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「親権や戸籍は、何の意味があるんですか」 「あまり意味はないです」調停前から、弁護士は敗北を宣言した。

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 この日から、子供たちと完全に引き裂かれ、私は絶望の淵に立たされた。茫然自失。すっかり精気を失い、寝床から起き上がることすらできなくなった。子供を奪われたときの絶望と身体の異変は、当事者にしかわからない。
 だが、世の人々はそんな私に容赦なかった。たとえ善意から出た言葉であっても、それはセカンドレイプにしかならない。何度も絶望を思い出さされ、残された僅かなエネルギーも奪い取られた。そして人々の応援の気持ちを、そんな風にしか受け取られない自分を、際限なく責めつづけていた。
 私もただ手をこまねいていたわけではない。あらゆる手段を講じて、子供との接触をこころみた。
 家庭問題のコンサルタントから「奥さんに毎日ハガキを書きなさい」と助言されると、毎日愚直にハガキを出し続けた。四百通を超えたころ、元妻から三行のメールが届いた。

 送金ありがとうございます。
 子供たちは元気です。
 ハガキはいりません。

 私はハガキを出すのをやめた。
 スピリチュアル系の先生には「奥さんの先祖の墓参りに行きなさい。奥さんの家の方向に向かって、朝晩、土下座をしなさい」というアドバイスを受けた。
 私は新潟まで行って元妻のご先祖の墓を探し出してお参りし、過去帳も見せてもらい、氷雨が降る中ご先祖様の名前を呼びながら墓碑にぬかずいて謝った。自宅では朝晩、土下座の励行もした。しかし何も起こらなかった。
 元妻の女友達に相談すると「毎日ハガキを出しているなんて気持ち悪い。理解できないし、関わりたくない」と罵られた。申し開きをする元気は、無くなっていた。
 お金も送った。定期的な送金のほかに、記念日があるときは余計に送ったりもしてみた。しかし感謝の言葉はおろか、なにひとつ音信はなかった。

 子供たちと会えなくなってから二年が経ったころ、私はとうとう面会交流調停を決意した。調停だけは避けたかった。両親が裁判で争うことは、子供の心を傷つけると思っていたからだ。
 しかし世間の見方は違う。「真剣に子供のことを考えるなら、ちゃんと裁判をするべきでしょう」という声が大半だ。彼らのほとんどが、裁判所は正義を実現する場所で、弁護士は正義の味方だと思い込んでいる。じっさい、当時の私もそういう認識だった。
 私は弁護士に尋ねた。「親権も戸籍も私の側にあるんです。元妻は不倫をして離婚し、前夫との子供を手離した過去があります。引き取れますよね」
「難しいですね。裁判所は現状維持を優先します。弟さんがまだ幼いので、母親の元にいさせるという判断をするでしょう」
「でも子供たちは、あちらの祖父に叩かれているんですよ。元妻は娘に暴言も吐いたりしています」
「それでも身柄を持っている側が強いのです」
「じゃあ、親権や戸籍は何の意味があるんですか」
「正直、実質あまり意味はないのですよ」
 絶望感でいっぱいになったが、一縷の望みを調停にかけた。裁判所が標榜する「子供の福祉」という観点に立てば、引き取れないまでも交流は実現できるだろう。早く子供たちを安心させてやりたい。その一心だった。

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