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ローローのエジプト記漫画バージョン連載開始! (けんいち人民熊猫一号作)
漫画家でもおられるケンケン( けんいちパンダさん )が私のエジプト記を四コマ漫画にしてくれました🐫。
ケンケンとは誰ぞや?
仕事で上海へ移住、そのまま向こうでパンダ🐼になってしまった人物です。↓
『ローローの出エジプト記』四コマ漫画は、けんいちパンダ氏のテイスト&センスが加味され、元の記事とはまた違ったものになって面白いと思います。
今後、週に1,2回のペースで投稿します、インシャアラー✨ 読んでくれたら、ナイルの恵みがあなたに降り注ぐでしょう🐫。
【エジ留学は、おしんに始まりおしんで終わった!】
↑子供時代と大人時代の目の大きさが全然違うよね、と当時も言われていたのも覚えています。
『おしん』
いまだに私はちゃんと見たことがありません。
覚えているのは、『おしん』子供編放送(1983年、毎朝8:15~)の時に引越し、小学校転校初日、母親が新しい学校まで付き添うことになったのですが、事前の電話で
「8:30までには保護者同伴で学校に来てください」。
「あの、子どもだけ行かせて駄目ですか?」とうちの母親。 (←ちなみに私は低学年)
「駄目です」
...
新学校からの電話を切った後、
「おしんが見れない、ローローさんひとりで新しい学校に行けない?」。
「どこにあるか分からない」
「...まったくもう...」
翌朝、一緒に道を歩きながら
「ああ、おしんが気になるわ、あのあとどうなったのかしら、おしんは無事かしら...」
と母親はずっとぶつぶつ。転校初日で緊張している幼い娘よりも、おしんの運命のことで頭がいっぱい。
そしてこの1、2年後にSONYがビデオデッキEV-S700を新発売。
最大4時間まで録画できる家庭用ビデオデッキ、という売り文句。
「二度と"おしん見逃し"の時のような悲劇は起こしたくない」
とのことで、父親のボーナスで新しく売り出された、SONY"ベータ"様式ビデオデッキを購入。家中の電化製品はSONYの時代だった!
ところで、
↓『おしん』が放送された国々の順番。エジプトは遅かった、33番目
↑アジアは韓国が入っていないですな...
前の投稿にも書きましたが、
私の知り合い(多分50代)が、昔広告代理店で派遣の仕事をしており、外国から来るおしんへのファンレターの返事を、おしん役小林綾子になりすまし、英語で返していた、と。
インドネシアからのファンレターが圧倒的に多かったそうです。
また私の親戚がNHKでしたが、本当におしんちゃん宛てにお米がどんどんテレビ局に届いていたとか。
(ドラマの中で、おしんが「米を腹一杯食いてぇ」と泣いていたらしい、見ていないのでよく知らないが)
さらにイランの漫画家マルジャン・サトラピの『ペルセポリス』の単行本↓を読んでびっくりしたのですが、(日本語翻訳版も出ています)
台詞:
「東京に奉公に出る貧しい女の子のお話の『おしん』をよく見ていました」
「最初は奉公先で床磨きなどしていたけど、髪結い師になってある男性と知り合うのだけど、その男性の母親はおしんとの結婚に反対。」
「母親が息子とおしんの結婚を反対するのは、おしんが髪結い師だからだ、と。でもなんで髪結いの職業がだめなのか、私には分かりませんでした」
「だいぶん後になって知ったのですが、『おしん』は吹き替え放送でした。本当のおしんの職業は"芸者"だったそうで、でもイスラムの国ではそれはまずい、ということで"髪結い師"という設定に台詞の吹き替えで変えていたそうです」
「だからおしんと娼婦仲間(!)が髪の毛をいじくる(お団子を結わく)シーンが多かったのねと納得でした。」
なんと、イランでは『おしん』がいつの間にか芸者だったことになっているという...びっくりです! でもエジプトではそんなフェイクニュースは流れていないはず...
エジプトにおけるおしんブームは放送終了後もしつこくしつこく続き、2002,3年頃までタクシーに乗っても市場で買い物しても、道を歩いていてもずっとずっと
「おしん、おしん」
声をかけられ続け(私だけでなく日本人女性全員だけど)、おかげで挙げ句には、
初めて出会った人に私は自己紹介する時に
「イスミー(My name is) オシン...」
と言ってしまい、慌ててハッとしたこともありました。
私のエジプト留学はおしんの始まっておしんに終わったといっても過言じゃありません。
『ローローの出エジプト日記』つづく
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