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ちょっと酔ってあの頃を⑥

◇◇◇

ご自宅に招かれたのは、初めて言葉を交わして半年ほど過ぎてからだったろうか。伺ったのはお店の営業が終わり、明日は店休日、という夜の七時頃だったと思う。アパートからわずか数十メートル歩けば、目的地に到着である。
姉と私はビールとワインと選り抜き?のつまみを持参して、お店に隣接する自宅の門のブザーを押した。
お兄さんに迎え入れられ、リビングへ誘われビールで乾杯して、奥さん特製のチキンカレーをごちそうになった。

深く優しい味わいのチキンカレー。ひと口めから美味しくいただいていたのだが、なんと途中で
「あ、残りものですまんね。このカレーな、昨日○○ちんが食べたやつ。」さりげなさを装い、お兄さんが言うではないか。
スターの食べた残りのカレー・・・。
そうか、今夜呼んでくれたのは、そういうことだったのか・・・と、粋な配慮に感激した。(もしかしたら、ただ本当に単純に余ってたから、というだけかもしれないけど)
そして呼び方よ。 ちん  
私たちのスターが、ここでは ちん付けで呼ばれているのだ。

「スターさんが、昨日まで帰って来られてたんですか!?」
「うん、バタバタだったけどね。このカレー昔から好きでね、帰ってきたらいつも作るのよ。ごめんね、お肉がちょっと少ないかな」
奥さんがやさしく謝ってくれた。
「いえそんなことは。本当においしいです!でも、ひええ」
そこからのチキンカレーに違う意味での美味しさが加わったことは、言うまでもない。

楽しすぎる数時間を過ごして、洗い物は私と姉が引き受けた。
「甘えるね、ありがとう」と優しく微笑み、優雅に煙草の煙をくゆらす奥さんと、すでに寝転がっているお兄さん。
ご馳走になったチキンカレーのお皿を洗う。サラダボウルを、グラスを洗う。お兄さん夫婦と、姉と私の、4人分。そのリアルがなんとも嬉しく幸せだった。忘れられない一夜になった。

◇◇

またある日の午後のこと。
コンビニへ行こうとお店の前を通りかかった時に、お母さんからおいでおいでと手招きをされた私は、ためらうことなく後戻り、こんにちはーと言いながらガラス張りのドアを開けた。
「いい天気だね。どこに行くとこだった?」「あ、ちょっとコンビニに」「ふーん、ま、座れば。今日は何してた」「○○○○、聴いてました!」
本当にさっきまで聴いていたスターの曲名を挙げた。
「・・・」
質問はそこで途切れた。みんないるのに、なぜか誰もしゃべらなくなった。え、なんで私呼ばれたんだろう、と思いながら、ふとソファの端に腰かけているお客さんを見た。

そこにいたのはスターその人であった。
深く腰を落とし、漫画本を読んでいる。私との距離、わずか1メートル。
長い髪に隠れて、表情は読み取れない。
「・・・」

目の前には、スターだけでなく、スターの幼い子供までいた。
父親のもとに無邪気に走り寄る。スターが低く優しい声をかけながら小さな身体を抱き留め、つやつやの天使の輪を撫でる。
無論、普通では絶対に目にすることなどできない風景。まさにそこは、紛れもない超プライベートな家族親族団欒の場なのだった。

私はそっと目をそらした。そして体を彼のいる側とは反対方向に傾け、そのまま静かにフリーズしていった。
ご家族は自分たちから呼んでおきながら、なぜか助け舟を出そうともしてくれぬのだった。むしろそれぞれが含み笑いさえして、私はまさかの軽く無視された状態のまま所在なく傾き、息まで止めていた。
スターは空気の不穏な変化に敏感に気がついたようで、こちらを見ることなく突然席を立ち上がり、無言で奥へと去った。私の体から、ぷしゅっと張り詰めた空気が出ていった。
とたんに、残ったご家族が皆一斉に吹き出した。
私の極度に緊張した姿がおもしろい、といって笑うのだ。
その後何年たっても、お母さんやお兄さんから「あんときはほんとおかしかったねえ、もうガチガチやったもんねえ」と思い出し笑いをされるくらいには情けない印象を残した、あの日の自分である。

もちろん同じ状況に出くわしたとしても、「握手してください」「サインもらえますか」などと間髪入れずスターに申し出ることのできる強心臓の人もいるだろう。実際、当時の知人にこの時のことを話したら、『えーっもったいないぜそれは・・・俺なら・・・』と言われたりした。
だけど私はそうでなかった。
あれからさらにご実家とのつきあいを重ねて今に至るけれども、未だにそんなことはできない。ーというか、そもそも、そういう「端的な欲求」を、選択肢としてほとんど持たない人間なのである。だからファンクラブとも無縁なのだと思う。
あの時はもちろん、至近距離にスターの存在をガッツリ認め、緊張し、突然の幸せにまみれはしたけれど、握手やサインをもらわなかった、言葉を交わせなかったことを後悔した、そんなことは全然ない。
情けなく固まったあの時の自分の姿をご家族に思いきり笑われた、後々まで笑いのネタにされ続けたことのほうが、私にとっては長いこと、大切な思い出であり続けている。

◇◇

あの頃、いったい何度自宅におじゃましたり、また飲みに連れて行ってもらったことだろう。居酒屋にカラオケボックス、バー。一見さんではまず入れない地下にある生演奏の店にも連れて行ってもらったっけ。(私は無謀にも恋のバカンスを歌ったようだ。)
数えきれない。

田舎の両親はいつの間にか、泊まりに来るたび大家さんだけでなく、スターの実家にも手土産持参で「娘たちがお世話になります」と挨拶に行くようになっていた。実家にいた学生時代にはレコードの音が大きい、うるさいと私たちを叱っていた両親が、そのスターのお母さんやお兄さんと親しげに会話する様子を、姉と私はいつも不思議な感慨を持ってアパートのキッチンから眺めたものだった。

また新曲やアルバムが出るたび、ライブが行われるたびの音楽談義ももちろん楽しかったけれど、私の中で時間とともに大きくなっていったものは、スターを抜きにしても成立しているといえるほどに醸成されていった、お兄さん夫婦との隣人関係、人間関係だった。

お互いに突然のケガや入院に見舞われたこともある。そんな時には差し入れを持って訪ねあった。ご夫婦の結婚記念日には私たちのアパートでお祝いしたこともある。
本当に仲の良いご夫婦で、夜には近くのいきつけのお店にもよく飲みに出かけていた。
ある日には、アパートの外が何か賑やかなのでベランダに出てみると、酔っぱらったお兄さんが姉と私の名前を道で叫んでいたりする。奥さんが「ごめんね、この人酔っ払ってるの」とこっちを見上げて申し訳なさそうに言い、ホラ、もうちょっとで着くわよ、とお兄さんの腕を引っ張って連れて帰ろうとする。その様子がおかしくて、私たちはクスクス笑いながらおやすみなさーいと手を振ってベランダから見送る。そんなことも度々あった。こうして書いていると懐かしい情景に心がギュッとなる。

病気の話、家族の話、なぜかどんなことでもお互いにいくらでも話をした。年齢は親ほど離れているのにそれをまったく感じさせない、4人でいると話が尽きなかった。お兄さん夫婦と過ごす時間は、他のどんな大人との関係よりも親しみに満ちて、尚且つしがらみのない、さらに絶妙な緊張感とくだけ具合をも持ち合わせた、本当に信頼できる大人の心地良さがあった。

◇◇

けれど、いつまでも変わらない時間なんていうものは存在しない。
数年たって、仕事での人間関係に疲れ、先に故郷へ帰っていた姉の結婚が決まった。父、母、祖母、実家の家族にも、少しずつ色々な変化が起こり始めていた。
またちょうど同じ頃、アパートの取り壊しの話を大家さんから聞かされた。道路の拡張工事が決まったというのだ。
潮時、とか、タイミング、という言葉が、私の中で毎日大きくなっていった。

次回最終回。


☆前回までの話は以下から読めます。
この回はほんとに酔っぱらって書いてます。正体を明かさず想像のしようがない時点でたちの悪いドヤ話になっているという自覚は一応あるのですが、どうしようもなくなってしまいました。なんだかもうごめんなさい。


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