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【毒親】アル中、極道、子供依存症の父。

私の父は私が生まれる前から無茶苦茶な人で、

私が生まれてからも変わらず無茶苦茶でした。

前回の話で、私(子供)には家の内情は何も話さない家庭だと言いましたが、

職業に対してもそうで、父が極道だということは教えてくれませんでした。

刑務所にも何度も入っていましたが、その度に、

「お父さんは仕事で出張だからしばらく会えないんだよ。」

と父からも祖母からも聞かされていました。

全身刺青が入ってますし、毎朝仕事に出かけないし、子供ながらに、

「うちのお父さんはヤクザなんだな。」

と思っていましたが、一度それを祖母に指摘したら

『子供なのに何も教えてないはずのことを知ってる。』

と大変傷ついた顔をされ、そこから気まずくなり何も聞かなくなりました。


父の性格

いろんな方の毒父の話を見ておりますと、


・仕事人間

・田舎育ち

・亭主関白で家では厳格


などが多いイメージですが、私の父はその逆と言いますか、

仕事は極道を辞めてからも定職についたことはありませんし、

いつでもどこでも自分のしたいように行動する。それが法律だろうと戦争だろうとお構いなし。暴力でねじ伏せる。


要するに非常〜に自分勝手でわがままなのです。

そんな性格なのでそれはもう、ものすごく他人に迷惑をかけるのですが、

本人 はそれを武勇伝のように自慢してきます。


アルコール中毒を絶対に認めない

本人はアルコール中毒ではない!と決して認めません。

父曰く、「アル中はずっと酒を欲しがる奴の事。自分は飲むときは飲むけど、いらない時はいらないからアル中ではない。」

という謎の持論があるのですが、

酒を吐くまで飲み続ける→外に恐喝や喧嘩をしにいく→警察に捕まる→お酒が抜けて全てを忘れる

この流れを、律儀にもかれこれ20年はループしています。

全く同じなのです。

反省もしなければ何も学ばない。この人は一体なんのために存在しているのでしょうか。(父の数多い迷惑エピソードについては後日)


父の口癖

いつもいつも呪いのように聞かされる言葉があります。

「日本一のとーちゃんになったるからな。」

これを酒が抜けた時毎回言うのです。私はもう30も過ぎ結婚して別の場所で暮らしてますし、そんなことは微塵も求めていません。

自分の欲求の為だけにこの言葉を浴びせてくるのが本当にしんどいんです。

私と父の関係は死んでも切れないからな。

と言われているようで、今でもその言葉を聞くだけで目眩がします。

あと、なんでも私のせいにすると書きましたが、

例えば極道を辞めた(おそらく破門)時、

「お前の高校受験のためにヤクザ辞めた。」

頼んでません。

例えば父の母校の先生をバットで殴りに行った時、

「お前が行ってもいいって言ったから行ったんや。」

言ってません。

なんでも私のせいにして、自分は救われようとします。

こんな人間にどう愛情をもてばいいのかわかりません。

父に怯える毎日

私の実家は小さい賃貸で、2部屋ほどしかなかったので、

必然的に何をするにも同じ部屋で。

という状態なのですが、仕事をしていない父は夜中に酔って帰ってはわめきちらし、当時小学校低学年の私に、

「酒を買ってこい!」

と毎回叩き起こしてきました。

祖母は父が可愛いので、結局私に買いに行かせるか、祖母が買ってくるかということを毎回していました。(当時は小学生でもお酒が買えた)

シラフの父は過干渉ですが私のことが好きで、甘やかしてばかりでしたが、酒が入ると大きい声でがなりあげる父が、

小さい私には怖くてたまりませんでした。

酔うと必ず私を抱き枕のように抱きしめないと大人しく寝ないのも大嫌いでした。

逆らうと殴られるので私はいつもじっと朝を待つのです。

学校から帰って、家の前に父の自転車がある日や、祖母と喧嘩してる声が近所の公園まで聞こえてくる日は憂鬱で、

父が寝るまで玄関で何時間も立っていました。

父が何年も懲役に行く時は素直に嬉しかったですし(祖母の年金で暮らしてるので父がいなくても収入は困らない)、

たまにふらっと帰ってこない時もあり、その時は家に帰る緊張感が和らぎました。

常に暗い実家

朝であろうと昼であろうと、父が酔って寝ている時は家の電気を消して、

その中で起こさないようひっそりと生活するのが習慣になっていました。

起きて暴れられるのが嫌なので、祖母はイヤホンをつけてテレビを見て、

私は真っ暗な中音を立てないよう詰め込むように急いで食事をしました。

小さい長屋(ながや)だったので、居住の1部屋に窓は無く、本当に真っ暗でした。

祖母は私が帰ると電気をつけようとするのですが、やめてくれと口論になって父が起きてくるという最悪のパターンも毎回でした。

小学校からそれが毎日だったので、当然宿題などもできませんでした。

朝は父の激しい嘔吐で目が覚めます。

トイレで吐く父を白い目で見ていると、祖母に、

「お父さんがあんなに苦しそうにしてるのにアンタはなんて冷たい子なんや!水持ってったり背中さすってあげなさい!!」

とよく怒られました。

なぜ自分が怒られているのか、眠い頭で考えるのが面倒になり、父の背中をさする毎日です。


金銭感覚が麻痺

私が小さい頃は父も極道として羽振りがよく、金額に関係なくありとあらゆるおもちゃを買い与えてくれました。持ってないものなどないというくらいに。

お年玉も小学生の頃から2桁は軽く越えてました。

その為金銭感覚が周りの子供とは全然違いました。

中学生の頃、友人と買い物に出かけた際、

友人がどうしても欲しそうな物を、買わずに我慢して帰ったのを見て私はショックを受けました。

すごく欲しいし買うためのお金も持っているのに何故買わないのかと。

今思えば私も我慢を知らない変なやつだと思われていたんでしょうね。




ここまで書いて、流石におかしいと思った方もいるかもしれませんが、

うちは父が傷害事件などで新聞に載った日からほとんどの親戚から縁を切られ、

私自身兄弟もおらず、腹を割って話せる友人も居なかったので、


うちの家庭は普通だ。と本気で思っていました。


むしろ他の家庭は何か変なの。


と思ってたくらいです。私ほどの幸せ者はいない、と口を酸っぱくして言われていたせいもあるんですが、

洗脳、というか侵食されていたんですね。子供の私は。



ここまでお読みいただきありがとうございました。

次回は毒祖母のお話。




自分には何ができるのか、色々な仕事に就きましたが、いずれは執筆だけで生きていこうと思っているしがないライターです。