夕陽との思い出を綴ってみる。
唐突に夕陽との思い出を綴ってみる。
(写真はインドのムンバイの夕陽に群がる人々)
私は夕陽が好きだ。
いつからかな。
新卒で東京で働いていたとき、たまに5時半くらいに帰れると、
東陽町のビル群の間からたまに夕陽が見られるんだ。
それを見れると、なんか得した気分になってた。
そしてオフィスにも陽が差し込んでデスク、コピー機、そして皆を一瞬オレンジ色に照らし出す。
(これは妄想だったか、本当だったか覚えていないけど)
そしてフィリピンの夕陽。
ギマラス島に住んでいた時、
よくオフィスが終わって広場に行ってた。
そこで見る夕日が美しくて、どこまでも燃えていて、なぜかちょっと切なくなったり。
ちょっとマイナーコードが入ってるEDMとか聞いたりして。
のんびり暮らしていたから、「あ〜今日もいい1日だったな〜」なんて思いながら、自然の一部と化していく。
ボラカイでも、何回も夕陽を見た。
本当に両手いっぱい数えるほどボラカイに行ったけど、
その度にホワイトサンドビーチから夕陽を見てた気がする。
毎回、「今日も一日ありがとう〜」って叫びたくなるのは、あの島が持つ包容力のなせる技なのかしら。
インドネシア、マカッサルの夕陽も忘れられない。
協力隊同期3人で、現地民御用達のカンティーンの屋上から、空を全て包み込む夕陽を見てた。
本当に燃える様で、街全体をオレンジ一色に染めていく夕陽。
無邪気に楽しめたインドネシアの旅。
時は超えてスペイン、イビサ島の夕陽。
フラれたばっかだったし、おセンチになってたのもあるけど、
Cafe Del Marを探して宮田と2人、中心地から海を見ながら歩いたっけな。
そこで見た紫の空、スペインのイビサ、あの時のタイミングと心情と
いろんなものが全て混ざり合って、何か切なさを生んで忘れられない景色になっていた。
はたまた、インドの夕陽。
ムンバイの川沿いでと柴森さんと人生を語りながら夕陽を待って。
インド人もみんな群れをなして川沿いに座り、思い思いにくっちゃべる。
カップル、友達同士、わちゃわちゃして。
夕陽をみると心が整うというか、語りたくなるというか、色々考えるのはなんでなんだろう。
そう、この前行ったマルタの夕陽も綺麗だったな。
バレッタは、すごく夕陽の似合う街だった。
そしてここ、ベルリンの夕陽。
今の家に越してきて、ゆっくり昼ごはんとか作って食べて、
「よーし、カフェで作業でもするぞー」って言ってたらもう夕方。
ベランダから夜の帳が降りてくる。
特に冬なんて、まだ4時なのに。
犬と一緒にベッドに寝転がりながら、一瞬の夕焼けを見ていたり。
「ちょっと外でも出てみるか」って言って、ベランダから東をみると、
Frankfurter Torの門が夕焼けのグラデーションに被って、黒くシルエットになり、切り絵の様になってる。
中学校からの親友とも、いろんな夕陽を見たな。
旅行先のグアムで。ベトナムで。
グアムでは格安ホテルに泊まっていたのに、密かにWESTINの敷地のビーチに入り込んで、何食わぬ顔で夕焼けまで数時間ビーチでベッドに寝転んで。
恋愛についてとか、人生についてとか、色々語ったな。
2013年に行ったグアムでは、「もう5年後はお互い結婚してるから2人で旅行行けるのは最後かな〜」なんて言ってたけど、もう7年も経ったよ。
またその5年後に2人で2回目のグアム行っちゃったよ。
2人ともまだまだ一緒に旅行行けそうだ。
次は一緒にどこの夕陽を見に行くんだろうな。
世界のいろんな場所で夕陽を見てきたけど、あの美しさはなぜなんだろう。オレンジと青が混ざり合う、決して表現できない色。そして理由もなくこみ上げる切なさはなんでなんだろう。
この前たまたま部屋から美しい夕陽を見たからこれを書きたくなったけど、
書いてるだけでその感情が思い出されてなぜだか切ない気持ちになってくる。
人には朝陽派と夕陽派に分かれるっていうけど、私は断然夕陽派。いや、朝陽も背筋が伸びて好きなんだけど。
ちょっと哀愁を漂わせた夕陽くらいが丁度いい。
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