の目にはハッキリと面影が重なった。いとこのKちゃんの家で、お風呂に入れた時のあの目だ。男の子は、不思議そうに私をじっと見ている。私はしゃがんで息子と目の高さを合わせた。
「お父さんだよ」
男の子は微笑みたいけど、驚きで微笑めないような微妙な表情を浮かべている。
「この人が、お父さんだよ!」
娘が言うと、なにかを言おうとするが声が出ないようだ。はにかんでいるようでもある。私は、息子との約三年ぶりの再会に震えていた。やっと会えた。
私の母も、孫と引き離されて三年になる。「会えた」と報告すれば喜んでくれるだろう。大きくなった孫の顔を母に見せてやりたい。
しゃがんだまま携帯電話を取り出そうとポッケに手をやる。もたついてしまう。いつもならすぐ取り出せるところに準備しておくか、手に持っておくのだが、動転していたようだ。
やっと携帯を取り出して、息子と二人の自撮り写真を撮ろうとした時、彼の身体が後ろに向かって舞い上がった。
「アッ」
振り返ると鬼の形相をした元妻が息子を抱き上げていた。
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