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【毒親】親から受験合格を知らない所で取り消されていたその後。


※こちらの話から続いてます。先に①、②をお読みください

小学校の頃からなりたかった楽器の修理の仕事、やっと専門学校に合格したものの、全く事前相談もなく、知らないうちに親から入学を取り消され何が何だかわからなくなる高校生の私。


私の夢を応援してくれていた、周りの純粋で優しい人たちに、実家の事情を知られたくはなかった私はとにかく必死に言い訳をした。

多分当時は動転していてそんなにうまい言い訳は出来なかったと思うけど。

友人、先生、楽団の人、応援してくれた楽器屋さん、皆の顔を見ることが出来なかった。

今年からいよいよ入学だね、と周囲に言われる度すごく惨めで悲しかった。

あらゆる方法も無駄だった

親友の母親は自分のことのように悲しんでくれ、また私の代わりに怒ってくれたばかりか、『私がお金出してあげる』とまで言ってくれました。

もちろんそういうわけにもいかないのでお礼だけに留まりましたが。

奨学金制度も無理だし、借金も無理。

何よりまずどんな方法でお金が手に入ったとしても入学はもう取り消されたのだから、今更どうこうできる問題でもありません。

働いてお金を貯めるのももちろん親が却下。働いた分は全て親に渡すのが世の中の当たり前だと言われてきたので、1円たりとも貯金は出来ません。

学校を卒業したあとは祖母、父との生活費、主に父の酒代に消えるためのお金を稼がなくてはなりません。

高校卒業間近

卒業間近では勿論就活も間に合わず、担任も

今から就職先なんてない。

あとは自分でどうにかしてくれ。

と匙を投げられ、私は結局就職先など決まるはずもなく、親の言われた通りに車の免許をとる為に教習所の手続きだけしました。

教習所に朝から晩まで

約束通り教習所に入った私。卒業式の次の日から通いました。

親は車の免許だけは絶対取らせたかったようで(おそらく介護要因)

2人ともとても嬉しそうでした。

1日中やることもない私は、朝から晩までずっと教習所にいました。

朝の講義を受け、そこから数時間自主勉強、実技の時間になったらそっちにいく。

正直親と対面するのも億劫だったし、家にいたくなかったので、ひとまず免許取得の勉強という目標がある分まだなんとかやれていました。

なんなら、ずっと教習所に居たいとさえ思いました。合格したらそのあとどうするかを考えることが嫌で嫌で。

しかし、そこまで通い詰めたので、割と早い段階で免許は取得してしまいました。1ヶ月程度です。

文字通りニートになった私

その後は、もう何もやる気なんてなく、だらだらと毎日を過ごしました。

毎日コーヒーを飲みながらサボテンを眺める日々です。

世界で一番の味方だと思っていた最愛の彼女との別れも重なり、精神的にもどんどんおかしくなっていきました。

(病気については後日。)

やはり洗脳なんだなと思うのは、ここまでされているのに

親のせいで、とか親を恨むという思考にはあまりならず

むしろ外側、なんの苦労もしないでまともな家族や恋人、進学できて楽しそうにしている将来有望な人達を全面的に恨みました。

私の状況を知っているのに、大学や専門の楽しい話をしてくる無神経な知り合いに苛立ちが抑えきれませんでした。

文字通り、私は子供だったのです。

今でもそんなにできた人間ではないけど、意味のない恨みは虚無しか産まないのでもうやめました。


親はこんな状態の私を見ても、ここまで不自由なく育ててもらって、なにが不満なんだ、と心底理解していませんでした。

子供と向き合わないどころか、大切な将来のことを一言の相談もなしに勝手に決めといて、それはないだろう。あんまりだろう。

もはや人間の皮を被った何か違う生き物のように感じました。




次回。ある日、役所の人間が私を連れ出しにきた話。

自分には何ができるのか、色々な仕事に就きましたが、いずれは執筆だけで生きていこうと思っているしがないライターです。