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家庭裁判所では、調停を早く多く終わらせた人間が出世する。子供の気持ちなど、邪魔なだけだ。

■6
私の訴えは、以下の通りだ。
① 娘は私に会いたがっている(子供から届いた手紙を用意していた。四歳の娘の、ミミズの這うような字で「あいたい」と書いてある)。
② 私も娘に会いたい。(私と娘の間には「会う」という合意がある)
③ 娘は祖父(元妻の父親)を「叩かれるから嫌い」と言っている。
④ 元妻自身も子供時分には、父親(と母親)から虐待を受けていたと言っていた。心配である。
⑤ 私が「連れ去る」のが心配であれば、裁判所内での面会でも良いし、警察や元妻側の弁護士が立ち会いのもとでもいい。一分でもいいから会わせてほしい。

 これに対して、調停員は次のような対応をした。
「奥さんが会わせないと言うので、無理です」
「いや、そこを調停してもらいたくて来てるんですけど……」
「とにかく無理です」
「だって・・・・・・、娘が会いたくて、私も会いたい。なぜ会えないのですか。元妻が会わせたくない理由は、連れ去りの心配ですよね。だったら絶対に連れ去れない状況で会わせてくれればいいじゃないですか」
 シンプル極まりない正論に、調停員の返答はチグハグなものだ。
「難しいですね、奥さんが会わせたくないと言っていますので」
「じゃあ電話で話させてください。それなら連れ去れないでしょう」
「難しいですね。奥さんが電話もダメと言っています」
「それ、どう思います? 『変なことを言っているな』と思いませんか」
「さあ、私たちにはわかりませんね」
 話にならない。調停員とは、この程度の仕事でしかなかったのだ。
 もし、これに腹を立てた私が調停員に怒ったりすれば「高葛藤」と調書に書かれ、さらに不利に陥るのが分かっている。ただ耐えるしかなかったが、ここで怒りが湧かない親こそ、子供に会わせなくて良いと思う。

 家庭裁判所の姿勢は「早く裁判を終わらせる」という、彼らの出世のための都合で一貫している。子供のことなど考えないという点では、元妻や拉致支援弁護士と変わらない。
 調停のたびに、大阪から新潟の家庭裁判所に足を運んだ。調停はひと月に一度。家庭裁判所や元妻の都合で二ヶ月先に延ばされたこともあった。一秒でも早く子供たちを安心させてやりたい私は、そのたびに泣き寝入りするしかなかった。
 こうして数ヶ月にわたった調停は、元妻側からの「条件提示」によって突然終わりを告げた。
「まずは『解決金』として二百万円を支払え」という。「解決金」とは、何だろうか。私はいったいなんのことかわからなかった。
 私は目の前に並ぶ調停員、裁判官、調査官にたずねた。
「二百万円を支払えば、子供に会えるということですよね」
調停員が言う。
「お父さん、それはちがいます。この問題を解決するために払うお金です」
「解決って、娘に会えなかったら解決しないじゃないですか」
 裁判官が口を挟む。
「誠意を見せろってことですよ」
 要は、「話し合いを継続したいのなら、ひとまずカネを寄こせ」というらしい。「いやいや、もしあなたが私の立場だったら、これ支払いますか?」
「何とも言えませんね」
 何とも言えない要求を私に突きつけてくる元妻と拉致支援弁護士に、何とも言えない家庭裁判所には呆れてものが言えない。何を言ってもこの人たちには、話が通じない。話をする場所で話を進める人たちに、話が通じない。「こんなこと有っていいのか」と思ったが、その言葉を受け止める人は、目の前にいない。

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