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めっちゃくちゃ久しぶりに。ベルリンで「フリーランス」を経験した私が日本の「組織」に戻ったことについて。

noteを書いてみる。なぜって?書きたくなったから。自分が今思ってることを残したいと思ったから。ここに書くってことは唐突に終わってしまったベルリン生活にも向き合い、心の内の思いや考えを整理しようと思い始めたからなんだと思う。春だしね。

最後にnoteを書いたのは1年近く前、ベルリンに居た頃だ。そこから色々なことがあり(コロナという全人類に降りかかった未曾有の事態も含め)、なんだか地に足が着いていなかった感じもあった。(そこもリアルタイムに残しておけば良かったのかもしれないけど、自分の中でなんか文章にできるほど整理できていなかった気がする)

私は1年前に唐突に日本に戻って来た。未だベルリンに荷物は置いたままだし、しなければいけない手続きも残ってる。マレーシアで2週間過ごす為の荷物しか持って来ていないまま日本に帰って来てしまった為、何もかもが中途半端だった。帰国当初は2020年3月、日々刻々と更新されるコロナ関連のニュース、何か落ち着かない心持ちと日本に戻って来てどこかほっとしている自分もいた。そしてそこで考えるのを辞めてしまったのかもしれない。帰って来てしばらくは、日本で過ごしている時間が自分の人生の中でどのような位置付けなのかがわからないまま、日々を過ごしていたように思う。

帰国後は金銭的な事情もあり、まずは仕事を探した。本来なら4月からクルーズ船でクルーとして勤務する予定だったが、このコロナ禍でその計画も全て無くなった。運良く都内でフルタイムの仕事が見つかり、今もそこで働いている。2年振りの日本社会への復帰だったが、仕事内容や同僚にも恵まれ特にストレスなく働けている。正直、ベルリン時代はボーナスステージで取れたフリーランスビザを片手に踏ん張れない自分、報われない仕事探し、徹底的な個人戦であることが正直苦しかった。もちろん生活自体は楽しかったし、海外に住んでいるからこそ得られる刺激もかけがえの無いものだった。ただ、仕事で成果を出せていない分「なんの為にここにいるのか」と考えることも多かった。元来怠け者であり、周りや環境にすごく影響されてしまう自分がたった1人で戦わなければならないこと、頑張っても誰も見てくれない、自分1人で全て完結しなければならないことがすごく辛かった。いい意味でも悪い意味でも「自分次第」ということが、想像以上に自分に重くのしかかった。

だから、正直不可抗力で日本に帰ってきたことで、もちろん心残りもあったけれども、「もう戦わなくていいんだ」というほっとした気持ちがあったことも事実だ。昔のスーファミとかで、対戦ゲームしてて自分が負けそうなところで突如画面がフリーズし、ゲーム強制終了、みたいな。「画面止まっちゃったからしょうがないね、勝敗はお預け」みたいな。どこかでその負い目があったから、noteも書けなかったのかもしれない。それに向き合いたくなかったから。

この一年コロナ禍といえど、新しい仕事や久しぶりの一人暮らし、安定した収入に裏打ちされた日々のちょっとした贅沢、失敗したが大学院への挑戦など、不謹慎なのかもしれないが個人的には結構充実していたように思える。なのにどこかしこりが残っていたのは、やっぱり強制終了と、甘苦い思い出から目を背けていた自分がいたからなのかもしれない。

今思うと(十分に裏打ちされた能力の無い状態での)「フリーランス」という選択は、自分にはかなりハードルが高かったと思う。昔は会社に朝から晩まで拘束されるのが嫌で「自由になりたい」って思ってたけど、私のような人種には会社や組織の中で、同じ目標に向かって話し合ったり切磋琢磨しながらワイワイやるのが向いているのだ、と改めて痛感した。けれどこれは経験しなかったら決して分かり得ないことだったし、その選択自体に全く後悔はない。むしろ有難い経験をするチャンスを得られたことを幸せに思う。

また色々とベルリンの事や日本での生活、自分自身の変化、様々なことについて徒然と文章に残していこうと思う。やはり書くことはデトックスだな、と改めて思う今日この頃である。




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