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ちょっと酔ってあの頃を④

なんだか書き進められなくなって、間隔があいてしまった。もちろん当時のことを忘れたわけではないです。むしろその反対で。

当人の想いが強すぎると文章がどんどん身勝手に熱くなり、読んでいる方は反比例して順調にしらけていく。それが自分のいつもの方程式です。いや、わかっているつもりだったのに今回も見事にはまってしまった…

書き進むほどにローリングしながら膨張してゆく懐かしいあの頃
すでに②の後半から、
(多分これは他人様に公開する類のものではなかったんだ、純粋に自分だけの胸の内にとどめておくべきだったんだ、いったいこれをどこまで書いて終わりにしようというのか?)
と、軽く公開じゃなくて後悔し始めていたけれど、途中で非公開にするのも止めるのもいずれも妙なので、ちょこっと考えたものの、やはりこのまま続けることにしました。非・後悔。

◆◆◆

ただ、どうか想像してみていただきたいのです。
あなたが今一番好きな、いえ愛してやまない、アイドルの、俳優の、スポーツ選手の、作家の、政治家の(それはないか)、…とにかくあなたにとっての唯一無二の推しの、実家。
ほぼ間違いのないであろうお宅のその隣に、本当にまったく何の探りも根回しもなく、これほど無垢な状態で引っ越してきてしまった偶然、そして始まってしまった日常を。
私たち姉妹はしばらくの間、平常心というものから完全に遠ざかった生活をやむを得ず続けることになりました。



推しご本人は現在も現役であるため、実名その他場所を特定出来るような地名店名等は控えております。
また『推し』というワードが自分にとって日常使いではないため、以後、記述はスターに代えさせていただきます。
ま、スターもそれほど使っているわけじゃありませんが…。
ちなみに①~③は文末にリンクがあります。ちょっとアホみたいな文章ばかりですけど。

◇◇◇

翌朝、開店準備をしているスターのご家族らしき人々(9割方は信じつつも、この段階ではまだ断言はできなかった)を、初めて見た。

控えめな新装開店、という感じだった。
お祝いの花輪が派手に並ぶとかではなくて、新しい庇の下、中年の男性と高齢の小柄な女性が、そのままで十分にきれいな出窓をさらに丁寧に拭き、入り口を掃いたりしている。窓の前には色とりどりの可愛らしい花々。道行く人には当然ながら顔見知りもいるのだろう、お互いに「おはようございます」「いってらっしゃい」などと、短いけれどさわやかに挨拶を交わしたりしている。

すでに今日の仕事のことで頭がいっぱい、という様子で足早に歩いて行く他の勤め人たちに混ざり、私はさりげなさを装いながらもチラリ、とお店の様子をうかがった。
(この方がスターのお母さん…?うん、やはりどことなく顔だちが似ている)
男性の方は、姉の脆弱な情報源を信じるとするならば、間違いなくお兄さんだ。

そんな、シンプルな予測ができる状態に置かれた自分。それだけでたまらない高揚感が胸に押し寄せてきた。

その日、目は合わなかった、と記憶する。けれど、忙しそうに立ち働くお二人の前を、なんとなく軽い会釈をし、私はもうそれだけでほのぼのと満足して、駅へと急いだ。

◇◇

次の日も、その次の日も、出勤なので当然同じ時間にお店の前を通る。
数日たつと、時々お二人と目が合うようになった。
小さな声でおはようございますと言いながら頭を下げると、お兄さん(多分)もお母さん(多分)も、こちらを見て頭を下げてくれるようになった。
しかし立ち止まって言葉を交わすような心の余裕も、もちろん時間の余裕もない。
仕事から帰る時には大抵お店は閉まっていたので、私も姉も、出勤時のわずか数秒の時間を、まるで乙女のように待ち焦がれる日々が続いた。

◇◇

新しい街での生活は、その衝撃的な偶然を除いても、十分に楽しかった。決して広くはない駅の周りにこれでもか!というほどごちゃごちゃと、あらゆる店が密集していた。
引っ越して3日目、仕事帰りにふらりと立ち寄った自家焙煎の珈琲店も、忘れられない長いつきあいになった。少しこの店のことを書く。

奥行が十分にある一枚板の重厚なカウンター。ブラウン系のグラデーションで統一された布張りのカウンターチェアやソファやカーペット、30号の渋い油絵。ごく小さなボリュームでかかっている有線。珈琲カップはすべて無地のオフホワイトで統一されていた。注文すると目の前で、年季の入った手回しのミルで豆を挽いてくれた。勿論ネルのハンドドリップである。熱湯を満々とはったステンレスの深いバットにはいつも、出番を待つカップたちが整然とその身を沈めていた。

珈琲はストレートだけで常時6種類ほどあったと思う。
それに紅茶、ココア、目の前で絞ってくれるオレンジジュース、そうだコーヒーフロートもあった。(追加記載!)
どれも丁寧な仕事で美味しかったけれど、アイスコーヒーが本当に絶品で、それはホットと同じように、注文のたびに豆を挽いて淹れたものをシェイカーに移し、木桶いっぱいに張った氷の中で、素早く回転させて冷やす。わずかに湯気の立っているそれが、ピックで丸めた氷の入ったグラスに慎重に注がれて運ばれてくるのだった。
注文を受けてから作るサンドイッチとパスタが二種類ずつ。ケーキはしっとりと焼けたフルーツ入りのパウンドのみ。
それに砕いた珈琲豆がぱらりとかけられたバニラアイス…という、シンプルながらもマスターの流儀が込められたメニュー構成だった。
どれも端正な見た目と磨かれた味わいで、何度口にしても飽きることがなかった。

ここでも幸せな出会いがあり、マスターはじめ常連客の大人たちにかわいがってもらった。仕事では落ちこぼれで凹みっぱなしのダメダメな自分が、この店で色々な業界の人々とただの客として出会っていける。なんでもない会話が重なり馴染んでいくたびに気持ちが楽になった。
所属する会社の尺度だけに自分を当てはめなくていいんだ、という実はごく当たり前の自由を、ここで手に入れられた気がする。

◇◇

さて、引っ越しからしばらくたったある日のこと。
いつも買っていたタウン情報誌を眺めていたのは、姉と私どちらだったろう。

スター、載ってる!

ふたりしてウギャーと叫んだ。
地元出版社であるから、当然写真つきのインタビュー記事である。
目を皿のようにして読んだ。そして、またウギャーとなった。

「スターが、来る!」

そこには待ち望んだライブ日程の活字が燦然と輝いていた。
ここへ越してくる前までの、いつものライブを待つ時の楽しみとは明らかに違う興奮が、私たちをシュワシュワと包みこんだ。
そして瞬く間に日々は過ぎ、ライブ当日を迎えるのである。

つづく。

◇◇◇

前回までの記事はこちらから。













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