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〈キューバ紀行9〉あなたが大切だから、面倒くさい。

 順番って、なんだろう。

 以前、テレビで中国人が言っていた。
「日本人がきちんと行列に並べるのはすごい。中国では、こんなにきれいな行列はつくれない」
 話題のファストフード店、オープン初日。何度も列を折り返しながら、長時間にわたって整然と並んでいる日本人を見ての言葉だ。
 そのあと比較対象として映されたのは、中国の行列。みんなピタッと身体をくっつけ合って、ギュウギュウに並んでいる。隙間があると横入りする人がいるので、密着しているらしい。

 同じ社会主義国家・キューバを見てみよう。
 街のどこにも行列は見当たらない。順番待ちの人たちはバラバラとたむろしているだけ。それでもきちんと順番を守れるのだ。
 仕組みは簡単。順番待ちの場に来た人は、そこにいる人たちに「ウルティモ(最後の人は誰)?」と呼びかける。最後にそこに来た人が、手を上げて答える。「自分はその人の次」と覚えて、次に来た人に自分がウルティモだと伝える。
 これで列にしばられず、待ち時間を自由に過ごせる。なんと成熟したシステムだろうか。

 行列に並ばなくて良い工夫に、番号札や整理券がある。キューバ人に言わせれば「紙が無駄でしょ。見れば分かるんだから」とのこと。確かに「誰の後ろか」だけ分かっていれば、ことは足りる。その場にいる人数を見れば、時間の見当もつく。
 日本にこれが無いのは何故だろう。「最後尾の人が誰か、聞いたり答えたりするのが面倒」というのが大きな理由ではないか。お客様に順番を憶えておく面倒をかけずに済ませようという店側の配慮もあるだろう。
 では面倒とは、なんだろう。どんな時に、人は面倒を感じるのか。
 人間は、他者を喜ばせると自分も嬉しくなる生き物だ。人から何かを聞かれたり、頼まれたりすることは、本来は自分が喜ぶチャンスでもある。
 自分が語りたいことを聞かれたら嬉しいし、得意なことを頼まれたら率先して実行する。
 面倒になるのは苦手なことを聞かれたり頼まれたりした時だ。「ごめんなさい、ちょっと分からないです」。そう言えば、聞いた側の用事は終わる。
 しかし聞かれた側が終わらない。期待に応えられなかった自分、相手を喜ばせられなかった現実が後に残る。
 「なんでそんなことを聞いてくるんだ」「そんなこと頼める筋合いか」と腹を立てる。軽い屈辱にさいなまれ、モヤモヤする。
 「面倒くささ」は責任感の表れだが、それに気づけない。

 そうやって「気軽に声をかけるのは申し訳ない」と思い込む。お客様に、そんな面倒をかけられないという発想が生まれる。
 社会は面倒をなくす「優しい(易しい)化」に向かっているが、それは元来持っていた優しさ、自然なかたちで人に優しくするチャンスを殺すリスクもはらんでいる。

 キューバの銀行には、そもそも待合室が無かった。みんな、たむろしているのは外だ。
 さらにハバナでは、そこかしこで人がたむろしているので、順番待ちでなくただたむろしているだけの可能性もある。
 「ウルティモ」と呼びかけても、誰も応えないかもしれない。しかし気詰まりになったりはしない。恥ずかしくもない。まわりの人は首を振ったり、表情やジェスチャーで「いないよ」と教えてくれる。次が自分の順番だと分かるだけだ。
 順番待ちの間、雑誌が置いてあるわけでもないので、隣り合った客同士が話している。自分たち自身がコンテンツなのだ。
 私の雇ったガイドは、待ち時間に初めて会った人と、すごくプライベートな話までしたそうだ。
「出産してから、体質が変わっちゃってヤリたくないのよね。なのに毎晩、旦那が求めてきて困ってるの」。
 行きつけのフレンチレストランでもオンライン飲み会でもなく、銀行の前の道ばたでの話題だ。
 女性同士とはいえ、初対面の人と店の順番待ち、わずか20分くらいでここまで話しこめる日本人(大阪人は別として)はいないだろう。

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