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〈キューバ紀行7〉罰しなくても、ちゃんとやる。

 モチベーションって、なんだろう。

 私は体育会で訓練されてきた人間だ。奔放ぶっているが、実は「こうあらねばならない」という義務感が根深く刷り込またことを自覚している。
 遅刻や忘れ物は、死。先輩には、最敬礼。仕事は一分の隙も無く完璧に。
 もちろん、いつもできるわけではないが、その刷り込みのおかげで、リクルートで営業日本一になったり、武田鉄矢さん主演の劇場映画で準主役に抜擢されたりしてきた。

 あの日の訓練は今でも私を支えてくれているが、時としてモチベーションの維持を困難にさせる。
 目的が曖昧なこと、完璧にできそうにないことは億劫になってしまうのだ。そんなことをキューバ人の友達に話したら、こう言われた。
「なんか大変だね。キューバの公務員は会社に遅刻しても、クビにならないよ。給料も減らない」
 じゃあ、どうなるのか。「怒られる」のだそうだ。
「それだけ?」
「それだけ」

 みんな怒られたくないから、遅刻しないように頑張るらしい。
 公務員は昇進も昇給も無いので、仕事で細かいことは言われない。頑張っても失敗しても、給料は同じ。これは日本人の感覚では、理解が難しい。
 日本でも遅刻すれば怒られる。それでも遅刻する人は、減給。それでも改善しなければ、クビになる。
 キューバの公務員は犯罪をおかさないかぎり、クビにならない。遅刻しても減給されず、みんなと同じ給料がもらえる。「だったら遅刻したほうが得だ」とはならない。遅刻すれば上役に怒られ、友達のひんしゅくを買う。

 キューバ人は全員が毎日、夜遅くまでパーティーしている。「やっぱり朝がツラいからパーティーは控えよう」とはならない。パーティーをするために働いている。
 パーティーが楽しくなくなるから、友達のひんしゅくは買いたくない。だから、頑張って起きて仕事に行く。
 「みんなで遅刻しよう」ではなく「みんな頑張ってるから、自分も頑張ろう」と考えている。みんなで働かないと国が立ちゆかない。
 パーティーと仕事の両輪で国家運営のバランスをとっている。

  彼らは「なぜ、遅刻したのか」「仕事に対して、どう考えているのか」など、原因の深掘りもしない。そこを詰めてもとおりいっぺんのタテマエしか出ない。
 飲み過ぎだろうが寝坊だろうが遅刻は遅刻。理由は重要ではない。起こったことは、戻らない。だから仕事に来たら、課せられた義務を果たす。シンプルに集中している。みんな同じことをしているから、説明しなくても分かっている。
「ごめんなさい。悪気はないです。今度から気をつけるので許してください」
「たのむで、ほんま」
 これくらいのやりとりで、じゅうぶんだ。痛烈な罰を与えなくても次から気をつける。

 ペナルティーとは、人をコントロールするために、言うことを聞かない人を困らせる工夫。経済や心身への痛みを与えることで「イケナイことをした」と思い知らせる原始的なシステムだ。
 日本の会社ではクビにして路頭に迷わせるのが、最大の罰だ。会社を辞めたら、行き詰まってしまう。職を人質にして頑張らせる。
 キューバの人々は、怒られるだけで、じゅうぶん反省できる。会社をクビにしても、また国営の仕事があっせんされるので、路頭に迷うことはない。

 逆に人間関係が嫌だから、上司が気にくわない等の理由で会社を辞めても、すぐに別の仕事があてがわれる。パワハラ、モラハラなどに耐える人は一人もいない。
 働かなくても、一週間分の食料が配給されるので、家族にぶら下がれば、生きていける。
 だからこそ周りの人と協調すること、頑張ることの大切さが、身に染みている。
 なにせ、どこへ行っても自分からは、逃げられない。自分を嫌い、自分と気まずくなってしまったら、何をしても楽しくなくなってしまう。自分のことをリスペクトする。自分を好きでいるために、自分を律する。聡明な文化だ。

 日本(自由資本主義)のモチベーションは、上昇志向。
 どんどん得して他者より快適になること、自己実現すること。
 引きこもりも「上昇志向」の一種だ。上昇したい気持ちが、こじれて内側に向かって発露してしまい、100の代わりに0を選んだにすぎない。上昇志向は日本人に「勤勉」「立身出世」という美徳として根付いている。
 日本語では「ありのまま」とか「自分らしさ」などの言葉も上昇志向に帰属している。「他者に対して、自分を肯定してみせなければならない」という思い込みが根底にある。

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