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親、過去の話

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あまり明るい人生ではありませんが、それなりに生きています。
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家での「ただいま」が苦手

ただの短い呟きです。 こんなタイトル、いい歳した大人がお恥ずかしい限りなのですが、 どうも家での挨拶が苦手です。 自分の中でトラウマという言葉はあまり使いたくないのですが、 (トラウマだ!って思い込むとどんどん酷くなる気がするので) というのも、私の実家は働いている大人がいない家庭で、年金暮らしの祖母とお酒を飲んで寝てるか暴れている父がいました。 寝ている父を起こさないようこっそりひっそり帰る癖がついていたので 自然とただいまが言えなくなっていました。 大抵祖母

【毒親】2021年最初の迷惑

災いは忘れた頃にやってくるとよく言いますが、本当にその通りで、 年始から仕事のやる気に満ちた私を攻撃してくるようなことが起きました。 先日、私が夜勤に向かう車の中での出来事です。 突然、知らない番号から着信がありました。 電話の相手は地元消防局の職員さん。 『〇〇さん(父)の娘さんですか?』 もうこの一言だけでわかります。また父が酒に酔って関係のない人に迷惑をかけていることが。 話を聞くと、酔って自転車を運転していた際こけて頭をぶつけて意識不明とのこと。 私と

毒親と年末年始。

実家暮らしの時は、特に年末年始(それに限らず行事ごと全般)特に束縛というか、干渉が凄くて、 勝手に親の目を離れたりしたら非難轟々でした。 もちろん成人になる年も変わらず。 親戚がくるから家にいなさい。ちゃんと顔を見せて挨拶するのが常識だ。 友達と勝手に初詣なんか行ってはダメだ。 家のおせちを全部食べろ。(私は祖母の料理が正直好きではないです) そして狭い狭い実家で、あちらも嫌々呼ばれて現れる親戚を待ちつつ、酔っ払って視点が定まらなければ会話も通じない父の抱き枕に徹

【毒親】彼氏ができたらますます地獄。

10代の終わり頃、会社も家からわざと離れた地域を希望し、実家にいない時だけは ストレスなく過ごしておりました。 同時にバンド活動もしていたので、日々いろんな交流がありました。 そんな中、バンド仲間として紹介された人が彼氏に。 正直人生が初めて穏やかで、うまくいってるなと感じることができたのです。 それと同時に、親にバレたらどうしよう、という漠然とした恐怖が毎日のようにつきまといました。 バレたら彼氏が殺されてしまうんじゃないか。 もしくは彼氏から金銭を巻き上げる気で

男の子だから黒。女の子だから赤。

最近SNSなどで拝見する素敵な方は、だいたいミニマム思考の人が多く、部屋や持ち物は単色で統一されていてスタイリッシュな印象を受ける。 素直にかっこいいし、すごく憧れる。 ネイリスト時代、私の同期が凄まじいミニマリストで、家には必要最低限の物しか置かない。色も白しか置かないといった徹底っぷりを見せておりました。 生活をスマートにしすぎて、逆に不便になってるパターンだけど、 やはり私はそんな生活に憧れる。 でもそれって実際すごく難しい。 生活してるのに生活感を出さない

リストカットって結局かまってちゃんでしょ?という人

※リストカット肯定派の意見です。見たくない方は他の方の素敵noteをお読みください。 お恥ずかしい話ですが、私は10代後半の頃から長らく 手首を刃物で切る行為をしていました。 きっかけは単純明快、毎日死にたい気持ちだったからです。 毒親へのやるせなさ、将来の夢を絶たれた絶望感、最愛の彼女が別の人と結婚してしまった虚無感。 もう全部が嫌で、人生終わりにしたくて。 けど叫ぶことも暴れることもできなくて 全部を自分の中に閉じ込めていたら、誰に教わるでもなく、自然とそう

役所の人間がニートの私を連れ出しにきた話。

※前回から時系列続いておりますが、単体でも読めます。 進路を断たれた高校卒業後、無事に自動車の免許も取得し、 いよいよ何もすることが無くなり、毎日消えることしか考えられなくなる私。 就職活動といっても、ずっと進むべき方向を1つしか見ていなかった人間には何もしたいことなんてありませんでした。 頭も良いわけではないし、得意なものといえば音楽くらい。就職には特に役立ちません。 親は毎日私を非難し、怒鳴り、追い出すと脅し、誰のおかげで飯が食えてるのかと威張り。 ちなみに父

②高校卒業から、ついに夢の第一歩へ。

こちらからの続きです 先生に報告高校三年の担任は、どちらかというと事務的で、あまり熱量のない先生だったので、進路指導の女性の先生に報告に行きました。 彼女は高一の時の担任でもありました。 普段勉強を全くしない私を知ってるだけに、先生は自分のことのように喜んでくれ、こちらまで泣きそうになりました。 今でも忘れられない言葉をいただいたのですが、 『子供の仕事は受験を頑張ること。あとの金銭面は親の仕事。なので親にありがとうって言わないとね。』 ずっと苦しめられてきた親だ

①高校卒業から、ついに夢の第一歩へ。

私は高卒資格取得の為仕方なく通った高校とはいえ、理解してくれる1人の親友と出会い、 遠距離恋愛だけど彼女もいてくれて、楽団によってずっと音楽がある環境に身を置けたし、何より ずっと夢だった楽器の修理師への第一歩ももう少し。 全てが良い方向に向かっているようで、幸せいっぱいで明るい日々でした。 順風満帆とはまさにこの時のことを言うんだなと今になっても思います。 肝心の受験ですが、吹奏楽というのは夏に全国大会を目指す 夏のコンクールという行事があります。高校野球でいう

初めてのお付き合いは同性。

前回の下の方からの続きです→ 『結婚を前提に、付き合ってほしい。』 と13才年上の女性から唐突に言われた私。 正直私の頭は理解が全然追いついていませんでした。 それは、女性同士だからというよりも、 他人から直接愛をぶつけられた事にびっくりしたのです。 まさか自分が他人に愛される日が来るとは思いもしなかったので、私は、こんな私でよければ是非。とその場ですぐにOKしました。 女性同士での恋愛を意識したことは1度もなかったし想像もしなかったけど、 私にとって人を好き

同人活動では文章製造マシンだった。

私は漫画が大好きだ。今で言う腐女子(男同士の恋愛が好き)でもある。(それも結構ディープな) 『腐女子』なんて言葉ができる以前からの筋金入り。 そんな私は、昔のオタクに多かった『隠れオタク』の部類で、特に友人などと趣味の共有をしたりすることはなかったし、外ではそういったものは一切興味が無いように振る舞った。 それが楽しかったのです。 狭い世界で生きてきた私に希望をくれたのはいつだって音楽と漫画。 (夕方のテレビアニメは親がテレビを占領しているため、たまに見せてもらえた

私とクラリネットとの出会い。

私の通う小学校では、クラブ活動とは別枠で、ブラスバンドが存在した。 普段見た事がないような楽器を好きに触れるとのことで、音楽が好きな子供は皆音楽室に吸い込まれるように走って行きました。 私は当時、吹奏楽やブラスバンドが一体どういうものなのか全く知らないし、さほど興味も沸かなかったのですが、 同級生の中で【流行っている】物にはとても興味があり(閉鎖的な家で育ち、流行りのものが何なのか分からないけど、同級生が楽しそうに話しているのを聞き耳を立ててこっそり知識を得ていた。)

【毒親】思春期、反抗期は許さない親。

これはうちの親が思春期、反抗期に対する正しい理解がないため、 ただなんとなく、 『子供は親に逆らう時期があるらしい』 程度の認知しかない為、そんなわがままはウチでは許さないと口を酸っぱくして言われておりました。 反抗期=ワガママではないだろう。と子供ながらに思っていましたが、わざわざそれ自体に反抗するでもなく日々を過ごしておりました。 毒親VS子供【心の変化】とはいえ、成長というものは誰にでもやってきます。 好きな人ができた。 初めて友人と遠出してみたくなった。

【毒親】精神疾患やアレルギーは信じない親。

自分たちだけの閉鎖的な世界で生きている祖母と父は、精神的な病気、例えば『うつ』などは一切信じないクチで、常に 『そんなものは存在しない、あれは嘘だ』 とやたら主張してきます。 身の回りにそういう人がいないのか、知った尚信じていないのかは知りませんが、とにかく病気というのは外傷や内臓疾患などを指すものであって、見えない心の病気などは、ただの『気のせい』にされてしまうのです。 毒親家庭での精神疾患そんな家庭で育った私、もちろん実家暮らしの時から精神的におかしくなっていまし