【教師からのイジメ】小学3年生の私。
小学校時代の話をします。本人はライトな気持ちで書いていますのでお付き合いください。
私の住む地域では小学校の6年間で2年ごとに担任が変わり、合計3人の先生が担任になります。
1.2年生の時の先生は女性で、優しいけど、どこか生徒に無関心で、特に悪い生徒を叱ったりなどもしませんでした。
淡々と仕事をしている。という感じです。
3.4年生の先生も女性で、私はこの先生から2年間、イジメを受けていました。
今日はそんな先生との忘れがたい思い出を書いていきます。
先生の嫌いなタイプ
どっちかというとスクールカーストが上の方の生徒ばかり贔屓する先生ってたまにいますよね。
その先生はまさにそんな感じで、物静かなおっとりしたタイプの生徒にはとことん冷たいです。
私は親からの洗脳バリバリ期だったので、外では自分の意見が言えない、死ぬほど無口でどんくさいタイプの子供でした。
周りからも笑われたりちょっと揶揄われたりする程度のものはありましたが、イジメという程でもなかったです。
(というか家庭のことで精一杯で学校のことまで考える暇がなかった)
クラスメイトのこともよく知らなかったのですが、私と同じようにおっとりタイプの子がいたらしく、その子はその先生が担任の2年間は学校に行かなかった(親と相談して家庭学習)そうです。
私の家は、私の話など聞いてくれないので、何があろうと学校へは行かないとダメだったのですが、後からその話を聞いて死ぬほど羨ましかったです。
遠足の集合写真、私だけ写らなかった
今思えば考えられない話かもな、という感じです。
小学3年生の海浜公園への遠足の日、私は持参物として用意するブルマを履いてくるのを忘れました。
私が忘れたというか、家では下着や靴下などは全て祖母が用意し、祖母が私に履かせるので、自分で用意などしていなかったのです。
その女性の先生はいつも常にイライラしていて、通常話しかけるのも怖いくらいだったのですが、出発前に言わないともっと怒られるので、なんとか恐る恐る報告に行きました。
学校から家は歩いて5分程度だし、おそらく家に走って取りに帰れと言われるだろうという気がしました。
ですが、先生は
「もうそのままでいいから並びなさい。」
と言って、珍しくニコニコしていました。イベントの日だからテンションが高くなっているのだろうか。
と、とにかく怒られなかったことに心底安堵しました。
目的地に到着し、今からみんなで海辺で遊びましょう!
という自由時間になった時、その先生が私のところに来て、いきなり首根っこを掴み(漫画みたい)
「あんたはここでみんなの荷物番や。当たり前やろ、ブルマ無いねんから。集合写真の時も来なくていいから。」
そう、私はみんなの荷物番の為に連れてこられたのです。
自己否定の強かった私は、そりゃ当然か。と思いつつ柱に隠れて(対抗側にいる生徒達に見つかると目立つので)じっと立ち尽くしていました。
海辺に並び、皆で集合写真を撮っている様子を見守ってるだけの遠足になりました。
特に家で学校の話などしないので、集合写真の件も親にはバレませんでした。
もし言ってたとしたら、過干渉で非常識な親は包丁を持って学校に乗り込んで行ったでしょう。
先生に目を叩かれて視力低下
版画の授業の時でした。
ハサミで紙を切り貼りして絵を完成させて、という流れなのですが、使い回すハサミの数がクラスの中で少なく、
当然私のような生徒は最後の最後にならないと道具に触ることが出来ないので、絵の完成が誰よりも遅かったのです。
他にも何人かいましたが、インクをつけるまでの完成までいかず休憩時間に差し掛かってしまいました。
先生はとてもイライラした様子で、近くにいた私の頭を版画の道具(名前わからないんですがあの擦り付ける丸いやつ)で殴りました。
その当たりどころが悪く、頭部ではなく左目に直撃しました。
その瞬間、目が潰れたのではないかという激痛と黄色と白の光が見えました。
その後のことはよく覚えてないのですが、気づけば学校近くの病院に運ばれていて、特に傷などはないと言われましたが、その後しばらくはぼんやりとしか視界が見えなくて、
数日後視力を図ると、両目で大きく視力がずれていました。(ちなみに今はなんともないですよ)
髪が結べない私の髪をちぎる
祖母の話の時、ナスビのヘタみたいな髪型にされたというエピソードがありましたが、元々は腰あたりまで伸びたストレートでした。これはそのナスビに変身する少し前の話で、
私は祖母から下着も自分では履かせてもらえないような人形だったので、当然自分の髪を結ぶ、なんて高度なことも出来なかったのですが、ある日、クラスメイトがふざけて私の髪を解いて遊んできました。長い髪だったので遊びがいがあったのでしょう。
一通りヘアアレンジを楽しんだ子達は、そのままどこかへ遊びに行ってしまったのです。
昭和時代の学校なので、当然頭髪規則はあります。
先生は早速ボサボサになっている私を見つけ、髪を結べと注意してきました。
当時本当に髪をどうやって結ぶのか、想像もつかなかったので、私は絶対これじゃないだろうなと思いながらも、髪ゴムを毛先から通そうとする、斬新な方法で髪を結ぼうとしました。
せめて先生がそこで笑ってくれればよかったのですが、当たり前ですが先生はますますお怒りのご様子で、何故小学生にもなって自分の髪も結べないのか、という感じの事を喚きながら、私の髪を掴んで床に振り回しました。
マジで殺されるんじゃないかという剣幕で。
一通り引きずり回し、髪をちぎり倒し、先生は満足したのか
朝祖母がセットした同じ髪型にくくり直してくれました。大分毛も抜けたけど、これで祖母にバレることはない。
と私は安心しました。
あくまで私は学校より家が怖かったのです。
毒親VSキチガイ先生
そんな感じで他にも、新しく買ってきた文房具を先生に壊される(ちょっとお洒落なメモリの分度器。子供にはまだ早いという究極に謎な理由で)
体育の時間、1人だけ高所に置き去りにされるなど。
そのような生活を1年と少しした頃、流石に祖母が感づいてしまったのです。
祖母は「あの先生はおかしい!!学校に言いに行く!!」と言い出し、職員室に殴り込まん勢いで向かって行きました。(幸い父は服役中でした)
何か数時間くらい言い合いのようなことをしていましたが、祖母の後ろに貼り付いていた私は、先生に引き剥がされ(笑)途中退出しました。
大人の難しい話はよくわかりませんでした。
わかったことと言えば、最終的に親と先生が仲良くなったということです。
先生は「あんないいおばあちゃんおらんで。ずっと大切にするんやで。」
といい、
祖母は「あの先生が担任で良かったやん。」
というのです。やっぱり頭のおかしい人同士はスタンド使いのように惹かれ合うんだと思います。
泥棒扱いされる
クラスの子達のイジメのようなものを受けていても、そこまで気にしなかったというか、そもそも他人に興味のない私でしたが、唯一こいつは合わない。嫌いだという人間がおりまして、それが別のクラスの野崎(仮名)という女子でした。
元々その子とは話すらしたことがなかったのですが、どこかでスクールカースト底辺の私の噂を聞きつけてか、いきなり私の前に縄跳びを持って現れ、
「今日から私の奴隷にしてあげる。いう事を聞きなさい。」
と言ってきたのです。
ちなみに野崎もスクールカーストで言えばそこそこ低い位置にいたとは思うのですが、自分より地位の低そうな奴がいると聞きつけてやってきたのでしょう。
野崎はちょっと小太りの、ドラマでしか見たことがないくらい大袈裟なぶりっ子でした。
私はなんだこいつ、とは思いましたが、まぁ遊んでくれるのかな?くらいの軽い気持ちで「ハイ。」と言いました。
その日から野崎は私の前に現れると、私の首に縄跳びをかけ、ペットの犬のように散歩をさせる毎日でした。
だんだん腹が立ってきた私は、後日喧嘩をし、殴りあいに発展して、服のファスナーが引っ掛かり人差し指を折られる(情けない)など、まぁ色々あったのですが、
私は何を思ったのか
ある日野崎がいつも、金持ちマウントの為に持ち歩いてる水晶のようなアイテムのことをふと思い出し、
野崎の焦った顔が見たくなり、クラスの男子に
「この前野崎の水晶盗んでやってん。」
と冗談を言いました。
その事は冗談では終わらず、野崎はすぐ便乗して
「そういえばこの前から水晶見つからんかってん!お前が犯人か!!」
と学校中の大問題に発展してしまいました。
確かにいきなりわけのわからん冗談をぶっ込んだ私も悪いですが、実際盗んだり、ましてや触ったことすらもないので、実際になくなっていたなど予想もつかず、私は目眩がしました。
悪知恵は野崎の方が2枚も3枚も上手だったのです。
その後、家宅捜索だと言われ、私の家に何人も生徒が押しかけ(親の留守中)机の引き出しを全部見られました。
そもそも本当に盗んだりしてないのだから、どーぞどーぞ、好きなだけごらんなさいという思いでしたが、野崎の怒りは収まらず(というかお前はさっさと家帰って探せ)
結局担任の耳にも入ったのです。
それを聞いた先生は、大袈裟に目を見開き
「あんた、そんな悪い子やったん!?」
思いっきり肩を掴まれ、軽蔑の目を向けてきました。
当たり前ですが、先生は私の言い分は全く聞かず、警察に連れて行って罰を受けるべきだけど、そうするとおばあちゃんが悲しむから、と言われ、結局野崎に強制的に謝罪させられました。
そこから次の担任に変わるまで、先生は私のことを無視し続けました。
その先生との関係もあり、ストレスで、何か言われる度ぶつぶつ独り言をいう癖がついてしまった時期があるのですが、先生の勘に触ったのか、
「文句あるんやったら言うてみい!!」
とボコボコにされて以来、その癖は治りました。
その癖を治してくれたことだけには感謝しています。
ですがその2年間は家でも学校でも地獄のようでした。
よく小学生に戻りたい〜という大人がいますが、想像するだけで最悪の気分になります。
いつも長々と読んでくださりありがとうございます。
自分には何ができるのか、色々な仕事に就きましたが、いずれは執筆だけで生きていこうと思っているしがないライターです。