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役所の人間がニートの私を連れ出しにきた話。

※前回から時系列続いておりますが、単体でも読めます。


進路を断たれた高校卒業後、無事に自動車の免許も取得し、

いよいよ何もすることが無くなり、毎日消えることしか考えられなくなる私。

就職活動といっても、ずっと進むべき方向を1つしか見ていなかった人間には何もしたいことなんてありませんでした。


頭も良いわけではないし、得意なものといえば音楽くらい。就職には特に役立ちません。


親は毎日私を非難し、怒鳴り、追い出すと脅し、誰のおかげで飯が食えてるのかと威張り。


ちなみに父は極道以外の仕事は、紹介や気まぐれで始めたとしても3日で辞め、毎日お酒を飲むだけの社会不適合者。重度の自分勝手なのです。


なのでうちは祖母の生活保護と公害年金だけで暮らしていました。


私も何故父の酒代の為になんでわざわざ働らかなきゃいけないんだと思うと、余計職につく気も起きません。

そんなある日、1人の女性が私を尋ねてきました。


市の職員がやってきた

その女性は市の職員だと名乗り、にこやかに距離をつめて話をしてきました。

どうやら祖母の生活保護を減額(最終的にはゼロに)したいとのことで、働ける状態にある身内は働かせてくださいと言われ、

祖母が『じゃあお前らが孫の仕事を用意しろ。』

と無茶苦茶なことを言ったばかりに派遣されてきた方のようです。

私も何故働く気が起きないかとか、いちいち説明も面倒だったので

ただの脛齧り娘だと思われたのか、

その職員は『人と接するのが苦手なの?』

だとか

『社会経験は素晴らしいことだよ』

だとかその辺のことを言っていたように思います。


面接から仕事までのケア


まず始めに、一緒に職業安定所に行くことになりました。

市内の職業安定所から、市外の安定所まで、色々見て回りました。

当時まだ10代だったので、資格などなくても簡単な仕事なら割と多くありました。

職種さえ選ばなければ、といった感じです。

パソコンはあまり詳しくないし、肉体労働もできれば避けたい。

どちらかといえば楽器の修理のような細かい職人仕事がしたい。

色々な仕事内容を見ているうちに、これなら私でもできそうだ。

というものがちらほら見つかりました。

やはり工具を握る仕事、工場作業員なんかがやりたいことに近くていいな。と思いました。

別にニートを好きでやっていたわけではなかったので意外と働くということに関しては前向きだったのです。

面接が決まれば次は服装です。

職員の人に連れられスーツを買いに行きました。

1人で何も決めることが出来なかった私は、20才近くなってもこうやって他人に何もかもしてもらわなきゃいけないのか、と自分が情けなくなりました。

と同時に親への反抗心も芽生えていたので、その若い職員の選んでくる服がちょうど若い子向けのセンスの良いもので、祖母なら絶対買ってくれなさそうなデザインに若干テンションが上がりました。服を買うのでさえも今まで自分の意志で選んだことがなかったので、今でも印象に残っています。


面接は簡単な面談のみで、その場採用でした。

私の人生初の就職です。


いざ仕事を始めると、祖母はもっと給料良いとこにしろとか、家からもっと近くにしろとかあとで散々文句言ってましたが

どうせ15万稼いでも50万稼いでも全額親のもとに行くお金なので、私からしたらどこで働こうが一緒なのです。

市の職員さんは事情を知らないにしろ割と親身に気遣ってくれていて、なんだかんだ今でも感謝しています。

良いきっかけだったし、そのままニートを続けていたら今のような人間になっていなかったかもしれません。

親は過干渉のくせに、私のことを何も知らないので、ちょっとでも思い通りにならないと、こうしてすぐ他人に頼るのです。

仕事は楽しかったし、部署の方は皆可愛がってくれてとても楽しかったのですが、女性パートさんのトラブルに巻き込まれてしまった為2年もしないうちに辞めてしまいました。

職場の話はまた後日。











自分には何ができるのか、色々な仕事に就きましたが、いずれは執筆だけで生きていこうと思っているしがないライターです。