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夫と私とレズ風俗【3話】

大学卒業間際になっても、卒業してからも私は就職活動をするでもなくただ漫然と日々を過ごしていた。
履歴書にある性別欄も、化粧も、画一的なスーツも全てを受け入れることができず、結局何もせずにいたのである。
周りには公務員試験を受ける、ということにしておいた。
何もしていないのでは流石に体裁が悪いと思ったのだ。

一応、公務員試験に向けた勉強はしていた。
恣意的ではないにせよ周囲だけでなく、自分自身も騙していたのだと思う。
本気でなりたいわけではないのにテキストをめくっては線を引き、ノートを取っていた。
本気で受かりたいなら予備校に通うのが良い、という情報を仕入れたときは、すぐに予備校に足を運び、その場で30万円ほどの学費を納入して入学した。
貯金など皆無だったので、消費者ローンからの借り入れである。

当時の私は、学生時代の誰彼構わず、という肉体関係を持つわけではなく、特定の数人の相手に貢ぐ形で性行為を行っていた。
完全に性依存である。
また、ギャンブルにものめり込んでいたため、それなりに収入のある風俗嬢をしていたにもかかわらず、私はいたるところから既に数百万円を借りていた。

数百万円の借金を抱えた私は、風俗と掛け持ちで時給850円の雀荘で働いていた。
コスパは最高に悪かったが、とてつもなくゆったりした気持ちで働くことができたのだ。
一応家族には普通にアルバイトをしている体を取り繕うために始めた雀荘だったが、私の主な仕事はドリンクを運び、タバコを吸いながら常連客と談笑すること。
時々麻雀の卓に入って、一緒に打っていれば良いという場所だった。

そこで、ある常連客と出会った。
仮にBとしておく。
彼は私の家の近くに住んでいるらしく、終電で帰る私とよく同じ電車に乗っていた。
何度かプライベートな遊びに誘われて、勝手に片思いをして、ある時私はBの子を妊娠した。
我々はいわゆる「セフレ」である。
結婚して欲しいなどとは微塵も思ってもいなかったが、一応話しておくことにした。
一人で産み育てることを考えていると話すと、当然のように堕胎するよう告げられた。
彼の論では、自分の子どもが勝手に生み育てられどこかで生きていることに嫌悪感があるということだった。
理解できないこともないな、と思う。
しかし、それでも授かった命に変わりはないとエコー写真を見せつつ説得を試みたが、なぜかそこで私はBから慰謝料を請求されることになった。
遂に理解不能に陥った。

Bからの請求額は20万円。
彼と遊んだ費用を全て清算するとこれくらいになるらしい。
金銭を要求されたこともさることながら、当時Bが言い放った
「お前は鶏の有精卵を食べることにも罪悪感を持つのか?」
という捨て台詞に強烈な印象を受けた。
とてつもない倫理観を持った人間もいたものである。

堕胎可能な期間はそう長くはない。
私はのらりくらりとやり過ごそうと考えていたが、それからBからのストーキング行為が始まった。
実家の前で写真を撮り送ってくる、当時のアルバイト先に電話をかけてくる、別のバイト先に無言電話をかけ続ける、などなど。
段々と酷くなる行為に、私は頭を悩ませ、とうとう警察に相談することにした。
どうやら警察からの注意を受けたらしく、頻繁な嫌がらせは収まったが、人生で初めて殺されるかもしれない恐怖というものに囚われた。
いつ死んでもいい人生だったはずなのに、人に殺されるかもしれないというのは中々恐ろしい。

少し時を置いて、再びBから電話がかかってきたとき、私は堕胎を決意した。
私は殺される側から殺す側にまわったのだな、と変な感慨もあった。

常に貯金のない私は、女友達に堕胎費用を借りて産婦人科へと訪れた。
その友人にも一緒に来てもらった。
どうやらパートナーの署名が必要だということだったが、無理そうならよいということで、父親の名前は空白のまま手術は行われた。

これで終わったのだな、と思うとともに、身代わりに人を殺したのだという罪悪感でいっぱいだった。

相手に恨み言を言うつもりもなかったが、母にはこのことをつい話してしまった。
私と同じく衝動的に生きている母は、どうやらBの住所を特定し、単身家に乗り込んでいった。
衝撃である。
かくして、20万円を請求されていた私は、結局Bから堕胎費用分の金銭を受け取ることになった。
その時の条件が「本当に堕胎したということを証明するために、Bの母親が医師の説明を受けること」というものだった。
どうやら、まだ妊娠を継続している可能性を疑っていたらしい。

既に私が妊娠していないという事実を知り、納得したB親子は、私に堕胎費用を渡し、今後二度と私がBに関わらないという誓約書に捺印させて帰っていった。

これは、私が、私の身代わりに人を殺してしまった話である。

ふうふで美味しいコーヒーをいただきます。